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石木ダム計画の見直しを

2月2日
読了時間: 16分

更新日:2月4日



「え,この川にダム!?」と、小さな石木川の流れを改めて覗き込みながら、坂本龍一さんはため息混じりに言った。

 

開発ブームの中、半世紀以上前にダムが計画された時の理由がどんどん消えていき、もう誰もはっきりしたことが言えなくなっている。理由もなく、ただ、「もう決まったことだから・・・」と言い続ける政治家と行政。ダムの専門家は言う、「こんなにでたらめなダム計画は見たことない」「治水どころか、かえって洪水の危険が増す」と。

 

背後にそびえる聖なる山、虚空蔵山からの水を集めて流れる石木川の清流の周囲に広がる、なだらかな丘と里山の風景。ここには稀に見る生物多様性と豊な自然の恵みが残っている。


 

その地を切り裂くように、今、ダム関連工事が進行する。しかし、強制収用後も移住を拒む四世代13世帯の人々は、棚田で米を育て、山菜やキノコを採り、庭で花や野菜をつくって楽しむ。子どもたちはみんな“川ガキ”。子育てを終えた女性たちは毎日のようにテントで座り込み、歌い、語り合い、今年100歳になるおばあさまも抵抗運動の先頭に立ち続ける。

 

みんなよく笑い、明るく、楽しげだ。外から訪れる我々がこの人々の中に見出すのは、怒りや憎しみではない。「ここに暮らすことが私たちの幸せ」「それ以外には何も要りません」と言い切る彼らの声は、朗らかで、晴れやかだ。訪れる者たちはみな、その姿に魅了されてきた。ぼくもその一人だ。


 

ここに住んでいるということ以外何一つ法に触れることをしていない、この人々を、無理やり家から引き摺り出そうというのだろうか。家屋も庭も棚田も破壊してダムの水底に沈めるんだって? そんな戦時のようなことがこの日本で罷り通るのだろうか。

 

それは本当に必要なの?

もう一度、リセットして、さまざまな意見を聞き直し、しっかりとした再検証をしてほしい。それができないという、どんなよい理由があるだろう?

 

それぞれの選挙区での選挙が近づく今、あえて、長崎県の小さな町の小さな集落で起こっている事態に目を向けていただきたい。選挙を通じて、ぼくたちは何よりも民主主義を選んでいるはずなのだ。以下、三つの文章を掲げる。


① 1月27日に市民有志の集まりから発せられた緊急声明「選挙を通じて石木ダム見直しへ」。ぼくは長崎県外に住んでいるが、これが日本社会の今後のあり方を左右する重要事態だと考える者として呼びかけに参加させていただいた。

② 去年11月半ばに現地を訪れた時の簡単な報告 

③ やはり去年12月に川棚町で県知事が開陳した「石木ダム水源地域整備計画(案)」なるものについてのぼくの見解


 

①     緊急声明:選挙を通じて石木ダム見直しへーーこれは強制的な「行政代執行」という暴力的事態を避ける最後のチャンス!?


私たちは、公正な石木ダム計画の再検証を求める長崎県内外の市民有志の集まりです。来る2月8日に投開票が行われる長崎県知事選に際し、長崎県の有権者のみなさんに向けて、この緊急声明を発しています。それは、この選挙が石木ダム計画を見直す最後のチャンスになるかもしれないからです。地元住民のダムの必要性が納得できないとの声に対して、長崎県はダムの必要性についてはすでに結論が出ているとし、新年度中にダム本体工事に突き進むことを事実上表明しており、そのために支障となる小屋や家屋等については強制的に排除することを示唆しています。ただただ、愛しい故郷で暮らし続けたいという無辜の市民を家から引きずり出し、家を破壊し、田畑もろとも水底に沈める、そんな暴挙が行われようというのです。


私たちは、さまざまな意見や見解をもつ市民の集まりです。ダムについても意見が一致しているわけではありません。今回の長崎県知事選挙で、特定の候補を応援するものではありません。ただ、候補者の皆さんには、ダム建設の是非や賛否に関わらず、この選挙の前に石木ダム計画の再検証を約束していただきたいのです。そして有権者の方々には、仮にダム建設賛成という意見をもつ方々であっても、行政代執行という暴力的な異常事態を避けるというその一点で、候補者が計画の再検証に前向きかどうかの判断をしていただきたいのです。


