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ツアーレポート:シェ村の収穫祭に参加し、シャーマンの祝福を受ける

9月1日~9日まで、ナマケモノ倶楽部とジュレー・ラダック共催で、「"懐かしい未来"の故郷で、豊かな自然と文化の未来をみつける旅」を開催しました(ツアー詳細はこちら)。

数回に分けて、旅の日記と、貴重なインタビューなどをこの「ナマケモノしんぶん」でシェアしていきます。私たちが実際に目でみて、村に身を置き、人々の話から感じた学び・気づきをみなさんが受け取り、これからのローカリゼーション運動の知のツールとして活用いただければ幸いです。(事務局)

2日目


ヒマラヤの地に立つ。一夜明け、異国の絶景に息を飲む

 レーの南東12キロほどに位置するシェー村、かつてここは古代ラダック大国の最初の首都でした。乾燥気候であるラダックには珍しく、数日間雨が続くなか、ゲストハウス「パラダイス・シェー」での最初の一夜が明けました。


 高山病の症状がひどくなり、頭痛に悩まされながらも、寝ぼけまなこで部屋のベランダへのドアを開けると、少し湿り気を含んだ爽やかな風が部屋に吹き込みました。一歩踏み出し、深呼吸してから顔を上げると、目の前に聳える剥き出しの岩山にあったとされる「シェー王宮(カル)」城跡に建つ僧院、白い大きな仏塔、そして近年建立されたばかりの十数メートルの青い巨大な像「グル・リンポチェ(パドマサンバヴァ/チベット密教の開祖、ニンマ派の創始者で多言語を操り、時空を駆け抜けた伝説の高僧が、まるで映画のスクリーンに映る風景のように目の前に広がっています。


「いま、ヒマラヤの地、ラダックにいるんだ・・・ 」


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 一夜明けて初めて、これは現実なんだと心で理解しました。右手眼下に広がる「聖なる池」に、鏡のように王宮や山並が映り込み、シェーの語源であるシェル(ガラス)を彷彿とさせる風景をうっとりと眺めました。左手には、昨日までの雨で厚い雲に覆われて見えなかった、6千メートル級の山々が勇壮な姿を現しはじめています。氷河か、それとも数日前に真夏に降った雪なのかは分かりませんが、その山頂付近は雪をいただいています。


 私が住む長野県長野市も山々に囲まれてはいますが、緑に染まる山々を背景に、善光寺をはじめとする重厚な寺がどっしりとかまえ、庭園には手入れされた松や楓が美しく配置され苔類が地面を覆っており、地域に点在する神社はどこもブナ科の高い木々を共なっています。目の前の風景を眺めながら地形や気候の違いの中で生まれて来た、異次元の文化や暮らし、そこに暮らす人々との出会いに期待が高まります。


 朝食後に着替えを済ませて、ゲストハウスの前に集合しました。玄関先では、コーディネーターでこの村出身のスカルマさんが、「ゴンチェ」と呼ばれる長いコートのようなラダックの民族衣装をまとって佇んでいます。


「今日はシェーのお祭りだから、村人はこれを着なくちゃいけないんです」と、少し照れつつも誇らしげです。


 昨日までの、少し緊張した仕事の顔から、村の青年の顔へーー。スカルマさんの地域愛が伝わってきた最初の瞬間でした。(後で振り返ると、この旅で、スカルマさんの地元愛、仏教愛が炸裂していく予兆だったのです)


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古代ラダック王国の首都、シェー村の祭礼に歓喜


 ラダックはチベット仏教が息づく聖地とも言われています。今日9月2日はチベット暦で7月10日。年に一度、シェー村で開催される盛大な収穫祭の2日目。「ツアー計画の際、この祭りの見物を意図したわけではない」とスカルマさん。偶然にも、私たち一行は、高山順応のため最初に滞在し休んでいた2日目に、この収穫祭の日程が重なったのです。


 シェー王宮の膝下、歩いて10分ほどに位置する「シェー僧院ラカン(神堂)へ歩いて向かいました。道すがら、沿道に自生するシーバック・ソーン・ベリー(棘のあるグミの一種)のオレンジ色の小さな実を、棘に気をつけながら摘んで口に含みます。ビタミンが豊富なスーパーフードで、現地では高山病にも効くと言われ、乾燥させてお茶にしたり、肌の乾燥を防ぐオイルとして使われていて、土産品としても人気です。


