もう、手遅れだ。潔く、敗北を認めよう。デヴィッド・スズキの言葉
- 辻信一
- 5 時間前
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尊敬する師であり、友であるデヴィッド・スズキが“敗北宣言”を発した。人類は自らの生存を賭けた戦いに敗北したというのだ。「もう、手遅れだ」と彼は言う。
7月2日に配信された、カナダのデジタルメディアiPoliticsによるインタビューでの発言だ。それを、いつもどおり勝手な解釈をも含むぼくの意訳で読んでいただきたい。
いや、もうたくさんだ。絶望的で悲観的な言葉はもう十分聞かされているので、もう結構です、と。その気持ちもわかるが、でも、そう言わずにぜひ読んでほしいのだ。実はぼくは、このインタビューを読んでも、それほど驚かなかった。その中でデヴィッド自身が言うように、「敗北」とか「手遅れ」という言葉を使うのはメディアでは初めてでも、プライベートな場では以前からよくあることだった。ぼくが2000年のコロナ到来の時期に彼をバンクーバーに訪ねていたときにも、人間の愚かさをホープレス(絶望的)という言葉も交えながら嘆いていたものだ。そしてこんな話をぼくにしてくれた。
まだ幼い双子の孫を両腕で抱き抱えるようにしていた彼は、急に激しい感情の渦に巻き込まれて、孫たちを下ろすや床に突っ伏して泣き出してしまった。この子たちの人生の舞台となるこれからの変わり果てた地球の姿と、彼らが遭遇することになる、自分たちの世代が想像もできないような困難の数々を思って、一瞬、激しい悲しみと痛みと自責の念に駆られたのだ、と。
しかし、インタビューでのデヴィッドの発言を最後まで注意深く読んでほしい。彼はただ感情のままに話しているのではない。科学者としての彼は、ヨハン・ロックストロームの「越えてはならない地球の9つの限界」を引用しながら、9つのうち、すでに7つを越えてしまったという危機の具体的な内実を示す。そして、いかにこれまでの我々が、科学者たちの長年の警告を軽視、無視、そして黙殺してきたかを、私たちに思い出させてくれる。

どう冷静に考えてみても、現状は絶望的ではないか。警告を無視しながら、「まだ大丈夫」と自分にも人にも言い聞かせてきた40年後が、今だ。そう考えれば、デヴィッドの「敗北宣言」に何ひとつ極端なことはない。そろそろ、失敗を認めようよ、と彼は言うのだ。もう遅すぎるところまで人類をそして多くの生きものを連れて来てしまった、その責任の一端が、自分にあることを認めようではないか。そして、これまで自分を慰めてきた「まだ大丈夫」といった幻想をキッパリと手放す。そしてこの絶望的な現実に目覚めるのだ。
インタビューでデヴィッドが言うように、諦めるのではない。「いいかい、敗北と言っても、もう何もしないという意味で諦めているわけじゃないんだ」。彼はぼくにもよくこう言ってきた。「諦めるなんていう権利はわれわれの世代にはない」と。
また彼が、最後の方で、これからは地域だ、とローカリゼーションの方向へと人々を導いていることにも、ぼくは注目したい。彼は言う。
「今私たちがすべきことは、“身を屈める(ハンカー・ダウン)”ことだと思う。生き残るための単位は地域社会だ。だから、地域コミュニティが身構え、団結することを強く求めたい」
ここでデヴィッドが使っている「hunker down」という言葉がある。これをどう訳すか。ぼくは一応「身を屈める」とした。辞書によると、「避難する」「身を潜める」「(仕事などに)本腰を入れる」のほか、「覚悟を決める」なんていうのもある。前後の文脈から、「身を屈める」としたが、ぼくとしては、いよいよこの辺で覚悟を決めて、本腰を入れて、若い世代や、未来の世代のために、そしてぼくらの故郷である地球のために、やれることをやろう、という意味でこの言葉を捉え直したい。わずかにでも残っている可能性に賭ける。それは、これまでぼくの命を生み出し、生かしてくれたすべての生命・非生命への恩返しだ。
去年の夏、子どもたち、孫たちと湿地で、海辺で遊ぶときの、そして先住民ヘイルツクの祭宴ポトラッチに参加するときのデヴィッドは底抜けに明るく、優しく、寛容で、希望に満ちていた。絶望的な現実に目を見開き、そこから逃げない人にだけに見える希望に、彼は満ちている。ぼくもそのように生きよう、と改めてぼくは思うのだ。

'It's too late': David Suzuki says the fight against climate change is lost
Published July 2nd, 2025 at 2:46pm iPolitics
Q 今週は「カナダの日」を祝いましたので、まずはその感想を伺いたいと思います。今年の国民的祝賀行事において、デイヴィッド・スズキにとって一番大切なことは何でしょうか?