もう決まったことに今頃文句を言うべきではない、と思われる方もいるかもしれません。しかし、どうか忘れないでいただきたい。市民も知らないところで60年も前に始まり、しっかりとした検証もないままに進んできたこのダム計画に対しては、水没が予定されるのどかな里山で暮らす13世帯の四世代にわたる老若男女が、半世紀以上にわたって献身的な抗議活動を続けてきましたし、それを全国各地で支援する多数の個人、企業、団体が、度々、アートや音楽、講演などのイベントを催して計画の再検証を求めてきました。現地を訪れて、13世帯の方々と親しく交流された著名人の中には、坂本龍一、加藤登紀子、小林武史、いとうせいこうといった方々も含まれています。ダムや河川に詳しい専門家や学者たちからも、石木ダムの洪水対策や水道用水開発の必要性と効果には科学的合理性がないとの声が上がっています。このように、見直しを求める声は、もう半世紀も絶えず発信され続けてきたのです。


私たちが求めるのは、その声に耳を傾けるという、民主主義社会ならごく当たり前のことをしようという知事なのです。これは長崎県だけの問題ではありません。私たちが求めるのは、今一度立ち止まって、戦後ずっと進められてきた開発のやり方を見直してみることではないでしょうか。その意味で、これは日本という社会全体にとっての一つの試金石なのだと、私たちは思います。


もし、この声明に共感してくださるなら、ぜひ、メール、口コミ、SNSなどを通じて、これを拡散してください。


2026年1月27日「選挙を通じて石木ダム見直しへ」市民有志一同

呼びかけ人代表:深草誓弥(長崎県川棚町福浄寺住職)辻 信一(明治学院大学名誉教授)

呼びかけ人:小林武史(音楽家)坂田昌子(一般社団法人コモンフォレストジャパン理事)重松壮一郎(ピアニスト、佐世保市在住)竹田真理・竜太(雲仙市「竹田かたつむり農園」)田中万里子(「妖怪がみてきたこうばるパンフレット委員会」代表、佐世保市在住)中井 淳(イエズス会神父)野島泉里(彫刻家、島原市在住)林 はなえ・拓生(佐世保市「味菜自然村」)牟田千代(Food Nora店主、川棚町在住)山田正彦(弁護士、元農水大臣、長崎県出身)



 

②    こうばるをウロウロしてきました(FIRM(石木川ミュージアム友の会」への報告)

 

すっかり報告するのが遅くなってしまいましたが、11月14〜16日に川棚を訪れ、15日には石木川ミュージアムにも行ってきました。以下、簡単な報告。

・・・・・・・・

こうばるのことが好きで、気になって仕方がないというぼくたちに、何かできることはないか。今年5月にそう問われた岩下すみこさんは微笑みながら、そうね、こうばるをウロウロしてください、と言われた。そこでこの日、ぼくたちこうばるをまさにウロウロさせていただいたが、なんとありがたいことに川棚町の町会議員でもある炭谷さんがつきっきりで案内してくださって、実に味わい深い学びの時となった。公民館での昼食は、ちよさんがお店で仕込んでくれた美味しい特製カレーを温めてくれ、一度退席された炭谷さんが見事な椎茸をどっさり持ってきてくださり、午後にはすみこさんの家を訪ねて、素敵なイタリア風のお庭でお茶をいただく。木漏れ日の中、この日福岡から駆けつけてくれたタゴモリさんが、持参してくれたクラシックギターで、心を込めて、坂本龍一さんのaquaを弾いてくれた。アクアとは水のこと。石木川の河畔で炭谷さんがついさっき、「ここで、坂本さんが川面を覗き込んで、“ああ、こんなに小さい川を大きなダムで塞ごうっていうのか・・・”と言っていたっけ」と呟いたのを思い出した。すみこさんの近所の座り込み仲間たちも加わってくれて、思いがけず、すばらしいライブコンサートinこうばるが実現。帰りには、すみこさんが軒下の柿すだれからたくさんの干し柿をとってお土産にくださった。

