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今こそ、伝統的な村のシステムに学び直すときースタンジン・ドルジェ監督インタビューから

更新日:16 時間前


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9月1日~9日まで、ナマケモノ倶楽部とジュレー・ラダック共催で、「"懐かしい未来"の故郷で、豊かな自然と文化の未来をみつける旅」を開催しました(ツアー詳細はこちら)。

数回に分けて、旅の日記と、貴重なインタビューなどをこの「ナマケモノしんぶん」でシェアしていきます。私たちが実際に目でみて、村に身を置き、人々の話から感じた学び・気づきをみなさんが受け取り、これからのローカリゼーション運動の知のツールとして活用いただければ幸いです。(事務局)

スタンジン・ドルジェ監督インタビュー

於:パラダイス・シェイにて、2025年9月2日夜

通訳:山田みき、スカルマ・ギュルメット 文字おこし:高橋正光



私たちは今でも村から学び続けている


 皆さん、ようこそラダックへ。ラダックは日本から遠く、訪問は簡単ではなかったと思います。ですから、みなさんがこうやってここに来てくださったことは本当にうれしいです。

 今日、私が着ているこの衣装は、私の両親がヤクの毛から手作りしたものです。父母共に編み物が得意でした。もうすでに、二人ともこの世に存在していないのですが、この服をまとうと、彼らの愛を今でも感じることができます。皆さんからみたら美しく見えないかもしれないですが。


 私たちラダック人は、自然や動物と共に、ずっと生きてきた民です。日本という、すごく発展したハイテクな国に暮らす皆さんは、これまで高い教育を受けてきたと思います。ラダックにはそのような教育システムはありませんが、私たちは村々からすべてを学ぶことができます。いわば、村自体が大学・学校です。今でも私たちは村から学び続けています。


 たとえば、村に行くと、暮らしぶりは素朴に見えるかもしれませんが、外からの来訪者を本当に心から喜んでくれます。自分「I」じゃなくて、私たち「we」という感覚が伝統的に備わっています。それは家族を超えたすべての人たちを含むもので、分かち合いをとても大切にしているのです。


 私のギャ村にある実家は半遊牧民で、父は羊飼い、母は畑をやっていました。今でもヤクと羊を飼い、畑を耕しています。私は学校に行ったのが本当に遅かったので、学校教育よりも先祖から、そしてギャ村での暮らしから学んだことが多いです。私が制作した映画「氷河の羊飼い」を観られた方もいらっしゃるかと思います。映画にもあるように、ギャ村では友人は雪豹、クラスメイトは羊で、人間よりも動物たちと過ごす時間が多い環境で育ちました。


 今日は、父とのエピソードを皆さんとシェアしたいなと思って、ここに来ました。

夏のある日、大麦畑で私は小さな虫を見つけたんです。それで、その虫をいじって遊んでいたら、父が私の肩に手を置いて、こう話してくれました。

「この小さな虫を殺してしまうと、鳥は虫を食べに畑に来なくなるだろう? 鳥が虫を食べに来ないと、それで虫が増えてしまう。虫が増えてしまうと、ヤクや牛のお乳がおいしくなくなってしまう」


 父は幼い私に自然界の相互依存について教えてくれたのです。小さな虫から本当に大きなところまで、すべてがつながっている。殺虫剤とかを使わないのも、自然はすべてつながっているからですよね。


「パスプン」にみるローカル・コミュニティの本質


 ラダックで暮らすことは厳しさも伴います。空気も薄いし、冬は氷点下になるし。でも、先祖たちは何とかみんなが幸せに暮らす方法を見つけ、村で出会う人たちは本当にみんなニコニコしています。


「パスプン」いうラダックの伝統的な価値観にインスパイアされることがありました。パスプンとは、血縁関係にはないが家族のような強い絆で結ばれている共同体です。パスプンの人たちは、仏教とは別にひとつの神様を信じています。自分や自分の家族に問題が起こったときには、金銭を介さずにパスプンがいろいろ支え、助けてくれるという仕組みです。


ここでスカルマさんから補足:

 「パスプン(paspun)」は、数家族で構成される伝統的な共同体です。そこでは一つの神を信じています。現在でもそのシステムは生きていて、たとえば、あるラダック人が海外にいて、その残っている家族の誰かが亡くなった、赤ちゃんが生まれた、結婚したなどの際には、日本だったら自分は現地に行かずにお金を送って解決してしまいますけど、ラダックでは自動的にパスプンの人たちが来て、無償で手伝うんです。お金は一切関係ない。言わない。

