ここに日本の将来がかかっている 石木ダムの見直しを
- 信一 辻
- 2 時間前
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去る2月8日の衆院選挙の結果は、ぼくにとっては悪夢のようなものだった(ああ、宇宙塵、きみはこの結果が見たくなくてさっさと逝ってしまったの!?と問うぼくに、彼はニタリと笑って、「あとは任せるよ」と言った、という気がした)が、実はぼくの心をわずかに慰めてくれたのは、同日に行われた長崎県知事選挙の結果だった。
60年前からのダム建設のために蛍舞う美しい里山と、そこに住み続けることを望む人々の住む13軒の家々を水の底に沈めてしまうため、近々、行政代執行を強行するという決意を固めた現職知事(当時)に対して、計画の見直しや再検証をも厭わないと、匂わせる対抗馬が勝利したのだ。(選挙結果を喜ぶことに不慣れなぼくよ!)
ぼくと友人たちは、「緊急声明」を発し、石木ダム計画見直しを公約するよう候補者たちに訴え、公約する候補に投票するよう、長崎県の有権者に訴えた。この運動がどれくらい効果があったかは定かではないが、埋もれかけていた石木ダム問題を争点化することには、ある程度役立ったらしい。勝利した平田氏は知事となった。ダム推進の自分の立場は変わらない、と知事就任後も言っているそうだが、その真意はわからない。ただ、ぼくは信じたいのだ。ただの選挙戦術としてダム問題の再検証を口にするような軽薄な人だと、ぼくには思えない。彼が葛藤を抱えているのは事実としても、心の奥底では、きっと、代執行のような暴力の先頭に立ちたくない、こんな誰の目から見て馬鹿げたダムをつくりたくないんだ、と彼は思っているに違いない。そうぼくは信じる。
というわけでみなさん、ぜひ、長崎県に向けて、川棚の、13軒の方々が暮らすこうばるに向けて、愛のエネルギーを送ってほしい。そして、同時に、今、推進派からのプレッシャーをシャワーのように浴びている平田知事に向けても。
愛といえば、ぼくが水没予定地のそのこうばるで出会った宮本博司さんこそ、愛の人だ。彼は建設(国交)省で、長年ダム建設に携わったエキスパートとしての経験と反省を活かして、今、石木ダムの再検証への道を開こうと奮闘されている。
以下は、ぼくが去年の11月に京都に宮本さんを訪ね、お話を伺ったときの記録の一部だ。ぜひ、これを読んでいただきたい。そして何よりも、彼の愛を感じていただきたい。
彼の話は本当に面白く、ためになるだけでなく、楽しい。彼は国交省を辞したあと、家業を継いで、樽職人となった人だ。後に、彼はダムも樽も水を貯めるという点で深い宿縁で結ばれていたのだと感じたという。その末に、開発についても「足るを知る」の境地に至った、というのだから、シャレているではないか。(その風貌も、ダムの専門家というよりは、落語家だ)
一つ、予告をさせていただきたい。この宮本さんにも来ていただいて、4月29日に現地川棚の名刹、福浄寺に集まり、石木川アースデイを開催する。(中身はまだ何も決まってないけど、とにかく面白いことをやるので、ぜひ集まってほしい)!その場で改めて宮本さんの話もゆっくり聞きたいと思っている。


宮本博司さんへのインタビュー
ききて 辻信一
2025年11月、京都にて
(注)ここに出てくる知事とは、当時の大石知事のこと)
ものすごく気持ち悪いダムサイト
辻:宮本さんはどういう経緯で石木ダムの件に関わられたんですか。
宮本:ダムの仕事をずっとやってた私ですけど、石木ダムに初めて行ったのは、実は去年の3月なんです。それまで、石木って名前は聞いてましたけど、あんまり関心をもっていなかった。元々国交省の時から、ダムのことやって、辞めてからも淀川の流域委員会とかやってたんです。その時はどっちかって言ったら、国が直轄で作る大きなダムとか、堰(せき)とかに対応してたんですよ。・・・このダムはおかしいじゃないかという立場で。でも、会社の経営もありまして、川の仕事も、よっぽどの要請がある時には行きましたけど・・・
たまたま去年(2024年)の3月に川棚の公民館で集会するという話があったんです。それに出る人が、来ないかって誘ってくれたので行った。それから、石木川に関わることになったんです。だから私はまだ、ほんとの新参者なんですよ。
辻:その時に現地を見て回ったんですか?
