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石木ダム計画の見直しを
「え,この川にダム!?」と、小さな石木川の流れを改めて覗き込みながら、坂本龍一さんはため息混じりに言った。 開発ブームの中、半世紀以上前にダムが計画された時の理由がどんどん消えていき、もう誰もはっきりしたことが言えなくなっている。理由もなく、ただ、「もう決まったことだから・・・」と言い続ける政治家と行政。ダムの専門家は言う、「こんなにでたらめなダム計画は見たことない」「治水どころか、かえって洪水の危険が増す」と。 背後にそびえる聖なる山、虚空蔵山からの水を集めて流れる石木川の清流の周囲に広がる、なだらかな丘と里山の風景。ここには稀に見る生物多様性と豊な自然の恵みが残っている。 その地を切り裂くように、今、ダム関連工事が進行する。しかし、強制収用後も移住を拒む四世代13世帯の人々は、棚田で米を育て、山菜やキノコを採り、庭で花や野菜をつくって楽しむ。子どもたちはみんな“川ガキ”。子育てを終えた女性たちは毎日のようにテントで座り込み、歌い、語り合い、今年100歳になるおばあさまも抵抗運動の先頭に立ち続ける。 みんなよく笑い、明るく、楽し
信一 辻
2月2日


レイジーマン・コーヒー物語 その3
蘇る伝統的な世界観 「トウモロコシの代わりにコーヒーを」というスウェたちの呼びかけに込められた深い意味を理解するために、ここで改めて、働き者だったジョニが、自らを“レイジーマン(なまけ者)”と呼ぶようになるまでの経緯を、振り返ってみたい。疫病と麻薬禍によって村落共同体や親族ネットワークといったカレン社会の基盤が揺らいだ危機の時代に、たびたび孤独と絶望の淵に立たされた少年ジョニにとって、伝統的な生活を守りながら細々と質素に生きる老人たちとの交流こそが生命線だった。そこで得た温もりを糧にするかのようにして、彼は自分を支え、懸命に働いた。 1970年代に北部タイで始まった国連の開発プログラムやロイヤル・プロジェクトに、ジョニも当初は希望を見出していた。このプロジェクトには二つの大きな狙いがあったといえそうだ。一つは、麻薬のためのケシ栽培を根絶すること。もう一つは、カレンをはじめとする少数民族による伝統的な“移動型焼畑”をやめさせること。これらの目的を、稲作と換金作物を組み合わせた近代的農業への転換によって成し遂げようというのである。...
信一 辻
1月17日


レイジーマン・コーヒー物語 その2
“森”の庭とレイジーマン・カフェ ノンタオ村には10数回訪れている。そのうち数回は、撮影のために映像カメラマンの友人と一緒に滞在した。ジョニとスウェへのインタビューを軸に、「レイジーマン」という思想と生き方を描く映像作品をDVDブック『レイジーマン物語』として仕上げた。 ノンタオでは、ほとんどの場合、ジョニとその一族の本家に泊まらせてもらう。最初のうちはジョニ夫妻が住む母屋だったが、ここのところはずっと、裏庭の奥にある木と竹づくりの離れの二階の一部屋に寝泊まりしている。その庭のさらに奥に建てられた土づくりの家にスウェの四人家族が暮らしている。 裏庭と言うとあなたは何を想像するだろう。この庭は“森”なのである。これを説明するのはちょっと大変だ。それは、木の実、果実、野菜などの食用ばかりでなく、建材や道具の素材となる蔓や竹類、薬用植物に至るまで、80種に及ぶ有用植物が、低いものから高いものまで幾層にも重なるからなる森のような庭なのだ。日本人の目には、庭というよりはジャングルに見える。 その森の中のあちこちにコーヒーの木が植わっている。母
信一 辻
1月8日


レイジーマン・コーヒー物語 その1
今年こそ、世界の情勢がよりよい方向に動き始めるか、という期待をあざ笑うかのように、トランプ率いる米軍がベネズエラに侵攻した。昔、ピースボートに乗ってベネズエラに立ち寄り、マラカイボ油田の見学に行って、現地の環境活動家から話をうかがったこと、またさらに昔、ボストンの学生寮でベネズエラ出身の若者たちと親しくなったことなどを思い出した。さらに、トランプが次の標的として名指して脅しをかけている周辺国、メキシコ、コロンビア、ブラジルなどに住む友人知人たちのことを思った。 ぼくたちはなんと劣悪で野蛮な侵略者の姿を目の当たりにしているのだろう。悪い夢でも見ているようだ。しかし、一方で、今起こっていることには何も目新しいことはなく、これまでずっと続いてきたことの、よりあけすけな表現にすぎないとも思える。ベネズエラで起こったことが、パレスチナ、シリア、イラク、アフガニスタン、チリをはじめとしたこの数十年の悲劇、そしてそれらを常に引き起こしてきた帝国主義的プロジェクトと重なる・・・ 言いたいこと、言わなければならないこと、考えたいこと、考えねばならないことはたくさん
信一 辻
1月6日
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