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 白い仏塔が並ぶ道を抜け会場に着くと、民族衣装を身にまとった村人たちが数百人と詰めかけていました。まずは入口にある大きな「マニ車」をみんなで順番に回します。マニ車とは、回転させることで読経と同じ功徳が得られる円筒状の仏具で、寺や村の中心地など、大小至る所にあります。特に年配者はハンディータイプのマニ車を常に持ち歩き、祭りの最中も効き手で器用に回し続ける姿が印象的でした。その周辺の、手作りのお菓子を売るおばあちゃんたちの笑顔が光ります。子どもたちは学校があり、少なかったのですが、お菓子を頬張り、祭りを楽しんでいる様子がうかがえました。



 この収穫祭を正式には「シェー・シュプラ祭礼」と呼び、主食である大麦の収穫開始の祭りを意味します。また、かつて王家にまつわる女神を主人公とした伝説に基づく儀式が行われているのです。「シャーマン(ラバ)と呼ばれる、神と交信することのできる人物が、このラカンにこもり、寺院の守護尊である女神、「ドルジェチェ・チモ(地元の人はドルチェ・チェンモと呼ぶ)の憑依を待ちます。16世紀当時、ラダック王が様々な手を使って、シェーに連れてきたという伝説が土台となっているのです。


 村人の男性たちは、太鼓や笛を奏で、自前の酒、「チャン(大麦を発酵させて作るビール)を持ち3メートルほどの高さの僧院の2階に上り、その奥で祈るシャーマンの憑依を共に待ちます。女性たちはその手に大きな花束を抱え、神を祝福し祭りを盛り上げます。私たち一行は、堂の内部にある釈迦像(シャキャ・ムニ像)や仏画の前でお祈りをし、中庭を挟んでシャーマンが籠る場所の反対側の階段でその時を待ちました。


「憑依しない年もあります。過去5年間、憑依は起こりませんでした」

とのスカルマさんの説明の声が、私たちの期待を削ぎます。


 待つこと30分ほど。「わーーーー!」「おーーーー!」という怒号のような歓声が数回、会場全体を包みます。

「憑依した!!」とどこからともなく、声がかかります。


 突然、鮮やかな衣装を纏ったシャーマンが2階の回廊まで飛び出してきて、狂ったように踊り、酒を飲み、その酒を取り囲み歓喜する村人たちに浴びせかけます。そして、ヒョイっと、3メートル以上の高さはあるだろう回廊の20センチほどの縁に飛び乗ると、体をくねらせながら身軽に駆け抜けたのです。これを何度か繰り返し、さらに屋根に上り、踊り続けます。

「えっ、落ちないの? 大丈夫? 」と私たちメンバーは目を剥きます。


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 村人たちは、我も我もと近づこうとします。神が憑依したシャーマンに触れた酒は、日本でいう御供(ごく)。階下で集まった人々に村人たちはその酒を振る舞います。民衆はそれを口に含み額に付け、神に感謝するのです。まさに歓喜と感動の時間! 他にも自家製のバターやパバ(大麦粉/ツァンパを練って茹でたもの)が備えられて、振る舞われていました。


  私たち外国人にも、村人たちはにこやかに酒を差し出してきました。神聖とされる右手を出して酒をもらい、口に含む私。ちょっぴり酸っぱくて、日本でいう麹のような発酵した風味がしました。タシデレ!(幸あれ!)



 伝説通り、シャーマンは白馬にまたがり、村人たちと共に、シェー王宮へと進んでいきます。雨のせいか寒さが増し、私たちメンバーは車で王宮へと向かいました。王宮の城跡にある僧院の中で、ドルジェ・チモが憑依したシャーマンが踊り続けているとの説明を聞きつつ、王宮の下で待つ私たち。しばらくして観衆の前に再び姿を見せます。周辺には村人たちに紛れて、欧米やアジア、インド本土からの観光客も数組スマホを構えていました。


 村人たちの奏でる太鼓や笛の迫力ある独特の音色に合わせ、シャーマンの身体を借りて踊り続ける女神ドルジェ・チモ。人々の想いを乗せた歓喜の声が標高3500mの空にさらに高く轟き渡りました。


 さあ、大麦の収穫の始まりです!


 ちなみに今回の収穫祭では、シャーマンは前日も憑依を遂げたとのこと。6年ぶりの神の再来に、村人たちの心は高鳴ります。神と仏、シャーマニズムの混交。そしてここ、ラダックには、古代ラダック王国であった頃の王の力が今でも宿っています。そして千年にわたってこの地を守り続ける守護尊ドルジェチェ・チモの降臨により、村人たちは歓喜し、間もなく訪れるであろう冬へ向け、大切な食糧である麦の刈り取り作業に取り掛かるのです。


 花を持つ30代ぐらいの女性(写真右側)に英語で声をかけると、はにかみながら「私は農業を営んでいる主婦です。ここにいるのはみんな近所の女性たちです。すごく楽しいです」と答えてくれました。いま、インド直轄領であるラダックの教育では、英語を主体とした授業が進められているとのこと。こうして若い世代の多くは英語を話します。


