山岳民族の人権と暮らし:若きリーダーたち part2~2026.02北部タイツアー、テーマ別日記 会津順子
part1はこちら。

レイジーマンの息子、若きリーダーと出会う
私たちが出会った山岳民族の2人目の若きリーダーは、チェンマイ県ノンタオ村のスウェさんです。筆者は2024年の12月に、企画したナマケモノ倶楽部が作った映画「レイジーマン」を、長野県飯山市の山間地にある「古書館Café未来」で観ました。そのレイジーマン・ジョニさんの息子がスウェさんで、映画にも出演していて、英語も堪能でした。到着した日の最初の挨拶で、スウェさんがこう語りました。
「カレン族は、かつてジャングルの中に暮らしていた民族。ゆっくりとグローバル化に適応しつつ、今のスタイルを作った。けしてやさしい道のりではなかった」
そして、「自分のコミュニティというつもりで過ごしてください」という一言が嬉しかった。まさに映画の中のこの人に出会えた! という感動の瞬間でした。
翌日には、ノンタオ村の田畑や森と共生するコーヒー園を歩いて案内していただきました。昔は熱帯のジャングル・森の中で、毎年移動して行う循環型農業「クッ」を行っていたのですが、今は、行政の指導で田んぼが広がり、風景が変わってしまったといいます。朝霧の中、日本の田舎にも見られる里山のような美しい風景。ところが白く光るものが遠くに点在しています。これはビニールハウスで花卉を栽培している人々がいるとのこと。夜もそのビニールハウスの明かりが消えず、灯り続けていました。
スウェさんが中心となって村で取り組んできたのがコーヒー作りです。もともとコーヒー自体は山に自生していましたが、果物として実を食べる程度で、コーヒーをたしなむ習慣はなかったといいます。森の中の斜面にあるコーヒー畑で、実を取って口に含むと、そのおいしさに驚きました。コーヒーは果物だったのかと改めて認識した体験でした。
花卉やトウモロコシ、イチゴなどの単一栽培に頼らず、どうしたら村人たちの暮らしを豊かにできるのか。最初は資金のない中で、手探りでスタートし、皮剥き機や、焙煎機などを少しずつ揃えていったそうです。5家族ほどで収穫を繰り返し、小ロットで運べる量を生産。焙煎前の生豆を作るところまで、皮を剥いたり乾燥させたりして、商品の質を上げることに取り組みました。剥いた皮は田んぼで有機肥料として熟成させ、稲作や野菜、コーヒーの肥料に使っています。
その味は本格的で、レイジーマンコーヒーとして日本にも生豆で輸出。今回のツアーに参加されたウインドファーム中村隆市さんが、最初にこのコーヒーを見いだし日本に紹介した方として知られています。

コーヒー生産がある程度軌道に乗っても、スウェさんたちは、大量生産には走りませんでした。生産量を抑えて付加価値を上げ販売することを目指しています。人脈を広げ、勉強を重ね、焙煎機を国内で作り、販売する際の焙煎の種類も増やしました。
コーヒー豆を眺めながら、カレンの人々の信念である「足るを知る」という言葉が、ここでも頭をよぎります。私たちが長い間信じてきたグローバル経済思考であれば、儲かったら人を雇って生産量を上げ、さらなる経済的な豊かさや名声を求めるはずです。
「穏やかに暮らしていければそれでいい。レイジーマンですから」とスウェさんは微笑みます。
筆者はスウェさんの経営するレイジーマンテラスに宿泊しました。美しい田園風景を眺めながら、ミーティングできるスペースや、ゲストハウスがあります。今回の私たちのスタディ・ツアーのように、山岳民族の暮らしに関心のある人たちを、世界各地からこの村に迎え入れ、コーヒーや村の野菜や果物を振る舞いながら、温かい交流を続けているのです。
活動家の父を持ち、現代に即した暮らしを模索
夜、スウェさんが日本人に教えてもらって作ったという自家製の梅酒や、地元の商店で買ったタイビールを飲みながら、スウェさんにご家族の話を聞きました。
父であるレイジーマン・ジョニさんは80歳。戦中にはたくさんの人が亡くなり、貧困が厳しさを増したそうです。ケシの栽培と吸引により、多くが命を落とし、親も兄弟も失いました。政府の方針で単一栽培などにも取り組んではみたものの、「ある日、何もしない、レイジーになるんだ」と、耕作を放棄したのです。世界を飛び回り、山岳民族の現状を伝える活動も始めました。
「そういう父のもとで、残された母と自分を含む9人兄弟がどれだけ苦労したことか。本当の貧困を体験した」と、遠くを眺めて目を細めます。「今でも兄の1人は、父が許せないでいる」と、漏らしました。
スウェさん自身は、「さまざまな試練のなかで、父の気づきや行動があったからこそ、今の暮らしがあり、今の自分がいる。だから父を尊敬している」と、真剣な眼差して答えてくれました。(酔っていたので、話は少し盛っていますが、笑)

