レイジーマン・コーヒー物語 その2
- 信一 辻
- 1 日前
- 読了時間: 12分

“森”の庭とレイジーマン・カフェ
ノンタオ村には10数回訪れている。そのうち数回は、撮影のために映像カメラマンの友人と一緒に滞在した。ジョニとスウェへのインタビューを軸に、「レイジーマン」という思想と生き方を描く映像作品をDVDブック『レイジーマン物語』として仕上げた。
ノンタオでは、ほとんどの場合、ジョニとその一族の本家に泊まらせてもらう。最初のうちはジョニ夫妻が住む母屋だったが、ここのところはずっと、裏庭の奥にある木と竹づくりの離れの二階の一部屋に寝泊まりしている。その庭のさらに奥に建てられた土づくりの家にスウェの四人家族が暮らしている。
裏庭と言うとあなたは何を想像するだろう。この庭は“森”なのである。これを説明するのはちょっと大変だ。それは、木の実、果実、野菜などの食用ばかりでなく、建材や道具の素材となる蔓や竹類、薬用植物に至るまで、80種に及ぶ有用植物が、低いものから高いものまで幾層にも重なるからなる森のような庭なのだ。日本人の目には、庭というよりはジャングルに見える。
その森の中のあちこちにコーヒーの木が植わっている。母屋からぼくの部屋までの二〇メートルの小道の脇にも並んでいるので、ぼくは日に何度も、そのコーヒーの木をかき分けるようにして行き来することになる。花の芳香を楽しんだかと思うと、次に訪れた時には若い緑色の果実、そのまた次の時には、赤や黄に色づいた実がたわわに実る収穫の季節、という具合だ。
ぼくの部屋は四方をこの森に囲まれている。それは賑やかな森だ。鳥や虫の声、鶏たちが積み重なった落ち葉を延々とひっくり返す音、風と雨の音、雷。どの季節にも何がしかの花の香りが漂っている。もちろんこれは、たくさんの人が住む村の中の森であり、人々がその中で、そして周囲で暮らす生活の森でもある。朝にはすぐ近くの小学校の朝礼の音が聞こえてくるし、家の前の通りを走るバイクの音もする。それは人間の子供たちの遊び場でもある。

同じ敷地の中に、この2年の間に二つの新しい建物が加わった。まず敷地への入り口のすぐ左手の道沿いに、ジョニ夫妻の末娘である看護師のムポが簡易診療所として使う小屋。もう一つ、敷地に入って左側にある母屋の前のちいさ広場を隔てた向かい側に建てられたのが“レイジーマン・カフェ”だ。全体がテラスのように見えるこの壁のない高床の建物は、スウェがほとんど独力で建てた。ある時の訪問で何かが始まったな、と思っていたら、もう次に訪ねた時には出来上がっていた。この人たちは衣食住に関わるほとんどのものを自分で作ることができるのだ。
キッチンと客用のスペースを隔てる小さなカウンターで、スウェや奥さんのラチェが炒りたてのコーヒーを淹れる。テーブルの竹かごには季節の果物やナッツが並ぶ。どれも手を伸ばせば届くほどすぐ目の前にある森の産物。まさに「森のカフェ」とはこのことだ。
今回の滞在ではそのカフェで、スウェのインタビューを撮影することになった。ぼくはまず、彼がカフェを始めた動機を訊ねた。
「このカフェを始めたのは、私たちのコミュニティにとってのひとつの窓をつくるためです。これは、世界のあちこちから来た人々が情報を交換し、学び合い、その成果を分かち合う場です。私たちも自分たちがもっているものや知識をシェアしたい。一杯のコーヒーを通して、その背景にあるカレン族の文化についても紹介したい。あなたが飲む1杯のコーヒーの中に、私たちのここでの暮らしや、それを支えている土、森、水、そして自然のすべてが詰まっている・・・それを実感してもらう場がこのカフェです」
次にぼくは、彼の言う「レイジーマン」の生き方が、この森のような庭とどうつながっているのか、とスウェに訊ねた。
「私たちが森や自然から学んだことを、そのまま体現しているのがこの農園です。本当の森にはそれを耕す人も、作物を植える人も、雑草を取ったりする人もいません。それでも、森は見事に育ちます」
そう、人間がこの世に現れるはるか前から、森は栄えてきた。
「人間の祖先はその森になる食べ物をいただいて人間になり、今まで生きてきたんです。これこそ、私たちが忘れてはならない大切なことです。祖先はやがて森から種を集め、それを農園に蒔くようになった。私たちはそれを今もこうしてやり続けているだけです。農業とは言っても、あるがままの自然に逆らわず、委ねるやり方です」
それがレイジーマンの生き方だ、と?
