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山岳民族の人権と暮らし:若きリーダーたちpart1~2026.02北部タイツアー、テーマ別日記 会津順子

10 時間前
読了時間: 9分

ナマケモノ俱楽部では、「リジェネラティブ&ローカル・ツアーin 北部タイ」で、2026年2月18日~23日に、カレン民族のコミュニティを訪れました。自給的な暮らしを営む人びとの日常を体験させていただきながら、アグロフォレストリーについて、循環型伝統農業について、先住民族の若い世代がとりくむローカルビジネスについて、五感で学ぶフィールドワークの旅です。


頭だけでなく、身体、心を「今、ここ」に置き、現地の自然や人びとと共に時間を過ごしながら得た、かけがえのない学び遊びの時間を、ツアーに参加したメンバーたちが分担して報告レポートにまとめました。連載形式で紹介していきます。


>>現在、11月4日から10日に、収穫時期の北部タイを訪れるリジェネラティブ&ローカル・ツアーの参加者を募集中です。ぜひこの機会にご一緒しませんか?詳細はこちら


山岳民族の人権と暮らし〜若きリーダーたち〜

会津順子

 


「チェンマイ山岳民族博物館」で基礎情報を得る


今回のツアーの前提として、タイ北部の山岳民族に関する知見を紹介します。スタディツアーの2日前から、チェンマイに入りました。チェンマイ市内の「チェンマイ山岳民族博物館」を訪ね、予備知識を得てツアーに臨みました。


「チェンマイ山岳民族博物館」は、1965年設立のチェンマイ大学研究センターが前身で、1997年、ラマ9世ランナー公園内で民族資料学展示を開始し、今はチェンマイ県が運営しています。山岳民族の暮らしを説明する写真、道具などが展示されています。山岳民族は現在、タイ国内で約90万人と言われています。それぞれ、ヒマラヤ圏をはじめ、ミャンマー・中国・台湾などを由来としています。


最も多く住むカレンが35万人、続いて中国系のモンが12万人、狩猟系のラフが11万6000人、民や秦の時代から流れてきたアカが8万7000人、台湾から来たミェンが5〜6万人、リスが3万6000人と記載されていました。また口語だけの少数民族は、カム、ルア、ティン他。そしてナーン県の標高2千メートルの奥地に住む現在たった300人のマラブリ族については、今も研究が進められているそうです。



2010年ごろの山岳民族についての知見をたどる

 

筆者は2003年から2014年の12年間、長野県とチェンマイ市を拠点に、「タイ奨学金里親プロジェクト」というNGOを運営した経験があります。チェンマイ県チェンマイ市とサンサーイ町、パヤオ県ドークカムターイ郡の小中学生最大120名の子どもを支援するため奨学金制度を作り、2015年からはロータリークラブに引き継ぎ今も続いています。


2010年前後に筆者は、小学生だった子どもも連れて北タイを訪問し、支援中の小中学校を訪ねたほかに、山岳民族の村にも立ち寄って金銭的な支援も行った記憶があります。


当時はすでに、タイ王国として山岳民族の子どもたちへの教育支援がスタートしていました。王様のプロジェクトにより小さな学校を村内に作り、チェンマイから教師が派遣されているところもありました。しかし奥地の小さな村の山岳民族の子どもたちは、親から離れて寮に入って、町で小学校・中学校・高校と教育を受けていました。ただ、それにはお金が必要であり、全員が通える状態ではありませんでした。そのため民間のNGOが支援活動をしていました。


さらに歴史を振り返ると、北タイでは、戦中は日本兵が駐留し、インパール作戦に巻き込まれ命を落とした方も多く、慰霊碑が点在しています。その後、さらにトライアングル地帯という名で知られるように、戦後の貧しい時代に、中国から持ち込まれ、すぐにお金になるケシの栽培も山岳民族の間で盛んとなっていました。


2011年に書かれた当時の報告書を読み返すと、北西部の標高1500メートルのラフ族、リス族、カレン族の村を訪問。すでに1980年代から政府による山岳民族の定住政策が始まっていたと書かれていました。国籍を持たない山岳民族たちが、タイ政府により彼らの暮らしの要であった焼畑農業を禁止されたとしています。そのため、山岳民族の人々は移動し山を開墾できなくなりました。同じ土地で何年も連作しなければならず、収穫量を増やすのには高価な化学肥料を使用せざるを得ない。こうして地力が失われていったと報告されています。ちなみにコーヒー栽培については、ある村では各家庭で消費する程度と書かれています。


今回のスタディ・ツアーで聞いたのは、当時、タイ民族や山岳民族間で土地を奪い合うということが繰り返し起こっていたとのこと。山岳民族の迫害でタイ民族がわざと火を山に放ち、山岳民族のせいにしたとの言及もありました。トウモロコシなどの単一農業の担い手として搾取され、働いても、働いても、楽にならない日々が、未だ多くの村で続いているといいます。




土地の剥奪、出稼ぎや売春、不当労働、壮絶な差別の中で

 

また、今回のスタディツアーでは話題にはなりませんでしたが、筆者の運営していたNGOの2003年前後の現地リサーチによると、山岳民族に限りませんが、女の子たちの多くは国境の売春宿に売られたり、日本をはじめとする国外に売られたりするという悲劇が起きていました。男性もまた大都市に出稼ぎに行き、当時はHIVに感染して命を落とす人々が後を絶ちませんでした。筆者の運営していたNGOでも、両親をHIVで亡くしたり、出稼ぎ先で家族を作ったために捨てられたり、という子どもたちの学費を積極的に支援していました。実は当時、HIVに加え、臓器売買にまでも子どもたちは巻き込まれていたのです。2008年に公開された映画「闇の子どもたち」には、その凄まじい現実が描かれています。(注:観るのには相当な覚悟が必要) 今も一掃されたかどうかは未だ定かではありません。