宮本:集会の次の日、こうばる(ダム計画で水底に沈むことになっている川原集落)のダムの現場とそれから川棚川を車で回りながら見せてもらいました
辻:で、どうでした? 人に会ったり、現場を見たりした第一印象というのは。
宮本:まずダムの予定地を見て、ものすごく気持ち悪いダムサイトやと思ったんです。私もそれこそ百以上のダムサイトを見てますけども。あそこは、「こんなとこにダムを造るのか」っていう感じなんですよ。特に、左岸、つまり上流から見て左側ですよね。道路から見たら川のあっち側。あそこなんてもう本当に山が薄いというか、貧弱じゃないですか。そうでしょ。あんなとこに、私だったらとてもじゃないけど、ダムなんて造らないという感じです。それが現場の第一印象です。
それとあとは、その講演会の後に、関係者のみなさんと公民館でちょっと集まって飲食したんですね。その時に私は初めて、こうばるに残られた13世帯の人たちと会ったんです。最初はどんな人が来てはるのか、全然わからなかったんですが、聞いたら、13世帯の人たちだった。そのみなさんがものすごく、なんちゅうかな、明るくてね。「あー、すごいな」と思いましたね。ずっと座り込みを続けているし、もう疲弊されてるのかなって思っていたんだけど、どなたも元気で。みなさん、お年寄りも含めて、「ああすごいな」っていう思いがあって。それが、まあ、第一印象でしたね。
辻:そうでしたか。いや、ぼくの第一印象もまさにそれでした。
宮本:もう一つ。集会で話を30分ぐらいしろと言われてましたから、勉強していかなと思って、石木ダムの計画について、県が出した資料に目を通したんですよ。そしたら、まあ、明らかに間違いというか、こんな理不尽なことはないということが書いてあるんです。だけど、それは、今まで裁判とかいろいろやってたけど、全然話題になってないんですよ。裁判の判決文も全部読んだんですが、そんなこと何も議論してないんです。
辻:例えばどういう点ですか?
宮本:例えば、私がいちばん最初に気づいたのは、昭和21年から昭和60年まで、あの川棚川流域に雨量計は存在しなかったと書いてある。裁判の判決文にね。それは県の主張ですよ。あっ、そうなんかと。で、みんな今までそれを前提に議論やってるわけです。反対派と県とのやり取りも。本当かいなと思って、県の資料をもう少し詳しく見た。そうしたら、県の資料に図があって、流域のここに雨量計があると示されてるわけ。何年から何年と書いてある。それを見たら、昭和21年から昭和60年までに、少なくとも川棚と上波佐見(かみはさみ)に雨量計があったんです。
なんや、これ嘘ついてるやないか、と。ああ、こういうことやってるんだなと思ったんです。はっきり言って捏造ですよね。その他にも、もう少し専門的なことですが、雨が降ったらどんだけ洪水が出てくるかっていうのをね、モデル計算するんです。そのシミュレーションモデルというのを、実際の洪水時の雨量のデータで計算した洪水量の数値と、実際に観測した洪水流量を比較して検証する。で、ずれてたら修正するわけです。それを見たら、大きな洪水の時に、肝心の川棚川の下流点と、石木ダム予定地点での流量をチェックすることがいちばん重要なんですが、なんと肝心かなめのそこのデータがない。検証するのに、実測データないんですよ! 検証するデータがないのに、県は検証したと説明している。そんなわけないやんか。
それと関係してもう一点、県の資料に、洪水量を計算したグラフがあるんですが、石木川が川棚川に合流する場所から少し下流の山道橋という基準点と、石木ダム予定地で、雨が降った際のピーク流量が同時刻になっとるんです。川棚川の流域に比べて、その支流である石木川の流域はものすごく小さい。そして石木川は急勾配で、本川である川棚川は流域が大きく、勾配も緩やかなんです。だから、同じように雨が降ったら、石木川の方が早く洪水のピークが来て、本川の方は遅れてくるわけですよ、当然。ピークがずれるはずなんです。ところが県が出しているグラフではピタッと時間が一致している。こんなことあり得ない。そんなでたらめなことを堂々と県は言うとるわけです。こうしたおかしなことが、他にもいっぱいあるんです。
辻:そういうことは、裁判の時などにダム反対する側からも指摘されなかったんですか?
宮本:全然その話をやっていない。私が今言うてることは裁判でも、県とのやりとりでも、一切出てない話ですよ。他にもたくさんそういうことがあるんです。
辻:専門家も指摘できなかったということですか。
宮本:今まで指摘されてないんです。
辻:じゃあ、住民の方々も知らなかったと?
