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ラダックからただいま。そしてローカリゼーション

ラダックから帰ってきた。空港に着陸した時には雨が降っていた。地面が雨で濡れて光っている様子が、何か珍しいものに見えた。そして鼻腔に雨の匂いが満ちるのに感動を覚えた。これがぼくの生まれ育った場所、“水のくに”なんだ、という感慨。そして、つい昨日までいたラダックで身体全体が感じていた渇きの感覚を思い出す。そして、砂漠のような岩と砂礫でほとんどが茶色い風景の中でも、勢いよく流れ下る雪解け水のきらめきに魅了される自分がいた。遊牧地ではその流れの朗らかな音に合わせて、人間たちが、山羊や羊や馬たちが、バーラル(ブルーシープ)や野ウサギなどの野生動物が、鳥たちが踊るように動いているようだった。そう、水こそがこの世界の本質だ。神だ。水を真ん中に、すべてを考え直さなければいけない。

 




日本からのツアーはぼくも含めて総勢9名。シェイをベースに、シャラー、キュンギャムなどの村を訪ね、アムチ(伝統医療師)、ラマ(女性シャーマン)に面会、いくつかの仏教寺院にもお参りした。まだまだ寒い初春のラダックで、標高4500メートルのツォモリリ湖、4600メートルを越えるコルゾクの遊牧民集落を訪れるなど、けっこう身体的にきつい場面もある旅になった。ちょっと辛い時にも、みな思慮深く、好奇心と思いやりに満ちた、旅のよき仲間たちだった。

 

ツアーが帰途についた後も、ぼくは10日ほど滞在を延ばして、今後ナマケモノ倶楽部とジュレーラダックとで展開する予定の「キュンギャム村のローカル経済再生プロジェクト」に向けた準備を進めた。

 


その中心人物ラドルさんの案内で、彼女とその仲間たちが聖地と見なす夏の遊牧地カムチャールへ。去年の9月以来、ぜひ行きたいと願っていた場所だ。その風景のスケールの大きさも、人間に媚びない、あけすけでシンプルで厳粛な美しさも、この歳になるまでぼくが経験したことのないものだった。標高4811メートル地点で、火を起こし、一行四人で話になってお茶をいただく。その後、一時間ほど、カメラを構えて、ラドルの話をじっくりうかがう。昼食は大麦の饅頭パバをちぎっては、平らな岩の上に広げたインド風のトマトのチャツネにつけて食べる。

 


その数日後には、遊牧文化の急速な衰退の中で敢えて羊飼いになることを志したラドルさんに共感し、その周囲に集った若者たち六人と会合をもって、長い時間をかけてじっくり話を聞くことができた。彼らは今、ラドルさんを中心に新しいグループを結成し、キュンギャム村での活動を開始しようとしている。それと呼応して、この若者たちを支えながら、村のローカル経済再生を応援するためのプロジェクトを立ち上げようと、ぼくとスカルマさん(日本とラダックの連帯を進めるN P O「ジュレー・ラダック」の代表)は今、相談を重ねている。9月には、再び、ナマケモノ倶楽部とジュレーラダックの共催で、ラダックへのツアーを組み、プロジェクトを前へ進めるためにキュンギャムをはじめとする遊牧や半遊牧の伝統をもつ集落を訪問する予定だ。

 

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ラダックから戻ったら、早速、“ローカリゼーション月間”とぼくたちが定めた6月がもう目の前だ。そもそも、ローカリゼーションという国際ムーブメントの起源は、ラダックにある。ぼくも参加している国際ムーブメント「ローカル・フューチャーズ」のリーダー、ヘレナ・ノーバーグ=ホッジは、1975年、それまで外国人に門戸を閉ざしていたラダックへの、西洋からの最初の訪問者の一人となり、この地に、そしてそこに住む人々に魅了された。後に、長年にわたる滞在と研究の成果をまとめた『懐かしい未来(Ancient Futures)』が、グローバル経済システムが生み出した数々の危機を乗り越えるためのローカリゼーション運動の出発点となった。

 