「そうです。私の考えでは、レイジーマンとは、焦らずゆっくり待ちながら、自然をよく観察し、そして自然から学ぶという態度、生き方のことです。森に棲む他のいろいろな生き物たちを尊重し、それらと共存する。そうすれば結局はちゃんと自分たちが必要とするものを手に入れることができる。食べては、そのタネをまた蒔く。そしてまた食べる。今ではこの小さな森から、一年を通じて食べ物を収穫することができます。森の多様性が、私たちの支えです。私たち人間も森のように寛容に、助け合って生きるべきです」
「森のように生きる」か。若い友人が発したこの言葉が心に染みる。ぼくは長老の前にいる時のように畏まった気分になった。
次に、ぼくはコーヒーのことに話題を転じた。森の多様性とはいっても、コーヒーは外来の植物だ。伝統的な農業を大事にしてきたあなたが、どうして新たにコーヒー栽培に取り組みことになったのか。
「私は10年前までコーヒーに全く関心を持っていなかったし、それを飲む習慣もありませんでした。でもすでに、私たちの村のあちこちに、そして我が家にも、コーヒの木がたくさんあった。これは父親が若い頃、政府がコーヒーを有望な換金作物として注目、北部タイの農村に栽培を奨励した時に植えられたものです。一時期は父も熱心にコーヒー栽培に取り組んだものの、ほとんどの農民と同様、父も間もなくこれを放棄、コーヒの木は伐られたり、放って置かれたり、その存在はほとんど忘れられていた。でも、コーヒーの木はすっかりこの農園にも溶け込んで、毎年、花を咲かせては、実をつけていました。
「10ほど前に大きな変化が起こりました。インタノン山の向こう側にあるメーチェムという地域で、大規模なトウモロコシの単一栽培が始まり、多くのカレン族のコミュニティも、それに加わったのです。
「こうしたトウモロコシ栽培はみるみるうちに拡大していきました。私たちの村でも、始めたいという人が出てきて、私たちは心配になった。もし私たちの村でもこのトウモロコシ栽培が広がれば、森は切り開かれ、大量の化学肥料や農薬がまかれて、土も水も汚染されてしまうかもしれない。そうなったら、私たちが大事にしてきたこれまでの生き方は不可能になってしまうのではないか・・・。
「そこで私たちは解決策を模索し始めたんです。しかし、そのためには、今あるものを守るだけではなく、何かを新たに取り入れる必要がありました。結局、私はコーヒーを選んだのです」
スウェとその家族、そして村の仲間たちは、「トウモロコシをやめてコーヒーを」というスローガンの下、すでにある木からコーヒーを収穫し始めるとともに、苗木を育てては多様な作物からなる農園の木陰に植えていった。そうして、徐々にコーヒー栽培は村人たちが森を守りながら収入を得る一つの手段となった。

消えゆく森とトウモロコシ
10年前にスウェがコーヒー栽培を始めるきっかけとなったトウモロコシ栽培の“震源地”となったメーチェム。そこにぜひ行ってみたいと思っていたが、その機会が訪れた。スウェ自身が車で案内してくれるというのだ。ありがたいことに、そのメーチェムの先に用事のあるジョニも途中まで同行してくれるという。
ノンタオ村からはドイ・インタノン(インタノン山)の周りを半周するように、車で2時間ほどで山の反対側に出る。インタノン山は標高2565メートル、タイの最高峰だ。その周囲には昔から多くのカレン(パガニョ)族が暮らしてきた。彼らによると、古代にはチェンマイの平地をもそのテリトリーとしていたカレン族だが、次第にタイ族をはじめとする他民族の南からの圧力に追われるようにして、山へ、森の奥へと後退していったという。