さて、山岳民族の子どもたちに目を向けると、筆者が最後にタイ・チェンマイを訪問した15年前の2011年に、日本人が運営するタイ北東部チェンライ県の山岳民族の子どもたちの寮を訪ねました。たった6歳で親と離れて寮で暮らし、学校に行く子どもたちのいじらしい姿が目に焼き付いています。タイ民族からの山岳民族に向けられる眼差しは厳しく、差別やいじめに苦しんでいることも耳にしました。ですが当時、運営者である「さくらプロジェクト」の代表が中心となり、山岳民族の文化を残そうという活動を寮の子どもたちは始めていました。



こうして戦後、山岳民族の村々では、出稼ぎや売春により若者たちの姿が村から消え、残された年配者は過剰労働、子どもたちは安い対価で観光客に手作りのものを売ったり、民族衣装で写真を撮らせたりなどの方法でしか生活が成り立たなかったのです。その結果として、山岳民族への差別意識がさらに高まるという悪循環が続いてきました。元々は焼畑や狩猟などで森と共生しつつ、自分たち固有の豊かな生活文化があっにもかかわらず、現代社会のなかで数十年に渡り迫害され、搾取され、病気や貧困に見舞われながら、生き抜いてきたのが彼ら山岳民族の暗い側面なのです。



スタディツアーで出会った若きリーダー

 

さて、今回のスタディツアーで出会った、30代の若きリーダーたち。まさに当時、そうした苦難を乗り越えて、学び続けた子どもたちの中から、生まれてきたのだと実感した旅でした。


初日に行ったランプーン県の人口270人の村、ドイチャン・パペのリーダー・ディプヌさん。最初に山岳民族が生産するコーヒーを商品化して販売するカフェ「PA’KA Coffee」を訪ねました。ここは10年前に作ったとのこと。


ディプヌさんは、大学で学んだ知識を活かし、志を同じくする仲間と協力して、カレン族の暮らしの原点であった循環型農業「ク」の仕組みと、土壌や自然環境に与える効果について研究し、行政をはじめ各方面で発表してきたそうです。


循環型農業「ク」とは、各家族が村人たちと協力しあいながら、7年に1年ずつ、小さな森を場所を変えて借り、燃え広がらないようにまずその土地を整備、雨季の寸前3月ごろに火を入れます。火が消え、4月に雨季に入り潤った土地に、50種類以上の種を蒔きます。野菜や果物、大きくしげる広葉樹まで。11月には、さまざまな野菜の収穫期を迎えます。収穫を終えると、少しずつ木が生え、木の株からは枝が伸び林となり、5年もすると森に還ります。


「7年後には豊かな森へという循環が生まれる」


カフェ「PA’KA Coffee」にはコミュニティ情報センターとしての機能を持ち、データをパネル化したものが壁面に展示されていました。国が定めた炭素放出削減のルールに対して、山岳民族のコミュニティとして、どれだけのことをやっているのかをデータで表していました。森を焼くことで排出する炭素を、この農法によって健全に保たれる森がどれだけこの炭素を保有しているのか・・・。


「私たち先住民族は森の破壊者ではない、科学的根拠を見てほしい」




驚きの「自主防災システム」を作る若い力


チェンマイでは特に雨季の前の3月に大気汚染が深刻化しています。政府によってその原因は長年にわたり、山岳民族による野焼きだとされてきました。特に焼畑農業による暮らしを営む「カレンも責められてきた」とディプヌさん。


実際は、それだけではなく、山岳民族に限らず農家によるイネやトウモロコシなどの収穫後残った作物の焼却、そして乾季に乾燥し切った状態で多発する森林火災などが原因と言われています。チェンマイの気候は、朝晩は16度前後と涼しいイメージがありましたが、今回の訪問では市内の暑さは10年前とくらべ確実に上がっていました。地球温暖化によって、森林の乾燥が進んでいるという肌感がありました。


カフェを出て、トラックの荷台に乗り、山間地にある民家にわかれ一夜を過ごしました。電気はなく薪で食事を作る暮らしを体験。川魚の煮付けや野菜と卵の炒め物、ハーブや木の花などが豊富に使われた料理で、ご飯と一緒に食べました。



翌日には循環型農業「ク」を実際に見学。また、ディプヌさんたちは、自分たちの手で消防システムを作っています。水源をマップに落とし込み、行政の許可を得て、水源から水を引き、ため池を作ります。いくつかの拠点に水を入れた保水タンクを配置。見晴らしのいい山の上に、人力で貯水池を作っていました。たった数日で、村人たちが掘って作ったと聞いたときには耳を疑いました。コミュニティの底力を目の当たりにしたのです。


尾根には、太陽光発電機を備えた、自動消火装置が配置されていました。遠隔操作も可能で、煙に触れると感知して水がシャワーのように降る仕組みとなっています。これは世界初の仕組みだと胸をはるディプヌさん。若い村の人々の力と知恵を集結した取り組みです。



スタディツアーのメンバーを、20代から30代の村の若者たちが共に案内し、バイクで下山させてくれました。急坂をバイクの背で降りる体験に、悲鳴を上げつつも、若い世代が村に戻って、コーヒー栽培をはじめ防災活動にこうして活躍する姿を見て、心洗われた思いで村を後にしました。


前日の夜のキャンプファイヤーで、YouTubeでも発信しているディプヌさんの歌を聴き、さらに村の長老が静かにこう話してくれました。


「神は土を使って人間を作ったのです。土の面倒を見ることが我々の役目です。土を大切に扱えば天国に行き、土をひどく扱えば病気になり地獄へ落ちるのです」



続く・・・

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