幸いなことに、そんなレイジーマンの背中を見て育った兄弟たちのほとんどは、今、近くに住み、ことあるごとに協力し合っています。実際に、レイジーマンとスウェさんの自宅から少し離れたゲストハウスに、最後の朝に迎えにきてくれたのはスウェさんのお兄さんでした。そして、スウェさん自身も素敵な妻と子どもたちに恵まれ、これだけの事業を回しているのです。カレン族本来の文化や祈り、そして哲学を掘り起こし守りながらも、現代のテクノロジーや経済活動をうまく取り入れつつ、平穏な暮らしを取り戻しつつあるこの村。
「レイジーマンなのに、いつも忙しい」と、照れながら笑う働き者のスウェさん。その優しく穏やかな笑顔と、ホスピタリティあふれる言動に、筆者だけでなく訪れた人は魅了されていました。
何よりも、夜、焚き火を囲んで、日本の沖縄の歌をギター片手にスウェさんが音楽を奏で、歌ってくれた時間は、筆者にとって人生の宝物です。そしてその夜が明け、スタディ・ツアーの仲間が朝霧の田園風景を背景にハワイアンダンスを踊り、滞在していた日本人陶芸家がこの熾火を使い入れてくれて飲んだ一杯のレイジーマンコーヒー。それは、一生忘れられない至福の味でした。

ツアーの立役者、カレンの広報役オシとの出会い
功労者と言えるのが、このツアーの現地コーディネーターで、ノンタオ村出身のオシさんです。ナマケモノ倶楽部代表の辻信一さんを、10年ほど前、この村に招き入れ、レイジーマンやスウェさんに引き合わせたことが全ての始まりだったとのこと。
筆者はオシさんに、2025年9月に同団体の企画するインド・ラダックへのスタディツアーで出会いました。ヒマラヤの山岳民族の暮らしを体験するツアーに一緒に参加。その寡黙な青年は、不思議な手作りの楽器を手に持ち、静かな微笑みを浮かべながら、堪能な英語でみんなと交流していました。「2月に僕の村にぜひきてください」。その一言に背中を押されるように、今回のツアーに参加しました。
彼の家には大きな犬が2匹いて、食堂の2Fにはミーティングルームが完備されていました。そこで、スタディツアーのメンバーが集まり、瞑想とワークショップを行いました。座布団を自分の村に見立てて守り、そこに侵略する鬼がやってくる。一つだけ誰もいない座布団がある。さあ、どうしたら守れるのか・・・。童心に帰りつつも、世界全体を見渡して、かつ、自分の足元を守ること、また人の役割を意識して人を信じつつも、自分の役割を模索すること。小さなワークから大きな気づきをいただきました。
そして、全員裸足になって、庭を歩きました。裸足で地面を歩くなんて、子どもの時以来です。石や尖った小枝を踏まないように、そして日の当たる草は暖かくふかふかしている。まるで赤ちゃんのように、足や手や肌に触れる全てが新鮮でした。
その朝、筆者が、ゲストハウスからオシさんの家に歩いて来る途中、靴のまま増水した川にぽちゃりと落ちてしまったのですが、それを話すとオシさんはこう答えました。
「ノンタオという村の名前は、沼に落ちるという意味なのです。だからあなたが川に落ちたことは、この村に受け入れられた証拠です」
今回出会った、若きリーダーたちの共通点は、忍耐強く穏やかで、智慧があることです。そして、物事を角度を変えて見る力を持っている。その思考の豊かさはどこから来るのでしょうか。こうした山岳民族の人々の智慧やセンスが、先進国の人たちに比べどれだけ抜きん出ているのか。それがよく理解できました。