途中、山の斜面にはビニール栽培の段々畑が広がっている。日本でビニールハウスだらけの農地を見慣れているはずのぼくにも、山腹が白いプラスチックに覆われている光景は異様だ。しかもこれが、聖なる山、ドイ・インタノンの今の姿だと思うと切なくなる。
生花とイチゴの大生産地なのだそうだ。どちらも、農薬や化学肥料を多用するため、水をはじめとした環境汚染が懸念されている。特にイチゴへの農薬散布の量は突出しており、残存農薬も大きな問題になっている。散水用の管や、花の促成栽培のために一晩中灯りをつけておくためのコードが張り巡らされている。これは工場以外の何物でもない。
カレン族の友人たちによるとこうした換金作物を手がけてきたのは主に、この100年ほどの間に中国領から南下して定住したモン族。かつてはケシ栽培でも中心的な役割を担ったが、それが禁止され、今ではこうして、都市部で高い需要をもつ生花とイチゴになったという。
それでもところどころに、森が残っている。スウェによるとそれは主にカレン族の居住地域だ。カレンの伝統的な考え方では、山の高い方に森を残し、水源を確保しつつその下方に人が住み、周囲で伝統的な自給型のローテーション農業を行う。ところが、移住してきたモン族は中腹のカレン族の活動地域の上方に定住し、さらに山の上へと向かって換金農業を展開する。モン系が経営者であっても、実際に畑に出て働くのは、主にミャンマーからの難民、移民、季節労働者がほとんどだという。では、カレン族が伝統的な生き方を維持しているかと言えば、そうではない。自給型の農業をあきらめ、より換金性の高い作物の単一栽培に転換するものがほとんどだ。自分の土地をイチゴ栽培農家に貸し出すことも珍しくない。
メーチェムに近づくと、風景は一変する。ノンタオ周辺の乾期でも深い緑色の森に比べ、この辺りの森は乾燥林のようで、黄やオレンジに紅葉している木が多い。車で2時間ほどかけて、山の反対側に来るだけで、ずい分違うものだ。
やがてメーチェムの中心街のある盆地を抜けて、トウモロコシ畑が広がる丘陵地帯に入った。高台に車を止めて、少し撮影することになった。
ここもかつては、カレン族のローテーション農業の舞台だったという。今は見渡す限り、ほとんどの森は切り開かれ、トウモロコシの畑になっている。まだ1月だというのに、強い日差しが照りつけて暑い。ノンタオの森の中と、こことの温度差にも驚かされる。標高もそんなに変わらないというのに。日陰を作る木立もほとんどなく、風を遮るものもなく、埃っぽい。収穫後のトウモロコシの枯れた茎や葉とわずかの雑草が残っていなかったら、ここはただの不毛な荒地に見えただろう。
ジョニによれば、これはまだ乾期の始まり。これから4月に向かって乾期が続き、その頃にはこのあたりは砂漠のように乾いているだろう。森がなくなるというのはこういうことなんだ、と。ここがかつて森だったと言われても、なかなか想像することができない。
カメラをセットして、日差しの中にスウェとジョニに立ってもらい、インタビューを始める。「今の気分は?」と尋ねると、ジョニは厳しい表情そのままで、吐き捨てるように、こう言った。
「人間は愚かだ。だってそうだろう、食べ物やきれいな水、そしてきれいな空気の代わりに、お金を求めているんだからね」。
以前は、ここはどういう場所だったのか。何がどう違うの、と問うぼくに、ジョニはこう答えた。
「若かった頃、この地域のカレンとよく行き来していたものだ。ここはかつて深い森だった。貧しい人たちによる綿花栽培も始まっていたが、まだほとんどは伝統的なローテンション農業を行っていた。でも今では、ほら、日陰となる木さえないでしょ。これはとても重要なことだ。生き方を変える時なんです」