 



炭谷さんにお願いして、こうばるの戦時遺構をいくつか案内してもらった。戦時中、軍はこの辺一体に、本土決戦に備えるための基地を突貫工事でつくろうとしていたらしい。前にほずみさんを訪ねた時に、家のすぐ裏の崖に穿たれた防空壕の跡を見せていただいたり、福浄寺の前住職に川棚周辺の二つの大規模な防空壕を案内していただいていたりした。このことが気になってしかたなかったので、炭谷さんに質問してみると、ダムによる水没予定地の中にも、防空壕のような戦時遺構がたくさんある、いくつか行ってみましょうと、言ってくださったのだ。


 

壕の多くは、すでに入り口が塞がれていて、中に入ることはできないが、崖に隣接するように作られたコンクリート製の頑丈な一棟には今も入ることができる。これはどうやら一種の発電所だったのではないか、と炭谷さんは考えている。その空っぽの空間は、まるでかつての教会の跡のようにも思えてくる。高い天井の近くに穿たれた正面の穴から光が差し込んでくる。かつてこの建物を建てた人々、ここに出入りした人々にも、それぞれの胸に秘めた祈りがあったわけだ。

 

戦時遺構を回りながら、ぼくの思いは幾度も同じところに戻ってくる。当時のこうばる住民が、強制的にこの先祖伝来の地から強制移住させられていたという事実に。今、アメリカを迎え撃つ本土決戦も無謀なら、今、進んでいるダム建設も無謀だ。もちろん、時代も状況も丸っきり違う。でも、無謀な計画を強引に進めるために権力が振りかざす論理は、昔も今もそっくりだ。80年以上前のことだと思うかもしれないが、ダム計画が動き出したのは60年前、つまり、戦後わずか20年。強制移住させた集落が、再び移住を強いられるというのが、単なる偶然だと言われても、ぼくには容易に飲み込めそうにない。

 

最後に、炭谷さんに案内していただいたのは、こうばるからすでに外へと移住された方々の先祖のお墓を水没予定地より高い場所へとまとめて移動した代替墓地へと案内していただいた。それは、ぼくが彼に戦時遺構についてこう質問したのがきっかけだった。これだけ多くのしかも大規模な建造物を建てる際の労働力となったのは誰だったのか。答えは、ぼくが予想したとおりだった。多くの朝鮮人が動員され、死者も少なくなかった、という。それを炭谷さんの世代は年寄りたちから聞かされていたが、いつの間にか、それを口にしないという不文律のようなものができていた、と。

 

その死者たちはどこに葬られたのでしょうか、というぼくの問いに応えて、炭谷さんはぼくたち一行を、代替墓地に連れていってくれたというわけだ。水没予定地から外へと移住された方々の先祖の墓地の片隅に設られた一区画に、無縁墓が集められていた。



そこに建てられた碑にはこんな文字が刻まれていた。

 

「石木タム建設事業に伴い祓川墓地に葬られ 故あって縁に辿り会えていない墳墓を改葬し 移転埋葬した この霊園はあらたかなる虚空蔵山に抱かれ ダム湖を一望できる場所に位置し 自然豊かなこの地に観世音菩薩を建之し 末永く先祖を供養して地域の平和と発展を祈念する 合掌」

 

日付は平成十六年九月とある。「あらたかなる虚空蔵山に抱かれ ダム湖を一望できる場所に位置し 自然豊かなこの地に・・・」というのが切ない。「故あって縁に巡り会えていない」人々の無念に思いを馳せる。「故あって」の「故」について、ぼくたちは知らん顔で済ませるわけにはいかない、と思いつつ、一方で、その「故」の重さに一瞬押し潰されそうになる自分がいる。それもあれも、すべてを水底に沈めて、「ダム湖を一望」する。それが「平和」と「発展」というものか? そんなはずはあるまい。


 

見張り小屋の一つではちょうどナカオさんが「ホタルの里こうばる」の道標になる新しい丸太づくりに精を出していた。またそのナカオさんは、石木川ミュージアムでは傷んだ床の張り替えをやってくれていた。F I R M(石木川ミュージアム友の会)のメンバーとして、ぼくたちもじゃまにならないように気をつけて中に入って、床掃除やガラス戸拭きを手伝わせてもらった。