 もちろん、貨幣経済は村の中にもあります。だからみんな現金ももっていますが、そういう時にはお金の問題ではないんです。自分が直接村に行って全てを、もう何でもやります。トイレ掃除から、お金の計算から、お祈りする時期の段取りから、畑の収穫作業まで。そのパスプンの家族たちが集まって、労働力を無料で提供してその人を支える、というシステムです。


 ラダックでも近代化・都市化がすすみ、お金のマインドセットが支配的になることによって、この大切な文化がなくなってしまうことを私は危惧しています。これは本当に大きな喪失です。たとえば、村では、水の灌漑システムが壊れても、村人たちがそれを復旧する”保険”として存在しています。ところが、今、ラダック社会にも自動車保険、火災保険など本当に色々な保険が入ってきて、それを人々が購入して、そういう流れが大きな問題になっています。


ここでスカルマさんから補足:

 私も日本に来はじめたときに、なんで保険が必要なんだと、いまだに理解できない部分もあります。保険がないと旅行もできない、車も買えない。もう様々な保険だらけ。その保険を得るためにお金を余分に払い、保険に払うお金を作るために余計に働くという…。

 ラダックでも最近、保険会社とか保険システムが入ってきつつあります。日本では「保険があるから安心」というのもあるでしょう。でも、ラダックの伝統的な生き方の中では、村人たち自身が保険でもあるのです。自分に何かあったら村人が助けてくれる。パスプンがあるからそこにお金は関与しません。たとえば、チューポンっていう水を管理人が村の中にいるんですけど、灌漑の問題があれば、その人が「あなたが修理に行ってください」と村の誰かに指示して、その人が行って直してきます。もっと人手が必要だったら、村人みんなが出向いて直します。そういう機能が村には伝統的にあるから、現代の保険はいらないっていう話ですね。


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「大きい頭・器用な手・慈悲の心」を奪う近代教育


 現代の教育システムもラダックのコミュニティを破壊していると感じています。学校では、読み書きや計算が大事にされています。一方、ラダックの伝統社会では、大きい頭(智慧)と器用な手(スキル)、そして慈悲の心が大切にされていました。智慧やスキルがあっても、それだけではテロリストになる可能性もあるから、心の優しさ・慈悲の心がとても大事にされていました。たとえば、伝統社会では取り決めをするときに書面を交わすということはなく、棒を相手と一緒に割るだけで、契約は成立していました。


 1960年代から1970年代に、ラダックは急速にいろいろ変わりはじめました。学校ができて、ヒンディー語とウルドゥー語と英語が教えられるようになりました。その前にも寺院などで教育活動はあったのですが、みんな現代教育を受けるように言われ、子どもたちは新しい学校に行ったわけです。


 ところが、その新しい学校で教える先生たちは、皆、インドのスリナガル、ジャムー等から、インドでの勤務評価が悪く、その罰として辺境の地ラダックに送り込まれた先生たちでした。先生たちは、遠いラダックに派遣された上に、ヒンディー語とウルドゥー語がラダックの子どもたちに通じない、インド国内との生活水準との違い(水道が整備されていないなど)で常にイライラしていました。


 私たちがラダックの伝統的な衣装で学校に行くと、「(ヤクの服の匂いに)臭いからこれは着ないでくれ」と先生たちに言われます。また、そば粉や大麦など、伝統的なラダックの食事にも「こういうのを食べているから君たちの頭はよくならないんだ」と言われました。本当にこの瞬間、私たちの文化がなくなっていくのを目の当たりにしました。


 それまでラダック語で生活していたのに突然、ウルドゥー語、英語、ヒンディー語での授業になり、授業にもついていけません。教科書を開くと、自分は羊とかヤクとか牛を飼っているのに、見たこともないゾウの話が出てきたり、ラダックは雪がたくさん降って、雨は少なく寒いところなのに、扇風機や雨の話が出てきたりと、全然理解できませんでした。


 親たちは学校に行きなさいと言います。でも、学校に行くと先生たちから「もう来ないで」と言われます。頭が混乱して自殺を考えた時もありました。言葉は学んだけれど、その過程で色々な文化をなくしてしまったと感じています。


すべてを失くしたわけではない、だから私は楽観的です


 その後、徐々にいい心をもった観光客がフランスやドイツやイタリア、そして日本からも来るようになりました。みんな山が好きだったり、ラダックの文化に関心をもってくれました。ヘレナ・ノーバーグ=ホッジさんは、「今あなたが着ている手作りの服は、私の国ではとても価値のあるものです。あなた方の文化はとても大切なものです」と教えてくれました。