この本にもあるようにラダックはグローバル化の波を受けて大きく変貌した。気候変動もまた様々な深刻な問題を引き起こしている。にもかかわらず、ラダックはぼくにとってインスピレーションの源であり続けている。特に去年9月の訪問時のラドルさんをはじめとするラダックの若者たちとの出会いによってぼくの中のラダックへの、そしてローカリゼーションへの思いにまた火がついた。

 

ナマケモノ倶楽部は、六月に一連のローカリゼーション・イベントを開催する。(詳細はナマケモノ倶楽部のサイト参照 https://www.sloth.gr.jp

 

<6月6日>:ローカリゼーション・デイJapan(10:00〜18:00)に参加。オープニングで、ぼくが基調講演者としてヘレナを紹介する。分科会では、韓国における一度消えかかった在来種の稲を多数、再生させた立役者、ウボさんをゲストに招いて話を伺う。(オンライン)


<6月14日>:「なぜ食と農のローカリゼーションが必要なのか−たねの視点から」

O Kシードプロジェクト事務局長、印鑰智哉さんに話を伺う(東京四谷、さくら共同法律事務所地下ホール、14:00〜)


<6月17日>:「ローカル経済の再生に向けて動き出したラダックの若者たち−羊飼いラドルと仲間たちのキュンギャム村プロジェクトを応援しよう」、トークと映像、スカルマ・ギュルメット、辻信一、他ラダックツアー参加者(オンライン、20:00〜)


<6月25日>:「なぜ食と農のローカリゼーションが必要なのか−プラネタリーヘルスの視点から」桐村里紗さんと奥大山プロジェクトチームの仲間たち(オンライン、20:00〜)


<6月27日>:「なぜ食と農のローカリゼーションが必要なのか−生命誌の視点から」東京四谷、さくら共同法律事務所地下ホール、14:00〜)

 

以下、“ローカリゼーション月間”に向けてのぼくの想いを書いてみたので、ぜひ読んでいただきたい。

 



ローカリゼーション月間に向けて 


ローカリゼーションは気づきです。私たちを生かしているのはグローバル経済システムやハイテク大企業ではなく、私たちを取り巻く空気や水や陽光や土、動植物や微生物などの自然と人間たちのコミュニティからなる地域です。そこで織りなされる無数のつながりのウェブ、つまり網の中で私たちは生かされているということに、気づくことです。

 

人類が今直面している数々の危機は、みな密接につながっています。地球温暖化から金融メルトダウンの危機まで、感染症のように広がる鬱病、不寛容、憎しみから、全体主義的な勢力の台頭と民主主義の衰退まで・・・。これらすべての事態が私たちに警告しています。今こそ社会に深く、大きな変化が必要だ、と。

 

数々の危機がつながっているように、それを解決する方法もまたつながっている。そして答えは今までと根本的に異なる考え方の中にある、と。経済を成長させよう、成長しているように見せかけよう、という虚しい努力を続けるかわりに、私たちは、人間にとっての、そして自然界にとっての真のニーズ、つまり、本当に大切なことにこそ意識を集中するべきです。まずは、自分たちが自然界の一部であり、自然に支えられてこそ生きられる存在であることを思い出すこと。そして、自分たちがいかに切実にコミュニティを必要とする存在であるか、ということに気づき直すことです。

 

今こそ、私たちの経済活動をグローバルからローカルへと大きく転換し、経済という仕組みそのものを、もう一度自分たちの手に取り戻すときです。そのために、グローバル化へと進んできたプロセスを巻き戻すような政治的な改革に着手しましょう。その一方で、地域により健全な生態系やコミュニティをよみがえらせるためのローカリゼーションを進めるのです。

 

ローカリゼーションは、生態系にも、社会にも、そして個々人にも“癒し”をもたらしてくれるでしょう。ローカル経済は、壊れかけた住民同士のつながりを、また人間と自然界とのつながりを修復する役割を果たすでしょう。こうしてよみがえるつながりは、私たちの幸せな人生のためばかりではなく、私たちの生存のために不可欠なのです。

 

2026年5月26日

ナマケモノ倶楽部代表 辻信一

 

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