今回の報告はここまでにしておきます。12月でまつさん、99歳の誕生日を迎えられ、ミュージアム(団結小屋)で、ナカオさんとお祝いされた、とちよさんが教えてくれました。数えで100歳! なんておめでたいんでしょう!!まつさん、おめでとう。そして、まつさんの幸せな人生のパートナーたちであるご家族、そしてこうばるコミュニティのみなさん、おめでとうございます。そのまつさんがダム問題に触れてこうおっしゃったということがどこかに書いてありましたよね。「私を殺してダムをつくんなさい」。一瞬、ギクッとさせられる言葉ですが、ちょっと考えればすぐわかります。まつさんにとって、「私」という存在は、他から切り離された個体として存在する「私」なのではない。愛する人々、生きている者とすでに亡くなった人々、そしてこれから生まれてくる人々からなる共同体、ふるさと、その生態系、そこに生きるすべての生きもの、山や川や森や田畑・・・と切り離しがたくつながっている。ダムとは、その網のような無数のつながりを丸ごと“殺す”ようなことなんですね。

(2025年11月末記)

 

③    「石木ダム水源地域整備計画(案)」を”検証”してみよう

 

明日12月7日は、川棚で、石木ダムについての県による説明会があり、いよいよ大石県知事が登場する。聞くところによれば、この知事は来る2月の知事選で再選を目指しており、石木ダムを予定通り進めていることをアピールする思惑をもってこの説明会に臨むのだという。事実、最近、この件についての沈黙を破って言動を活発化させているのだそうだ。いや、それでもぼくは諦めたくない。元々医師でもある彼の心の奥底に封印されてきた思いやりの心と、科学者としての良心に突き動かされるように、ダム計画見直しへと、この選挙を通じて一歩大きく踏み出してくれるかもしれない。

 

その知事はつい先月にも、「石木ダム水源地域整備計画(案)」なるものをひっさげて、川棚にやってきたのだった。ここでは、知事の説明を支える資料として配られたパンフの各ページの写真に沿って、この計画がいかにお粗末で、「計画」と呼ぶのもためらわれるほど愚かしいものであるかを、見ていこうと思う。でも、どうか、これが知事を貶めるための議論でないことを理解していただきたい。60年前につくられたこの開発ブームの負の遺産を背負い込まされた知事には同情すら感じる。役人や広告業者がつくってきた「石木ダム水源地域整備計画(案)」を、彼が本気で信じているとは思えないのだ。選挙は近づいている。でも、まだ遅くない。選挙はチャンスなのだ。知事が、そして他の候補者が、ダム計画見直しという勇気ある決断を下してくれるように、ぼくは願っている。

 

まず、ここに出てくる全てのアイデア、作文、画像・・・、それらに制作するのにどれだけの税金が注ぎ込まれているのか。長年の教育や訓練を受けたはずの公務員、土木関係者、デザイナー、広告代理店、開発コンサルの社員たちの“知恵”がここには詰め込まれているはずだ。そしてこのザマだ。



総論に当たる部分をまず見ておこう。


「長崎県の河川は流域が小さく、河川の勾配が急であることから、水害を受けやすいと同時に水を貯める能力が低いという特徴があります。そのため、長崎県においては、地域の安全を守り、水を確保し、県民の暮らしを支えていくにはダムの建設は必要不可欠であるとともに、ダムを建設し、維持していくために地元の皆様の理解と協力がかせません。

一方で、ダム建設は、住宅や農地などを水没させ、水没地域とその周辺地域の人々の生活に大きな影響を及ぼします」

 

石木ダムはそもそもなぜ必要なのか。たびたびこの問いを投げかけられてきた県は、すでにそれに応えることを諦めているのか、石木ダムについてのプレゼンの冒頭で、主語を石木川の代わりに「長崎県の河川は」、と話をすり替えてしまう。そして、「そのため、長崎県においては・・・ダムの建設は不可欠」と言う。何という乱暴な議論の飛躍だろう。そもそも長崎県の川ではダムは不可欠というのは、数ある河川を一般化してダムの必要性を説くという暴論だが、それは今置くとしても、石木川におけるダムの必要性には一切触れないまま、ダムの建設と維持に「地元の皆様の理解と協力」が不可欠だというのは、子ども騙しにもならない。