まず、ドナルド・トランプがピエール・ポワリエヴルを首相の座につかないようにしてくれたことには感謝している。それはすばらしいことなんだが、でも、何より重要なのは、私たちが深刻な問題に直面しているのに変わりはないということだ。
マーク・カーニー(新首相)は気候変動についてこれまでで最も知識豊富な首相だと思う。スティーブン・ハーパーの後任としてジャスティン・トルドーが首相に就任した時は、皆が喜んだ。トルドーはパリを訪れ、地球温暖化を抑制する協定に署名したが、その2年半後にパイプラインを購入した。
カーニーがイングランド銀行総裁だった頃に話をしたが、気候変動がもたらす脅威と、直ちに行動を起こす必要性を、彼が理解していることは明らかだ。問題は、すべてが政治に関わっていて、その政治が現実世界とあまりにもかけ離れていることだ。
カーニーが経済と市場の力を使うべきだと主張することには断固反対だ。経済そのものが我々を窮地に追い込んでいるからだ。それは、成長し続けるしかないというガンのような信仰に基づいている。だが有限な世界で無限の成長はあり得ない。世界経済はあまりにも巨大だ。それを縮小し、世界中に富をもっと公平に分配するべきだ。
億万長者を祝福するなんて狂気の沙汰だ。とっとと違法にすべきだ。なんて忌まわしい現象だ。
私はアメリカで8年間暮らし、当時カナダでは到底受けられない教育を受けた。私が入学した有名大学は、私のような留学生がアメリカの学生の教育に付加価値をもたらすと信じていた。今ではすべてが金銭で評価される。それが私が1962年にアメリカを去った理由だ。
当時、アメリカはソ連と競争していて、カナダ人の私たちが、科学が好きだと言えば、彼らは私たちにお金をくれたのさ。アメリカが科学者への支援を惜しまなかった時期に、私はアメリカの拝金主義に耐えられずアメリカを去ることになった。トランプは、まさにこの抑制のきかない資本主義がもたらした結果。そこではすべてが取引と金次第だ。
今、カナダは、バンクーバーが世界トップレベルの都市だと言いふらしている。一体何というバカげたことを言っているのだろう? 億万長者や企業の数で都市を評価できるとでもいうのか。私に言わせれば、世界に誇る都市を見たいなら、最も弱く、貧しく、脆い人々の状態を見るべきだ。その人たちがどう生きているかが、私たちの社会の尺度となるべきだ。
私が1962年にカナダに戻ったのは、アメリカとは違っていたからだ。優れているとは言わないまでも、違っていた。カナダには、アメリカなら“共産主義”として禁止されるような政党があるのだから。
Q あなたは今でもカナダがアメリカと違うと思いますか? あなたが言う政党はおそらくNDPのことでしょうが、この春の選挙でその党はほぼ消滅しました。あなたは今でもそうした違いを感じますか?
私はまだあると感じる。でもそれも急速に消えつつあるとも感じるがね。
私が高く評価するもの、例えば「メディケア」など、カナダは今も多くのいいものをもっている。また、裕福な州が貧しい州と分かち合う均等支払い制度もすばらしい。また、カナダにはナショナル・フィルム・ボード、C B C(カナダ放送協会)、そしてケベック州の存在もある。社会におけるこうした違いは本当に重要だと思うんだ。
Q 政治の話に戻りましょう。・・・カーニー首相は環境保護主義者だと思いますか?
彼は気候変動問題の重要性を理解していると思う。しかし、市場原理を利用すれば解決できると本気で考えている。問題は、彼が今や政治家であり、アルバータ州の首相ダニエル・スミスのような連中が彼を完全に押さえ込んでいるということだ。
アルバータ州は、南北戦争前のアメリカ南部のように振舞っている。当時、南部の人々は奴隷制を廃止すれば経済が破綻すると主張していた。北部は、経済よりも重要なことがあると言って、戦争を起こした。
政治とビジネスの原動力である経済成長こそが、私たち人類の運命を決める、というわけだ。
Q あなたは今も多くの問題に関心を寄せ、情熱を失っていない。でも、時には何をしても、ただ壁に頭をぶつけているような虚しい気持ちになったことはありませんか? 世論調査のデータを見ると、気候変動は多くのカナダ人にとって優先事項のかなり下位に位置していることが多いです。それなのに、あなたが重要だと考える価値観について語り続けるモチベーションは一体どこから来るのでしょうか?