ジョニは続ける。
「まず日陰を作ってくれる木々を取り戻すこと。日陰がなければ、まず水がなくなる。水源を見つけるのがとても難しくなる。そして土がダメになる。私たちの村の土と比べて、元々はこちらの土の方がずっと豊かで栄養豊富だった。だから食べ物の収穫もいつもこっちの方が多かった。それがどうだろう、今じゃこんな荒れた痩せた土地になってしまった。するとたくさんの化学肥料や農薬を使わなければならなくなる。それがまた一層、土をダメにする。土自体を元の状態に戻すのにはとても長い時間がかかるだろう」
息子のスウェも、子どもの頃に父に連れられてこの辺に来たのを覚えているという。そして、ほとんどのカレンの人々が昔ながらのローテーション農業に従事していたこと、そのおかげで、このあたりは森に覆われていたこと、を。
その同じ場所でトウモロコシの大規模単一栽培が始まったことを知ったスウェは、10数年前、村の若い仲間たちと一緒に視察にやって来ることになった。
「まずは、トウモロコシのモノカルチャー(単一栽培)というものが、実際にどういうものかを知らなければいけないと思ったんです。いろいろと見せてもらい、最後に、コミュニティのリーダーたちとじっくり話をした。彼らが言うには、要するに、他に選択肢があるなら、つまり農業を続けてく他のやり方があるなら、トウモロコシはやめた方がいい、ということでした。なぜか。それは、いったんこれを始めてしまったら、もう途中で止めることは出来ないから、と。やり続けるしかなくなる。最初にかなり大きな資金や化学肥料・農薬が必要なのはもちろんだが、問題は、毎年出費が増えていくことだ。収入も増えるが、それに輪をかけて支出が増え、ローンが膨らんでいく。途中でやめたくてもやめられないのだ、と。それを知った私たちは、トウモロコシをやめよう、と心に決めました」
ただ、「トウモロコシにNO!」と言うだけでは村人たちは納得しない。すでに自給型の農業から換金作物へ軸足を移してきた農民たちを説得するためには、今すでにあるものに加えて、何か新たな収入源を示す必要があった。いろいろと調べていくうちに、だんだんわかってきたのは、トウモロコシはGMコーン、つまり遺伝子組み換えのものであること、またそれをタイ全土で進めているのは、タイ最大のコングロマリット(複合企業)として知られるCPだということ、だった。
スウェは続ける。
「ここで育ったトウモロコシは、食用ではなく、主に鶏、牛、豚、養殖魚などの飼料になります。それで育った畜産品などはチェーンのコンビニで販売される。魚と肉は海外にも輸出される。CPがタネから小売、貿易まで全てを独占しているので、価格も安定していて、損失のリスクが減る。安定した収入を得られる農民は、ローンを組んで農機具や車を買ったり、さらに耕作地を増やすための投資をしたり。すると、多大な債務を抱えた農民たちは、このサイクルから抜け出せなくなる、というわけです」
こうした仕組みについて理解した上で、スウェは、トウモロコシに変わる代替案を模索した。その結果、行きついたのが、コーヒーだった。
「私たちがトウモロコシに替わる代替案を探していた頃には、再びタイの北部のコミュニティの間で、地域の再活性化の一つの手段として、それまで放置され、忘れられていたコーヒーに注目が集まり始めていたんです」
スウェは、すぐにコーヒーについて調査と試験栽培にとりかかった。そして、目処が立ったところで、「トウモロコシを止めて、その代わりにコーヒーを」と村の人々に訴え始めた。








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