 

ダムの必要性についての説明を完全にすっ飛ばしたまま、しかし、そのダムは造らなければならない。そしてそれは「住宅や農地などを水没させ、水没地域とその周辺地域の人々の生活に大きな影響を及ぼ」すことになる、というのだ。そして、「そのため、生活再建の支援とともに、水源地域への影響の緩和や地域の活性化を目的に、道路や水道の整備などによる生活環境整備や、スポーツ・レクレーション施設の整備などによる交流人口の拡大といった取り組みを進めていく必要」があるというのだ。

 

その必要性さえ説明できないダムによって、その「影響の緩和や地域の活性化」という必要が生じ、それを実現するためには、「道路や水道の整備」、「スポーツ・レクレーション施設」で観光を盛んにすることが必要になる、というわけだ。不必要が必要を生み、それがまた必要を呼ぶ。

 

そこから、プレゼンは、「ダム建設が地域へ及ぼす影響を緩和し、水源地域の方々が暮らしやすく、賑わいのある地域とする」ということの中身を説明していくわけだが、暮らしやすさについては、結局、水道や周辺道路の整備に触れる程度で、要するにこの案を制作した人たちの主眼が、いわゆる「賑わいの創出」にあることは明らかだ。こうばる住民の故郷をわざわざ水没させておいて、新たな「暮らしやすさ」と、おまけに「賑わい」まで創り出して差し上げます、というわけだ。

 

「石木ダムにおいても、ダム建設が地域へ及ぼす影響を緩和し、水源地域の方々が暮らしやすく、賑わいのある地域とするため、この基本理念に沿って、起業者である県及び佐世保市並びに地元川棚町とともに、水源地域の振興を図ってまいります」

 

「・・・虚空蔵山、日向の棚田、岩屋権現、木場浮立といった地域資源を活用した施設の整備による賑わいの創出を目指していきます。」

 

「虚空蔵山、日向の棚田、岩屋権現、木場浮立といった地域資源」を活用して、賑わいを創出するのではない。よく見ると、「地域資源を活用した施設の整備による賑わいの創出」となっている。大事なのは、「設備の整備」なのだ。虚空蔵山という聖地も、自然も、棚田や権現という文化遺産も、それだけでは何の価値もない。設備をつくることで、それらを観光の目玉として、客を呼び込み、金を落とさせることで、経済効果のある賑わいが創出される。それが、開発だというわけだ。でも、彼らはこの古びた言葉は使わない。代わりに「地域の振興」という。ただそこに川があるだけでは、山があるだけでは、人々が平穏に楽しく暮らしているだけでは、ダメなのだ。振興が必要なのだ。

 

彼らがイメージする「賑わい」とは何か? 計画(案)の5番目にある「新たな魅力の創出」として並べられているのはダム下流多目的エリア、岩屋交流エリア、木場多目的エリア、農産物販売施設、本場棚田だんだんまつり、ダムカレー、水汲み場などだ。

ダム下流多目的エリアでは、水遊び、遊具広場、キャンプ場、グランドゴルフ。岩屋交流エリアでは、水遊び、キャンプ場。木場多目的エリアでは、農産物直売所、虚空蔵の水汲み場・・・

 

この案はその振興の中身を開陳するはずのものだ。もちろん、それらは全て「絵に描いた餅」にすぎない。そしてその絵の拙さと言ったら! 想像力も創造性のかけらすら感じられない。そのほとんどは他のどこかからの“コピペ”。ぼくはその場にいなかったのだが、県知事は赤面せずに、それを一つずつ紹介することができたのだろうか・・・(後略)



(2025年12月6日記)

2件のコメント


temich2025
9月15日

Taiwanese pastry shops often have signature items worth noting, and this feature highlights a well-known bakery in Banqiao. The details at queenadaily.com/hongbei/dangaodian/xiaopandangaofang.html cover popular pineapple cakes and phoenix cakes with pricing context.

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temich2025
8月21日

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