レイジーマン・コーヒー物語 その4
- 信一 辻
- 13 時間前
- 読了時間: 12分
数日前、1年ぶりのタイへの旅から戻った。北部タイには10日余り滞在し、ノンタオ村の他、チェンマイから車で6時間以上かかる遠隔地の村、メロキのほか、先住民が聖なる山と崇めるドイチャン(象の山)のふもとの村、ドイチャン・パペなどのカレン族の村に宿泊した。三つとも、若きリーダーを中心に、伝統的な森林農業(アグロフォレストリー)を軸とする文化の再生や、ローカル経済の再創造を目指すモデルとして注目されているコミュニティだ。また、今やタイを超えて国際的に注目される北部タイのコーヒーの生産に取り組んでいる点でも共通している。
連載「レージーマン・コーヒー物語」の第4回は、ぼくが友人たちとコロナ・パンデミックで渡航が不可能になった2020年1月に、はじめてドイチャン・パペに訪れた時の記録だ。その後、2025年2月、そしてつい先日の訪問で見聞きし、学んだことについては、また次に機会に紹介することにしたい。
<レイジーマン・コーヒー物語 その4>
ドイチャン・パペ村を訪れる
2020年1月、ぼくと仲間たちは、スウェとオシの案内で、ドイチャン・パペ村へ向かった。その村では伝統的な循環型の森林農業である“ク”を守り、維持しているのだという。ノンタオ村から2時間半ほど車で走っただろうか、広い車道から横道に入ったかと思うと、道はどんどんと狭く、悪く、急勾配になってゆく。あちこちで、道端の草むらが燃えている。前に焼かれて黒ずんでいる場所もあれば、時には道のほうにまで火がはみ出してきている場所さえあった。火の周りには人影がない。いったいこれはどういうことなのかと問うぼくに、オシは首を振りながら、吐き捨てるように、「クレージー!」と言う。近年、平地で土地を失ったタイ人たちが山へと入植し、こうして危険な野焼きを繰り返すようになっているのだ。それは農業のために手軽に雑草を処理することと、灰を即効性の肥料にすることを目的にしているらしいが、スウェとオシによれば、それは全くの見当違いで、このやり方は森が培った豊かな土を劣化させ、風化させるばかりだ。生物多様性の破壊、山火事や空気汚染の原因にもなり、化学肥料や農薬への依存も招く。現に、乾季が来る度に、チェンマイ市がスモッグに包まれて大問題となっている。しかし、それに対策を講じるべき政府自治体は、往々にして、タイ人入植者による野焼きとカレン族が何百年も行ってきた“ク”を、どちらも火を使用しているという一点で混同し、「部族民=森の破壊者」という昔からの偏見に今もしがみついているのだという。
道端の野焼きの火と煙が醸し出す嫌な雰囲気を振り払うように、ぼくたちを乗せたトラックは急坂をぐんぐん登ってゆく。ここはチェンマイ郡とランプー郡の間にまたがるドイチャン(象の山)という標高1420メートルの山の麓だ。パペ村と呼ばれる村は、その一つの峰に二百年以上前につくられたという。スウェたちの説明によると、かつて現在のチェンマイをも含む平野部にも広く定住していたカレン族は、次第に南から北へと進出してくるタイ人入植者に押されるように、北部の森で覆われた山中へと後退した。これも、暴力的な衝突を避けて、自分の方から身をひくカレン族らしいやり方なのだという。カレンは昔から、戦わずに、逃げ、隠れるんです、とぼくの若き友人たちはいつもの穏やか微笑みを浮かべて言った。
平地での長期にわたる生活のながりだろう、カレン族の集落では、傾斜地での畑作「ク」に代表される伝統的な森林農業と、平地での有畜の水田耕作を組み合わせた農耕が長く並存してきた。しかし、二〇世紀も後半になると、多くの村がそのうちの半分であるクの部分を手放し、失うようになっていった。前回書いたように、それにとって代わったのが麻薬のためのケシ栽培とその後の換金作物栽培だったのだ。ドイチャン・パペ村は、しかし、クを手放さないまま、生き延びてきた。山深いとはいえ、グローバル都市チェンマイから車で一時間もかからないような場所で、なぜそれが可能だったのだろう。二百年以上にわたる持続性の秘密をぼくは知りたかった。
どれだけ登っただろう、村が近づくにつれ、森の木々が青々とみずみずしくなり、みるみる空気が澄んでいくのがわかる。やがて、道の両側の森の中に、コーヒーの木が見え始めると、それが村への到着の知らせだ。
案内役をかって出てくれた青年はディプヌ。白い縦筋の入った赤の貫頭衣を着て颯爽と現れた。スウェやオシとも大の仲良しで、ジョニを深く尊敬している彼は、数年間、チェンライ地方でNGO職員として働いた後、故郷の村を守るという志を抱いて、ここに戻ってきたのだという。カレン文化の研究者であり、民族楽器を演奏する音楽家でもある。