宮本:知らなかった。ただ、住民たちは自分たちの目で洪水を見ていますから、洪水は石木川が先に出て、本川はその後に来るというのは、体験的にご存知やったんです。だけど、それが県の計画で、ピークがピタッと一致するとなっていることはご存知なかったんです。だから、私がそれを言ったら、そうか、我々も前からそう思ってたんや、と。
県は今までもういろんなとこで議論したものだし、それから裁判でも計画は認められているから、もうダムの必要性についての議論はおしまいや、と言っているわけです。でもその今までの議論でも、裁判でも、私が指摘したようなことはまったく議論されてないんです。
それで、こちらの意見をちゃんと聞いてくれという要請を市民側からしていたんですが、ずっと県は拒否してたんです、ところが、今年の2月ぐらいに県議会で、知事が、技術的な疑問点があるんやったら説明するのはやぶさかじゃないと言うて。それから説明会が始まって、今まで3回やって、この次4回目になるんです。
辻:今までの3回はいかがでしたか。
宮本:3回説明会をやったとはいっても、県の方はまったく説明できないんです。同じこと繰り返すばかりで何を聞いても説明できない。そういうことやったら、あんたら事務方とはもうできない、知事が出てきてくれと要請して、今度4回目は知事が出るということになってるんですけども。まだいろいろもめていて。
この説明会に13世帯が傍聴人として来られますから、知事としたらそれはやりたいんですよ。会ったというアリバイをつくりたいから。でも、なんで今もめてるかというと、これもバカみたいな話でね。公会堂でステージがありまして、今まではステージの上に県側と市民団体が出て、スクリーンを挟んでやり取りしたわけ。でも県側は、次回は知事が出てくるんだから、ステージ上には県側だけが座るって言うんですよ。市民団体側は客席から、一段低いところから、質問しろって言うわけです。昔の大岡越前のお白洲じゃあるまいし。
辻:いや、ぼく、その水の量を見た時に、川の小ささに驚いたんですよ。あんなちっちゃい川にあんな大きな建造物をつくるとは、何て暴力的だろうと。自然への、小さな集落への、レイプみたいだ、と。坂本龍一さんもこうばるを訪れた時に、橋から川を見下ろして、こんな小さな川に、と言って絶句していたみたいですね。
宮本:あの川にね、高さ55メートル、幅200何十メートルのコンクリートの壁をつくるなんてね、本当に川を殺す、まさにそう思います。ダムとしても、ものすごく効率の悪いダムですよ。
辻:地図を見ると石木川の流域は、本流である川棚川の流域全体の中の本当に小さい部分にしかすぎない。そこにダムをつくるっていうことの不合理さ、です。それは、裁判でも議論になってたわけですよね?
宮本:それはありました。流域面積が石木川は全然小さいわけですよ。だから川棚川の大きな洪水に対して、小さい流域にダムを作ったところで効果は小さい。ほとんど効かないじゃないかという議論は今までもやってたし、裁判でもやってます。
一つ言えるのは、昭和40年ぐらいから50年、60年ぐらいのあいだは、とにかく多くのダムを造るというのが、至上命令だったんです。ダムを造るっていうけど、治水のためというよりも、ダムを造ること自体が目的やったんです。
宮本:私がおった国交省の中の河川局というところに、開発課というダムを造る課があったんです。そんな課を作っちゃうと、ダムを造ること自体が目的になる。今じゃもう開発課なんていう名前もないし、開発なんて言葉もあんまり出ないですけども。あの当時は、とにかく開発って。私は国交省に勤めるあいだ、ほとんどそこやったんですよ。いちばん行きたくなかったのに。その開発課では、県のダムやったら、少々ええ加減でも構わんと。ダムサイトさえあったら、造ろう、造ろうという風潮やったんです。だから石木もね、まあ、そういう感じで、ずっときてたんでしょう。
辻:国交省の側から見たら、そのダム建設ありきっていうのがあって、でも石木ダムという県のプロジェクトが動き出して60年も見直されずにきたっていうのには、それを支えるだけの、よほどの利害が絡む必要があると思うんですが。
宮本:そうそう、国交省はまあ言うたらどうしてもそんなところに造る必要があるとは思っていませんよ。チョロッとしたダムですからね。それは要するに、ダムを造ろうっていう国交省の呼びかけに、県もほいほいと乗っかって、造ろうと思うわけで、それはやっぱり、利権ですよ。
これまでに造くられた他の県のダムにも、しょうもないっていうのがあると思うんですよ。ただ、一方で県自体が「やっぱり、これもう必要ないわ」といって止めたダムも結構あるんです。特に2008年、9年くらいかな、あの頃には全国で数十のダムを止めたんですが、その中には県のダムも結構あったんです。民主党政権ができる前、まだ自民党政権だった頃、亀井静香さんが大臣だったあのあたりに止め始めていったんです。
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辻:今はどうなんでしょう。そういうしょうもないダムを止めるっていうのは、やっぱり難しいんですかね?
