気候危機への答えはローカリゼーションに! プラネット・ローカル・サミット in ラダックを前に
- 辻信一
- 8月29日
- 読了時間: 9分

ラダックに来て8日目。最初の4日間は晴天で、強い日差しは紛れもなく夏のものだった。そして続く3日はシトシトと降り続く雨、温度はぐんぐん下がって、やっと雨が上がった昨日の朝は、姿を現した5,000以上の高い山々が雪化粧を施していた。宿のスタッフ、ドルジが気遣って電気ストーブを部屋に持ち込んでくれるほどに冷え込んで、まるでたった3日で、夏から秋へ、秋から初冬へと時が駆け足で進んでいくようだった。
ラダック中のあちこちで洪水、土砂崩れ、停電が起こっているという噂が流れてくる。飛行機はすべて欠航。恒例の夏の滞在を終えてダラムサラに戻る予定だったダライ・ラマもぼくのいるシェイの隣村に逗留し、同じ雨空を眺めていたのだろう。6日後に迫ったプラネット・ローカル・サミットに参加するため、タイから三日前にラダックにやってくるはずだったカレン族の友人は、一度デリーを飛び立った飛行機が着陸できず、そのまま、ムンバイまで連れて行かれ、なんと今もその知り合い一人いない大都市にいて、航空会社から指定された明日のフライトを待っている。
でも、もう雨は上がり、今日はまた太陽が照りはじめ、その下で雪をかぶった山々が輝いている。清々しい秋の日が戻り、サミットの参加者たちが世界あちこちから続々とラダックに到着し始めるだろう。
イギリス、ブリストルで行われたプラネット・ローカル・サミットから2年、今回は、このラダックの首都レーで行われることになった。そこには、国際的なローカリゼーション運動を率いるヘレナ・ノーバーグ=ホッジが、それまで鎖国状態にあったラダックに入境する最初の外国人の一人としてこの地にやってきてからちょうど50年になるのを記念するという意味が込められている。また、彼女のその後長年にわたるここでの暮らしから名著『懐かしい未来』が生まれ、そして、それを起点にして、その後の「しあわせの経済」ムーブメント、さらに現在の「ローカル・フューチャーズ」の運動が生まれて行ったことを思えば、これらの運動に連なって思索し、活動してきた者たちにとって、このラダックは原点であり、一種の“故郷”のような場所なのだ。
サミットを前にした6月の「ローカリゼーション月間」の最中に、TIME誌に載った記事は、ローカリゼーションとは何かをとても明快に説明してくれる。ラダックにまで物理的に来られない人も、ぜひこれを読んで、サミットに集うぼくたちにぜひ連なっていただきたい。