ぼくたちはタイムスリップして、昔のカレン族の集落の中に立っているような気分になった。七〇世帯、二七〇人が暮らすこの村は、二〇〇年以上にわたって都市文明から自らを隔てて、隠れ里のように存在してきたのだという。他の村ではなかなか感じることのできない落ち着きと美しさが感じられる。外から押しつけられる強制的な変化を拒み、内発的な発展を選んできたからこそ培われた風格だろうか。標高はノンタオ村に近い1100メートル前後で、周囲の植生もよく似ているようだ。村のあちこちにあるコーヒーの木々にはこんもりと深緑の葉が茂って、いかにも健康そうだ。実は、この村ではすでにこのコーヒーのブランド化に成功、チェンマイ地域を中心に販売し、重要な現金収入を得ているのだが、それについてはまた後で触れよう。


ディプヌは、村の外交官、スポークスマンを自認している。彼が帰村するにあたって自らに課した使命は、彼が「ローテーション・ファーミング」と英語で呼ぶ「ク」が軸となって展開するカレン村落の生活文化を、外の世界の人々に正しく理解してもらうための教育活動である。「外の世界」には単にカレン族以外の社会だけでなく、タイ社会に同化して文化的ルーツを失いかけているカレン人たちも含まれている。博物館でではなく、現に人々が生きているこの村に来てもらうことで、五感を通じてカレン文化に触れて、その土台に息づくエコロジカルな知恵を感じとってもらいたい。“森の破壊者カレン”という根強い偏見から抜け出して、むしろここに、今世界中に求められている持続可能な社会のための重要な教えを見出してほしい、とディプヌたちは願っているのだ。
実際、ぼくにとっても学びの多い一日となった。
クの畑を見学する

まずは、クの仕組みについて、7年周期のローテーション(輪作)がどう進行するのかを、用意された写真のパネルを使って、ディプヌにレクチャーしてもらった。その後、ぼくたちはディプヌとピダという二人の案内で実際のクの畑(ディプヌが言う「ローテーション・ファーム」を見学する。ピダはディプヌの弟の義理の母親で、案内してくれるのは彼女の家族が昨シーズン作物を育て収穫した畑だ。

実際に立ってみると、畑は思っていた以上の急勾配だ。傾斜のせいでわかりにくいが、面積は1エーカー(約4000平米)ほどだろうか。収穫が終わってから二ヶ月ほどだというが、そこここに立つ切り株から出た枝が葉をまとって、すでに畑として使われたこの土地が、また森へと還るプロセスに入っていることがわかる。下草も根を張って、土壌の流出を抑えている様子だ。
クで栽培する作物のなかで、その主役は、村の主食である陸稲だ。稲だけで100種以上が今も栽培されている。その他に、豆類、とうもろこし、野菜類、胡麻、唐辛子、花、など40〜50種の作物を育てる。またクとハチの相性はとてもよい。ハチがクを支え、クがハチを支える。養蜂も伝統的な森の農業に欠かせない要素だ。
畑の周囲を見回すと、ぼくたち見学者には、どこも普通の森林に見えるのだが、村の人々にとっては、隣の森とこの畑は別々のものではない。今ぼくたちが立っているこの畑も、これから7年休んだのちには、隣の森のような姿になる。場所によっては7年以上、休ませる場合もある。
収穫などの大がかりな作業は、集落によってはコミュニティ全体が出て働くこともあるが、この村ではだいたい家族単位で農作業を行なっているという。クに関しては「所有」の概念はなく、ある家族が作物を育てているあいだは「その人たちの場所」であることを誰もが知っているが、その一年が過ぎればその土地はもう誰のものでもない。カレンにとって、クの土地は霊的で神聖なものだ。半年余りのあいだ、特定の土地を「借りる」、そして「預かる」という感覚に近いようだ。
クの畑にする土地を選ぶにあたって、よい場所か、ほどほどか、悪い場所かを予測するのだが、それはさまざまな自然界や精霊からのサインを感じとりながら行われる。まず、エリアの区画を決め、伝統的な作法によって、それを指定する表示をする。この選定の作業のあいだに、カメの声やイノシシの声が聞こえたら、その土地はあきらめる。その年はやめておいた方がいいという標{ルビ:しるし}だから。特にカメはパワフルな生きものとして知られる。他にも、自分たちが使っているナイフが壊れたり、夢のお告げがあったりして、その土地を断念することもある。これらはすべて、精霊たちが送ってくるメッセージだ。そもそも人間は精霊たちの許可を得て、大地を使わせてもらっているということを忘れてはいけない。
畑の場所が決まったら、開墾を始める。木々を伐る際、残したい木は膝よりも高い位置で伐ることによって、木が枯れずに再生するようにする。次に火入れを行なう。4月初旬から半ばにかけて、雨季の直前がよい。必要以上に燃え広がらないように、周到に準備する。火が燃えている時間は長くても一時間を越えない。そうすれば、草木の根茎はダメージを受けず、土が劣化したり、雨で流出したりすることもほとんどない。灰が肥料となって収量をあげるという一時的な効果と引き換えに、土地を傷めたり、森の再生能力を損ったりしないことが、カレンにとっては重要なのだ。平均15歳以下の樹木は二酸化炭素を活発に吸収し続け、健全な土壌は炭素を地中に固着する高い能力をもつことも今では科学的に知られている。その意味でも、クは環境保全型の森林農業(アグロフォレストリー)といえるだろう。