十分な情報を得た国民は正しい行動をとると私は信じている。1980年代後半には気候変動への国民の関心が高まり、1988年には大気に関する最初の国際会議が開催された。300人、40以上の政府関係者、環境保護活動家、科学者、民間セクターなどあらゆる分野の人々が参加した。会議の最後に、地球温暖化は人類にとって核戦争に次ぐ脅威であると明言された。もし世界がその会議の結論に従っていたら、今日のような問題は起こらず、何兆ドルもの費用と何百万人もの命を救うことができただろうに。
だが、もう手遅れだ。
これまでメディアには一度も言ったことはないが、もう手遅れだ。私は、科学に基づいてそう言っているのだ。ポツダム研究所所長のスウェーデン人科学者、ヨハン・ロックストローム氏は、越えてはいけない「地球の9つの限界(プラネタリー・バウンダリー)」を定義した。つまり、私たちが生きていく上での制約だ。人間も他の動物と同様に、この9つの制約の範囲内で生きていく限り、永遠に生き続けることができる。この「9つの限界」には、大気中の炭素量、海洋の酸性化、利用可能な淡水の量、窒素循環などが含まれる。
9の限界のうち、私たちがなんとか対処してきたのはたったの一つ、オゾン層の問題だけだ。そして、オゾン層の破壊という脅威から脱しつつあると考えられている。しかし、今年、すでに越えてしまっている6つに続いて、私たちは7つ目の限界(海洋酸性化)をも越えてしまい、極度の危険水域に入ってしまった。ロックストローム氏によると、この危険水域から抜け出すために残されているのは、あと5年だそうだ。
一つの限界を超えただけでも、恐怖に震えていなきゃいけないのに、私たちは7つも越えてしまったんだ!
中でも、大気中の炭素量という限界について見てみると、気候変動の国際会議であるCOP(気候変動枠組条約)はこれまで28回も開催されたが、排出量の上限設定は未だにできていない。今世紀末までに気温上昇は3度以上になる見込みだが、科学者たちは1.5度を超えてはならないという点で合意している。
Q 気候変動に対処するにはもう手遅れだと? 実に厳しい言葉ですが、それは、あなたがこの闘いを諦めるということですか?
当面やらなければならないことを諦めるわけではないが、政治、経済、法律に焦点を当てている限り、いずれ失敗する運命にある。なぜならどれも人間中心だからだ。これらは人間が自分自身を導くために設計されているのだが、その自分たちの存在の基盤である自然、清浄な空気と水、豊かな土壌、食料、そして太陽光を無視している。自然こそが私たちがどう生きるかを左右する土台であり、法制度、経済制度、政治制度は、まさに自然を守ることを中心として構築されなければならない。しかし、現状はそうなっていない。
Q 過去数十年にわたり、気候変動対策はまだ間に合うという発言が何度も引用されてきましたが、いつこの戦いに敗北したと認識されたのですか?
ずっと前からだよ。気候変動に関しては、「どうそれを軽減するか」と「どうそれに適応するか」の二つの選択肢があると以前から言われてきた。そして20年前から、適応について議論しなければならないという声が上がり始めた。一方で、適応について議論すれば、気候変動が現実のもので、現に人々に影響を与えていることを認めることになるので、適応について議論すべきではないという意見もあった。しかし、もう明らかだ。適応について考えるべき時期はとうに過ぎている。
いいかい、敗北と言っても、もう何もしないという意味で諦めているわけじゃないんだ。でもね、トランプの再当選で私の心は短刀で刺し貫かれたね。彼の勝利は資本主義と新自由主義の勝利であり、彼が引き起こすだろう大混乱はまだ始まったばかり。私たちにできることは、この状態を徐々に変えていくことだけだろうけど、でも、それじゃ、間に合わない。私たちに必要なのは革命だ。でも、平和的な革命は可能だろうか? 私には分からない。
しかし、環境活動家として言いたいのは、私たちは世界を支配している言説を変えることに失敗した、ということ。そして、相変わらず、同じ法と経済と政治のシステムに囚われ続けているということだ。
私に言わせれば、今私たちがすべきことは、“身を屈める(ハンカー・ダウン)”ことだと思う。生き残るための単位は地域社会だ。だから、地域コミュニティが身構え、団結することを強く求めたい。フィンランドがすばらしい見本を示している。フィンランド政府は全市民に「これから災害が起こる」と警告する書簡を送った。地震、洪水、干ばつ、暴風雨——そうした非常事態は確実に起こるし、しかもより深刻で長引くものになる、と。