 この30年間、私たちはラダックの伝統的な価値観を徐々に取り戻していますが、失ったものの多さに愕然とします。でも、まだいいシステムもたくさん残っていて、すべてを失くしたわけでもありません。だから、私はまだ楽観的ですし、希望をもっています。


 12年かけて制作した映画が、今年やっと公開される予定です。タイトルは「星空の下の遊牧民」。私も参加してモンゴル・ゴビ砂漠を舞台に制作した同内容の映画にインスピレーションを受けて、そのラダック版をつくりました。モンゴリアって空の元の人の意味なんです。


 ラダックの人たちは「ここには何もない」と言いますが、湖がこんなに綺麗なのはスピリチュアルな人たちが暮らしているからだと思います。一方で、彼らに「怖れはないの?」とたずねると、「パスプンがあるから」とか、「星を見ればいろいろわかるから」と答えます。そういうことを表現する映画にもなっています。これから日本語字幕版もできる予定です。どうぞお楽しみに。


<参加者との質疑応答>


Q:映画「氷河の羊飼い」で描かれている世界は、今,どうなっていますか。


A: 映画は2015年に制作されました。もともと14人の羊飼いがいて、8000頭のヤギと羊がいました。今では4家族、10人にまで減ってしまいました。ヤギと羊は今は1700頭。ヤクの方が多いです。ヤクの方が育てやすいというのが理由です。


 今、野良犬が増えてしまったことが大きな問題になっています。ヤギや羊が狙われます。雪豹は1匹か2匹しか羊を獲らないのに、犬はすごいんです。去年だけで320頭のうち80頭の羊が犬に殺されました。狼と犬が一緒になって狩りをするようになっています。私の出身のギャ村でも牛を飼っています。放牧された牛と景色が馴染んでとても美しい光景です。でも今、野良犬の襲撃を避けて敷地の中で牛を飼っていて、牛たちも喜んでない感じがしています。


 1週間前に姉のところにも行ってきました。羊とヤギとの世話をしていました。彼女は今58歳ですが、とても強くて、「私は山で死ぬ。あの動物たちが死ぬ前に死にたい。だから私は山で暮らす」と言います。山ではまだ360頭のヤギと羊を飼っていて、1人で世話をしています。これまでの人生で一度も病院に行ったことのない健康な姉ですが、今、目の問題があって、少し心配です。


Q:教育システムがラダックのコミュニティを壊しているという話がありましたが、どんな教育システムだったらコミュニティが壊されないと思いますか?


A:私の兄には4人の娘がいるのですが、そのうち2人はエンジニアです。1人は経済学を学び、1人はすでに大学を卒業しました。けれども2人とも就職できていません。学位はあるけど仕事がない。バランスが取れてないのです。

 兄の家族自体は400頭の羊とヤギと大麦の畑をもっているので、生活には困っていません。でも娘たちは400頭の羊や山羊の世話をしたり、大麦や野菜の畑では働きたくない。農業をしているとみなに軽蔑されるから、と言うのです。でも実際には医者やエンジニアが増えてはいますが、就職できない現状があります。


 現代の教育システムは、ラダック語とかウルドゥー語とか英語を学ぶのはいいのですが、物理学を学ぶには暗記をしないといけなくて、手で何かをやるっていうのがなくなっていきます。たとえば、エンジニアの知識はあっても、電気が壊れたら誰かに電話しないと自分で直せないとか…(笑)。


 でも私は、SECMOLというオルタナティブな学校に行って学ぶことができ、野菜をどのように育てるか、牛をどう世話するか、この経済のシステムはどのように働いているかなどを、自分の手を使って知識を得ることができました。学校のシステムに入ったのも遅くて、学校に入って6年、映像を3年学んで、SECMOLに入りました。


Q:手を動かしたことで、自分がどう変わりましたか?


A:私の映画「パドマ~天に祈りを届ける少女~」をぜひ観ていただきたいです。 自分の手で何かを作るっていうことにはすごい魔法があって、心にパワーをみなぎらせる力があります。村で育ったラダックの子供たちは、手や身体を動かして学んでいます。土を耕すときでも、歌いながら作業したり。大人になったときには、既にすべてを学んでいる。私自身も、自分で野菜を育てて、3ヶ月、半年経って収穫の時期を迎えると、すごい幸せを感じます。


Q:日本では地域性もバラバラで、宗教も分断されていて、ラダックと同じようにはパスプンはできない。そういうときに、考え方とか、大事にしたいことが一緒という点でつながることから、日本版パスプンを始められるでしょうか。


A:心をこめた行為をすると、パスプンでそれが戻ってきます。皆さんにはラダックの村に住んでパスプンをぜひ体験してほしい。本当に村から学べることはたくさんあるのです。


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