(TIME誌 2025年6月17日)
気候危機への答えはローカリゼーションに!
by ナタリー・ケリー、ニーナ・カーニコウスキー
私たちは気候ムーブメントの最前線に立ってきた者たちだ。化石燃料企業のロビイストたちが先住民代表の数を上回る世界サミットに乗り込み、気候変動の混乱に直面するコミュニティを回り、そして正義を求めて街頭で声を張り上げてきた。時が経つにつれ、一つの真実を無視することが難しくなってきた。それは、気候変動が単なる環境危機ではなく、より根深い経済的な病の兆候だということだ。
グローバル貿易の不都合な真実
すべてを背後で動かしている原動力は、資源搾取とグローバル貿易によって推進される、終わりなき成長のための経済モデルである。このモデルこそが温暖化ガスの排出量を増加させ、格差の拡大をもたらしてきた。そして、投資家保護条項なるものをもつ自由貿易協定の力で、ただ人々や生態系を守ろうとしているだけの政府を、大企業が訴えることができるというシステムを生み出したのだ。
「投資家対国家紛争解決(ISDS)」という差し障りのない名前をつけられた決まりは、国際法の隠れた条項の一つだ。ある国や地方自治体の公益法が、外国企業の利益を脅かすものと見なされた場合、その外国企業が国内の裁判所を素通りして、政府を訴えて、秘密の法廷へともち込むことができるようにした。この条項は馬鹿げているばかりか、危険な事態を生み出す。例えば、ドイツ政府は石炭汚染を規制しているとして訴えられた。オーストラリアのタバコ規制も標的となり、中米諸国は自国の水資源を保護している“罪”で罰せられた。
それは環境を汚染する者を利し、保護しようとする者を罰するシステムだ。そして、それこそが、世界経済の構造そのものの重要な一部なのである。こうして、意味のある環境規制は、それを不都合だと感じる大企業によって法的に訴えられることになった。
その一方で、同じシステムが、不合理としか言いようのない貿易を生み出している。例えば、同じ商品の国際的な交換だ。つまり、国々は同じ食品を、しばしば膨大な距離を越えて輸入し、輸出している。イギリス産のバターはドイツに輸送され、ドイツ産のバターはイギリスに輸送される。ニュージーランド産のリンゴはカリフォルニアで販売されるが、そこでは地元産のリンゴが腐るに任されている。私たちは、利益という名目で、すでにどちらももっている商品を交換するために多大のエネルギーと資源を費やしているのだ。にもかかわらず、海運や空輸によるこうした果てしない往復輸送からの温暖化効果ガスの排出量は、それぞれの国の公式な排出量として計上されることはなく、気候変動対策をつくる上でも考慮されない。これは、ほとんどの国がいわゆる領内(テリトリアル)会計方式を採っていて、国境を越えたところでの排出量は除外されてしまうからだ。
いまだに、ほとんどの気候変動対策は対症療法にとどまっている。カーボンオフセット(*)、電気自動車、そして勇ましいネットゼロ宣言(**)などが、解決策として掲げられるが、その一方で、より多く生産し、より遠くへ輸送し、より速く成長するという経済システムの中心にある論理には、何の異論も唱えられていない。私たちは事実上、過剰消費によって引き起こされた危機を、より多くの消費によって解決しようとしているのだ。
(*訳註)カーボンオフセット:企業や個人が、活動によって排出される温室効果ガスを、他の場所での削減活動に投資することで、排出量をオフセッット、つまり、埋め合わせる、とする考え方。
(**訳註)ネットゼロ:温室効果ガスの排出量と吸収量を差し引き、実質的にゼロにすること。排出量のうちどうしても削減できない分を他の方法で相殺(オフセット)する、という考え方
グローバルからローカルへ
しかし、もしも、解決策が“より多く”ではなく“より少なく”だったら、どうだろう? それこそまさに、“ローカリゼーション(地域化)”が目指すものだ。数十年前、国際市民組織「ローカル・フューチャーズ」の創設者ヘレナ・ノーバーグ=ホッジによって打ち出されたローカリゼーションは、何よりもそれぞれの地域の食料、エネルギー、そして経済の自律的なシステムを再構築することに焦点を当てる。それは、どこにいるのかわからない株主のためではなく、地域の人々やその土地に役立つような経済だ。そこでは、サプライチェーンの短縮、不安定な世界市場への依存度の低減、ローカルノレッジ(地域に根ざした知識)の復活、そして地域コミュニティのつながりの強化が目指される。要するに、ローカリゼーションとはグローバル大企業から地域社会へと、権力をシフトすることだ。
ユートピア的な空想のように聞こえる? いやいや、これは夢物語ではない。何千年もの間、世界のほとんどの人々はこうして暮らしてきた。その土地に根を張り、身近なところで必要なものを生産し、生態系の限界を尊重し、それに適応する。まさにそれを実践してきたのが多くの先住民族の文化であり、土地に根ざしたローカル文化なのだ。そうした実体験に基づく持続可能な生き方が、これからの私たちにとっての青写真となるだろう。
世界中のファーマーズマーケット、工具図書館、修繕{リペア}カフェ、そして地域コミュニティ所有のエネルギー・グリッド・・・これらは、世界のあちこちに再浮上してきたローカリゼーションの一部だ。ナイロビからノバスコシアまで、バルセロナからバンガロールまで、人々は今、小規模で地域に根ざした経済という知恵を再発見している。都市の裏庭で食料を育て、地域通貨を立ち上げ、地域で電力をつくり、管理するエネルギー協同組合を設立している。
とはいえ、それは華々しいものではない。貿易の公正さについての投稿がTikTokでバズるわけでもない。グローバル資本主義の隠された仕組みを説明するよりも、国連気候変動会議の一幕を巧妙に撮影したり、気候変動を否定する政治家を非難したりする方が簡単だ。確かにローカリゼーションは一見地味かもしれないが、だからこそ力強いのではないだろうか。それは私たちを華やかな舞台から遠ざけ、土地との、コミュニティとの、そして充足した生き方とのより深い関係へと呼び戻してくれる。
ローカリゼーションはまた、私たちを文化の再生へと導いてくれる。私たちは何十年ものあいだ、進歩とは“より速く、より大きく、より遠く”という方向に進むことであり、便利さと瞬間的な満足こそが何より大事だ、という考えを植えつけられてきた。しかし、自然災害を経験した人なら誰でも知っているように、真の安全安心はグローバルなサプライチェーンからやってくるものではない。それは、隣人たち、農民たち、そして地域の水源がもたらしてくれるのだ。
問題の根本に立ち向かう
もちろん、ローカリゼーションは万能薬ではない。しかし、ノーバーグ=ホッジが著書『懐かしい未来』で述べているとおり、「私たちが直面する多くの問題の根っこにグローバル経済があることを認識しさえすれば、進むべき道はより明確になり、逆説的に進みやすくなる」。続けて彼女はこう言っている。「一見、無関係に見える社会問題や環境問題の膨大なリストに立ち向かおうとする代わりに、経済システムの転換のために有効ないくつかの要点に集中すればいい」
今のところ、投機的な動機をもつ“グリーン・テクノロジー”に集中している政治的意図、公的資金、メディアの注目などのほんの一部でも、地域システムの強化に向けられるなら、私たちはより迅速に、公正に、もっと生きやすい未来へと向かうことができるだろう。
考えてみてほしい。電気自動車のバッテリーが必要とするリチウムの鉱山一つによって、生態系全体が破壊されたり、地域コミュニティが立ち退かされたりするということを。一方、地域の食料協同組合や太陽光発電による自律型小規模電力網{マイクログリッド}は、山を新たに切り拓くことなく、温暖化ガス排出量を削減し、地域住民に力を与え、社会的結束を築くことができる。
過去の延長線上に未来を描く時代は終わった。これまで私たちは、温暖化ガス排出量の増加、資源の枯渇、生態系の崩壊といった事態に対しても、長年、対症療法でお茶を濁してきた。犠牲を顧みず永続的な成長を求める経済システムという、より根本的な原因に対処しようとはしてこなかった。しかし、私たちが生きていけるような未来を築くためには、その根本に、今こそ立ち向かわなければならない。(辻信一訳)
JUN 17, 2025 10:26 PM JST
TIME
We’re Looking For Climate Solutions in the Wrong Places
By Nathalie Kelley and Nina Karnikowski


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