宮本:難しいといえば難しい、確かに。土地収用もしてますでしょ。それで一応その土地収用が問題ないんだということを最高裁が認めたわけですよ。全然、中身がわかってないんですよ、裁判官なんて。それが一つのお墨付きになってるわけです。だから県は、ここまできたらもうとにかく突っ走ろうという話でしょう。
だけど、私はね、これはひっくり返せると思ってます。このダムはひっくり返さないといけない。戦後以降、もう川の命を失わせ続けてきた。私自身も加担してた者なんですけども。これをね、何とか止めないと。石木ダムは、本当に小さい川の話だけども、そこにダムを造るというのは、これまで全国で続けてきた川を殺し、里山を潰すというやり方を続けるということの象徴なんです。
ここは、たまたま13世帯が頑張ってこられたから、そのおかげで今の状態になってるわけです。でもこれまでに、本当は納得しないんだけども、もう仕方がないと諦めさせられて、賛成させられてきたダムがいっぱいあるわけ。もう本当に取り返しのつかないようなことをやってきてるわけですよ。石木ダムは、こうばるの13世帯の方々が頑張ってこられたから、今この状態で踏みとどまっている。
辻:そして、まだ今でもこうして問題として私たちに突きつけられているわけですよね。
宮本:私は思うんです。ここはね、やっぱりこれをそのまま造らすというのだけは、なんとかしないと、いかんと。
13世帯の方々は、とにかく絶対に納得しないと言っているのです。今住んでいる家に、我々は住み続けると。彼らがそう言ってるのにダムを造るうと思ったら、もう来年ぐらいには、行政代執行を強行しないかんのです。人が50人も住んでるところから、その人を引きずり出してね。あのピンク色のミュージアム(団結小屋の中につくられた“石木川ミュージアム”)もそうですよ。ああいうものを全部潰していくと。こんな強硬なことはやったことなんてないんです、日本では。
辻:成田空港のことを思い出しますが。
宮本:成田ではありましたけど、あの時はいろんな外部団体なんかも入ってきて、機動隊に入る口実を与えたという面があったでしょ。一方、13世帯の人は何にも悪いことをしてない、ただ住んでいるだけなんですよ。そんな、ただ住んでいるだけの人を引きずり出して家を潰すなんて、これは絶対できない話ですよね。本当にそんなことを県がやるのか、ということなんです。
確かに、ダム反対という声は県内で盛り上がらない。工事ももうここまで進んでるのだから、「もうしゃあないやんか」とか、そういう感じなんです。だから今さら自分たちが言うたところで、どうにもならんという話になって。ただ、そういう一般の県民も、何にも悪いことをしてない50名の方がずっと暮らしてきたところから引きずり出されて、その今住んどる家も重機で壊されるなんてことを許していいのかって聞かれたら、私はやっぱりそこは、それはちょっと待てよという心境になられると思うんです。私はそこがね、一つのポイントかなと思ってるんです。だからいろんな情報発信の活動や運動をしていかなあかんなと思います。
辻:最初に第一印象の話を伺いましたね。こうばる集落に残った13軒の人たちが朗らかで明るいということを言われましたけど、それって、何だと思われます? ぼくも衝撃を受けたんですよ、最初に伺った時。オーストラリアから来たぼくの活動家仲間の一家と共に、「希望のキャラバン」であちこち回っている途中でこうばるに立ち寄ったんです。70代を中心にみなさん出てきてくれてパーティを開いてくれた。ピザ窯でピザ焼いたり、いろんな食べものや飲みものをもち寄って歓迎してくれました。冗談を言い合って、みんなで腹を抱えて笑って。そして歌ったり、踊ったり。え、これが半世紀も反対運動に身を置いて、毎日のように座り込みをしてきた人たちなの? 一体どうなっちゃってるんだろうと思うぐらいのエネルギー。
宮本:自分たちがやっていることへの確信というか、それが間違ってないという自信というか。何ら後ろめたいことがないという確固たるものがありますね。それと、1軒、2軒じゃなく、13世帯が仲間として強い繋がりをもっている。特にね、女性陣がそうですね。団結強いですよね。