政府はこれらの緊急事態に必要な規模やスピードで対応することはできない。だからこそ、フィンランドは市民に対して、何が起こってもそれぞれの地域で当事者として最前線に立つ覚悟をするよう呼びかけている。例えば、近所に歩けない人がいるか、車椅子はどこにあるか、消火器は、水は、バッテリーや発電機はどこにあるか・・・。の検討を始めなければならない。いざという時のために、避難経路や物資を含めた地域の棚卸しをして、コミュニティの現状を把握する必要がある。こうしたことをこそ、まさに今、私たちもやり始めなければならないのだ。
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以下、参考のために、インタビューでデヴィッドが言及しているロックストロームの「9つの地球の限界(プラネタリー・バウンダリー)」を、ポツダム研究所の2023年報告から紹介する。辻
<“9つの地球の限界とその現状>
*気候変動:
地球の大気中の温室効果ガスとエアロゾルの増加は、本来宇宙に逃げるはずだった熱を閉じ込める。気候変動に関する地球の限界は、地球への入射エネルギーと放出エネルギーの比率の変化を評価して測られる。大気中の二酸化炭素量の増加と閉じ込められた放射線量の増加は、地球の気温上昇を引き起こし、気候パターンを変化させる。この気候変動に関する限界は越えられており、二酸化炭素濃度は上昇している。
*新たな人工物質の存在:
技術開発は、新たな合成化学物質を環境に導入し、全く新しい方法で物質を移動させ、生物の遺伝子を改変し、その他進化のプロセスに介入して地球システムの機能を変化させます。適切な安全性試験なしに環境に放出される合成物質の量は、このリスクがすでに限界をはるかに越えていることを示している。
*成層圏オゾン層の破壊:
大気上層のオゾンは、地球上の生命を紫外線から守っている。主に人為的な化学物質によるオゾン層の薄化により、地球表面に到達する有害な紫外線が増加している。1980年代後半以降、オゾン層破壊物質の国際的な段階的廃止が進められてきたため、オゾン層の総量は徐々に回復している。したがって、オゾン層の破壊は現在、SOS(地球システムが安全に作動できる水準)の域内にある。
*大気エアロゾル負荷:
人間の活動や自然発生源による大気中の粒子の変化は、気温や降水パターンを変化させることで気候に影響を与える。大規模な大気汚染はすでにモンスーンシステム、森林バイオーム、海洋生態系に変化をもたらしているが、地球限界を測るために用いられる地球規模の指標である大気エアロゾル負荷の半球間差は、大気エアロゾルによる負荷を安全水準域内に位置づけている。
*海洋酸性化:
海水は大気中の二酸化炭素を吸収するにつれて酸性度が上昇(pHが低下)する。このプロセスは、殻や骨格の形成に炭酸カルシウムを必要とする生物に悪影響を及ぼし、海洋生態系に影響を与えるだけでなく、海洋の炭素吸収源としての効率を低下させる。海洋酸性化の指標であるアラゴナイト飽和状態は現在、安全水準域内にあるが、大気中のCO2濃度の上昇により、限界を近づいている。
*生物地球化学的フローの変化:
窒素やリンなどの栄養元素は、生命を支え、生態系を維持するために不可欠である。産業および農業プロセスは自然の循環を乱し、生物の栄養バランスを変化させる。地球全体の海洋へのリン流入と、産業による窒素固定(大気中の安定した窒素を生体反応性物質に変換すること)の両方が地球全体の生物地球化学的フローを乱しているため、この限界は越えられてしまっている。
*淡水の変化:
河川や土壌水分を含む淡水循環の変化は、炭素隔離や生物多様性といった自然機能に影響を与え、降水量の変動につながる可能性がある。ブルーウォーター(河川や湖沼など)とグリーンウォーター(土壌水分など)の両方に対する人為的な撹乱は、この惑星の限界を越えている。
*土地システムの変化:
森林伐採や都市化などによる自然景観の変容は、生息地と生物多様性を破壊し、炭素固定や水分循環といった生態系の機能を低下させる。世界的に、熱帯、亜寒帯、温帯のバイオームに残存する森林面積の減少は安全水準限界を越えている。
*生物圏の完全性:
生物と生態系の多様性、範囲、そして健全性は、地球上のエネルギー収支と化学循環を共存的に調整することで、地球の状態に影響を与える。生物多様性の破壊は、この共存的調整と動的安定性を脅かす。遺伝的多様性の喪失と生物圏の機能的完全性の低下は、どちらも安全水準限界を越えている。
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