偏見と差別を乗り越えて
ぼくたちがディプヌたちと見学した収穫後の畑には、あちこちに手づくりの祠{ルビ:ほこら}が立っていた。栽培シーズンを通じて周到にとり行われてきた儀礼の跡だという。儀礼にはいくつかの種類がある。例えば、全ての作物がよく育つようにと祈る儀礼タテモー、悪霊を祓うためのタセ、火の精霊に感謝するタルメイ、害虫などの災害からの保護を願うタカカイなどである。

村には牛、水牛、豚、鶏、犬などの家畜が人間とともに暮らしている。家畜たちは休耕中の土地には自由に出入りできるが、作物が育っている最中の畑には、柵を巡らせて入れないようにしている。ただし、この家屋、家畜、そして村の下方の谷間にある水田などについては、少なくともこの村では、西洋近代的な意味での所有概念が浸透している。
村人たちがクによるローテーション農業を行なっている領域にも、たくさんの野生動物が棲んでいる。しかし、それとは別に、野生動物だけが生きる領域として、ここよりもさらに上、標高の高い水源地帯の鬱蒼とした森林が、コミュニティによって保護されている。にもかかわらず、タイ政府はその区別ができない、とディプヌたちはあきれたというように首をふった。クが行われる森と、動物たちのテリトリーとして森とを区別することができず、“ク=焼畑=森林破壊”として弾圧しようとしてきた。近年、学者や研究者たちのあいだでは理解が進んだとはいえ、政府や役人の古い偏見はなかなか変わらないのだという。
タイばかりでなく、「焼畑=環境破壊」という思い込みは世界中に行き渡り、先住民に対する偏見の一因にもなっている。だからこそ、ディプヌのような若い世代の先住民にとって、伝統農法における火の使用の意味を正しく伝えることが重要な課題になっているのだ。すでに触れたように、火入れは、乾季の終わりごろ、雨季の直前に行われる習慣だった。しかし現在、大気汚染や山火事などの問題に直面した政府はタイ人入植者による破壊的な野焼きや焼畑に対して全国で規制をかけており、そのあおりで、カレンが昔ながらの火入れを、最適な時期に行なうことが、ますます難しくなってきている。乾季が終わるまでは火をつけてはいけない、というわけだが、それでは伝統的なやり方はできないことになる。ここでも、政府は、全く意味の異なる二つの農法を区別することなく、「焼畑」という名のもとに一緒くたにしてしまっているのだ。

毎年、ディプヌたちは州政府や郡庁に赴いて、村人の生活がクという伝統的な農業を土台にして成り立っているということを説明し、交渉を行なう。今のところは、なんとか郡庁による黙認という形でクは継続できているが、いつ政府が弾圧に乗り出してくるか分からない。そもそも、中央政府の役人や政治家の多くは、山岳先住民の自給的な農業などには関心をもたない。現に、政府は一貫して、多品目を育てる自給的農業の代わりに、商品作物の単一栽培(モノカルチャー)を推奨してきた。
山の下方から入植者たちの徐々に上へ向かって移動するにつれ、山火事の危険も迫ってきている。これに対してドイチャン・パペ村では村人総出で、政府や自治体よりもさらに高度で意欲的な防災計画を立てて、対策に取り組んでいる。それが、“森の破壊者カレン”という偏見を振り払うことにもつながると村人たちは願っている。今回の訪問でぼくたちも実際に、森のあちこちに造られたファイアーブレイク(防火帯)や消化用水設備を見せてもらった。全て政府や自治体の助けなしに、村人たちが自力でつくったものだというのには感服した。

農民運動と先住民運動のリーダーとして、長年ジョニが言い続けたことの正しさが、この村に来ればよくわかる。先住民が森を守り、近代文明が森を破壊してきたのであって、決してその逆ではないのだ。しかし、ディプヌたち、カレンの若いリーダーたちは、単に民族の過去について語っているのではない。世界中で、農業や食産業が土壌の流失、生物多様性の減少、気候変動などを引き起こす主な原因と成り下がっている現状を変えていくために、先住民に伝わる知恵がきっと役に立つと確信し、本気で、そのモデルを提示しようとしているのだ。
(続く)




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