辻:毎日のようにいまだに座り込みやってる女性たちも、昔、若いお嫁さんとして村にやって来たわけですね。その当時は、もう今ではほとんど亡くなってしまった義理の親たちが運動の先頭に立っていた。その世代がやっていた坐り込みを次の世代であるかつてのお嫁さんたちが、ちゃんと引き継いで、村を守ってる。しかもそのまた次の世代にも、集落に残ったり、戻ったりして反対運動を支えている。これは他にはなかなか見られないことじゃないですか。
宮本:そうそう、そうなんですよ。まだお若い主婦の方なんかねもおられるしね。本当にすごいことです。
辻:それとぼくの印象では、こうばるの13軒を近く遠く取り巻いて応援している方々にはやはり女性が多く、この人たちがまた明るく爽やかで、怒りとは違うエネルギーに満ちている感じがする。これも、昔の典型的な反対運動とは異質だな、と。
宮本:同感です。私にはこういう気がするんですが、この石木ダムを考え直そうという活動はあの13世帯の方々のためというだけではなく、まあ当然それもあるんですけど、やっぱりこのでたらめなダムをやらせてしまったら、それこそ日本全体にとってまずいという直感に基づいている。日本の将来がかかっているというか。子どもや孫の世代に、こんなことをまだやっているような社会をバトンタッチしていいのかということだと私は思うんです。
辻:社会をこれまで何とか支えていたモラルが崩壊してしまうという感じでしょうね。
宮本:そうそう。ほんとに明治時代から、そして特に戦後になってから、ずっと続けてきた開発という名の破壊にこの辺で歯止めをかけないと。山や川を破壊し、あのこうばるのような豊かな里山を破壊し・・・。
辻:経済成長の名のもとに農的な暮らしや生態系を破壊し。
宮本:山や川、豊かな地域を破壊して都市を作ってきたというかね、そういう歴史でしょ。これからまたいつ戦争があるのか分からない情勢ですが、「国破れて山河あり」じゃなくて、今はもう破れる前から山河なしになってるじゃないですか。大災害が増え、これから南海トラフの大地震とかもあるし、いつどこで被災がするかわからないような時にね、農業や林業こそが大切になっていると私は思うんです。昭和に戦争で負けた後も、最後はやっぱり、農業とか林業とかそういうものが残っていたから、日本はまたもう一回立ち直れたわけじゃないですか。あの時、都市の人みんな農村に疎開したわけでしょ。そのいちばん大事な第一産業をやってるところを潰していくというのはね、これほんと馬鹿げた話ですよ。
辻:さっきの宮本さんの話ですね。一度始まっちゃったら、なかなか止めるわけにいかないっていう力学。もちろん土建屋さんが儲かってるから、やめたら大騒ぎするとかそういうこともあるでしょうが。
宮本:元々は、多分そういう利権のようなことからきてるんでしょうが、でも今、県が突き進んでるっていうのには、こういう理由でやらないかんということはまずないと思うんです。これまでやってきたから、我々の代で引っ込めるわけにはいかない、もうやってしまわなあかん、ということだけやと思うんですよ。
それが、たぶん代々受け継がれてきてるんでしょう。はじめ県庁に入って来た人間は、そんなこと思ってないんだけども、その中におったら、だんだん頭が狂ってきて、これはやらないかんのやと思い込む。多分、知事(大石前知事)もはじめは石木ダムのことを勉強して、どうしようかなって思ってた時期もあったんでしょうけど、もう県の中におると、役人からもいろんなレクチャー受けるうちに、ああ、これは俺が止めるなんて言えへんなと。たぶんそうなっていると思うんです。
辻:恐ろしいことですね、そう考えると。
宮本:戦前、アメリカと戦ったら負けるというレポートがちゃんと出来てたのに、やらなきゃしゃあないと突き進んでいったと言われますよね。そして、最後はやっぱりいちばん、被害を負うのは国民なわけじゃないですか。
なんとかしたいと本当に思うんですが、少なくとも私にできることは、石木ダムの計画自体が、いかにおかしいかを言い続けることかなと。この計画を普通に見れば、それが本当におかしいことは明らかなんです。善か悪かというような議論じゃなしに、まったくもう議論の余地がないぐらいおかしいんですと私は言いたい。まあ、それしか言うことがないわけで。だから、それを言い続けようと思ってます。




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