アカ・アマコーヒーの創業者の原点はコミュニティデザイン
チェンマイ市内にもどった5日目、東京で2店舗を構える「アカ・アマコーヒー」の「アカ・アマ リビングファクトリー」創業者のアユさんを訪ねました。まず、その建物の佇まいと内装のセンスの良さに驚きました。アカ族の伝統の模様が壁面にあしらわれています。テーブルにも古い木材が使用され、コーヒーのパッケージデザインも魅力的です。たくさんの個人客で賑わっていました。
こうした事業を組み立てた原点は、村を出てチェンマイ市内の中高に通い、先住民支援のNGOで働いた経験から。学校では山岳民族出身というだけで差別を受け、村に帰りたくても帰ったところで仕事がない。自分自身の役割は何か、何のために生きるのかを必死で考えたそうです。
2009年23歳の時に、一念発起して村に帰り、1年かけてまずそれぞれの家族から自分たちの暮らしについてリサーチしました。親の世代が、子どもたちにそばにいてほしいが、自分たちは貧しく差別されていること。そんな苦しい思いを聞き取っていきました。
「自分たちはダメで劣った人間だと感じてほしくなかった」
若者も年配者も、一人一人の思いを汲み取りつつ、コミュニティデザインをスタート。若い人たちはかっこいいものを求めている。年配者は若い人たちと働きたい。そしてコーヒーを育てることに慣れている・・・。大学で学び、本を読み、仲間と共にコーヒー作りに没頭していったと言います。

こうして2010年に、アカ・アマコーヒーをスタートさせました。「Value(価値)」を作ることを土台に置く事業。
「コーヒーを作ることが目的ではなく、山岳民族としての新しい価値観を育てること。そのことで、行政や社会にアピールし、次世代が誇りを持ち、未来を描ける社会にしたい。そうすれば、自分のようにみんなが村に帰って来られて、コミュニティが取り戻せるに違いない」
2010年にはロンドンのワールドコーヒーイベントで、アカ・アマコーヒーがベストテイスティング賞を獲得。一方で、焙煎機を導入した2013年ごろまで、まだ、タイ国内ではコーヒーを飲む文化が育っていませんでした。創業当初から、チェンマイ在住の日本人の協力を得ていたこともあり、東京に出店。もともとコーヒーを飲む文化が育っていた日本での成功により、逆にタイ社会へ与えるインパクトが大きいと考えたのです。
タイ国内での山岳民族への差別意識を変えられる。そんな思いが生んだ取り組みです。最後に将来の夢をたずねると、こう答えました。
「気候変動を食い止めたい。そのためには、農業の風景を変え、森を取り戻したい」

TOKIコーヒーをコミュニティスペースに
最後に訪問したのはチェンマイ市内にある「TOKIコーヒー」のトキさんです。カフェの奥の会議室で、人口1000人、カレンのクンメー・ルアム村の説明をしてくれました。先人たちがコーヒーを作るまで苦労した背景を説明。また、政府の方針で単一栽培を余儀なくされたトウモロコシ畑を減らし、アグロフレストリーを復活させ、森へと戻したいと訴えました。
一方で、「このカフェを街の中のカレンのコミュニティスペースにしたい」とも話します。
チェンマイ市内では、今も山岳民族出身の若者たちは、企業やお店で働き、村に帰ることができません。カフェを運営することで、チェンマイで働くカレンの若者たちに、少しでもこの活動に興味を持って気づいてほしい。そう願うTOKIさんです。

最後に・・・活動も人脈も循環している
タイの山岳民族の若きリーダーたちの想いは同じです。欧米が先導してきたグローバル経済に翻弄されるのではなく、テクノロジーや仕組み、市場をうまく利用し自分たちの文化や人権を取り戻したい。そしてアジアの理解ある人々と手を組んで、幸せの経済を作りたい。ホリスティックな広い視野を持ち、自分たち民族の誇りを取り戻し、ローカリゼーションを進める。その知見を地球全体の環境を取り戻す活動のために使いたい・・・。そんな彼ら若き山岳民族のリーダーたちが頼もしくも思え、そのエネルギーに圧倒されました。
かつて、筆者がNGOをやっていた2003年から2014年に、出会っていたかもしれない小中学生たちの中から、地球をも救おうとする人材が育っている。活動をはじめた頃の筆者は当時30代で今の彼らと同世代でした。時を経て今回、彼らの世代から何倍もの大きな贈り物をもらった気がしました。人権を取り戻す光が見え、彼らが少しでも幸せに生きている姿を見られてよかった。そんな気持ちになりました。
しかし、まだまだ山岳民族の人々の人権を取り戻す戦いは続いています。1人でも多くの人々が、誇りを取り戻して、充実した人生を送ってほしい、そう願った旅でした。そして、自分は何をすべきなのか、人生100年、これからの自分の役割を探っていきたい。今度は、彼らの邪魔をせずに・・・ね。






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