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地域に息づく伝説と舞を守り続ける村人たち


 雨も激しくなってきて、寒さに震えながらゲストハウスに戻り、ランチを済ませます。そしてもう一度、午後の行事を見学しに、村の広場に向かいました。



「獅子舞?!」と思わず声を出してしまう私たち。

 少し変わった色の獅子の面を被り四つ足を装う2人組の踊り手、仮面をつけた生き物役が2人、神主のような烏帽子(えぼし)のようなものをつけた案内役。笹のようなものを持ち、獅子を先導し独特のリズムで舞い続けます。東西南北、4つの方向にいるとされる神に祈りを捧げているようにも見えました。この踊りは、前述した女性の神ドルジェ・チモをこの地に迎えた時の伝説を基に、音楽や動物や人々の踊りでなんとか神を楽しませ、道案内をするというものだそうです。(後述参照)


 そのコミカルな踊りを眺め、子どもたちは笑い、長老たちは手に持ったマニ車を回しつつ静かにその様子を見守り続けています。観衆に、酒や大麦をバター茶でこねて茹でた「コラック」が手渡しでちぎって振る舞われました。異例の雨と寒さに耐えられなくなった私たちは、間もなくこの広場を後にしました。


 先ほどまで祭礼に湧いていたシェー王宮の城跡。民衆がいなくなった後、ゆっくりと登ることにしました。王宮からはインダス川とその周りに繁栄する人々の営みが一望できます。民の暮らしを見下ろしながら、丘の上で神は舞い続けていたんだなーと改めてその祭りの意味を噛み締めます。そしてシェー・ゴンパ(僧院)の堂に祀られている大きな釈迦像(シャキャ・ムニ像)に手を合わせ、周囲に巡らされた壁画を拝見しました。その堂の前には無料で温かいバター茶やチャイの振る舞いがあり、冷え切った私たちの体を温めてくれました。


 ヒマラヤ山脈の麓、たった4カ月しか作物の育たない極寒の高知にあって、暮らしに密接に関わる水と農耕、そして人々の健康と村の繁栄を守るためには、村人が同じ方向を向き互いの絆を深める必要がある。つまり信仰と祭礼なくしては生きてこられなかったのです。今もなお、シャーマンをはじめ、祭りの中核を担う村人たちは世襲制とのこと。雨が降って肌寒い中での祭りに歓喜する村人たちを見るにつけ、地域のコミュニティーの中にある自分の存在を意識する時間でもあるのだと考えさせられました。


  一方で、現シャーマンは通常は全くお酒は飲めず、仕事は議員とのこと。古代ラダック王国時代からの世襲性で、シャーマニズムがこの地に生きているのです。しかも、地域によって偏りはあるとはいえ、ここシェー村はチベット仏教を深く信仰する仏教徒中心の村です。かつて、王室・シャーマン・チベット僧との密接な政治運営によって、形作られてきた独特の伝統文化に圧倒された1日でした。



村の祭りについて、シェー村の青年が語る


 夕食の前、レー村で最も伝統文化について詳しいというワンチョクさんを、スカルマさんがゲストハウスに呼び、話を聞くことができました。


 祭りの変化をたずねると、午後の踊りはここ数百年もの間、変わることないそう。ただし、午前中のシャーマンが憑依した後の王宮へ向かう動きには変化があるそうです。かつては王族の家に寄り、バター茶を飲んだり、王宮の前の池にある神聖な場所で、水の精霊を祀った祠「ルー・バーン」のある小島にも行き、音楽に乗って踊り続けたといいます。また、毎年冬の終わりには、「シェー・ドゥロ」という春の祭礼があり水入れの儀式をしています。こうした祭礼は、村人たちがそれぞれお金を出し合い、数百年にわたり自分たちの手で行われ続けているのです。


 最後に最近の祭りについて思うことを聞きました。観光・教育が進む中で、こうした伝統文化への人々の歴史的・哲学的理解は進むものの、逆に、利益を得ようというエゴイズムが人々の心に宿るようになってきたと話します。かつて村人たちは、親から子へと伝えられ、難しいことは考えず、無心で祭礼を行ってきたというのです。こうした変化の側面も正直に話してくれたことに感謝です。




地元出身の映画監督から暮らしの原点を学ぶ夜


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 夕食を済ませると、映画「氷河の羊飼い」のスタンジン・ドルジェ・ギャ監督を囲んだインタビューがありました。標高4500メートルを超える山岳地帯のギャ村の出身で、自身の姉の伝統的な羊飼いの暮らしを描いた作品です。


 「私はヤクの毛でできた民族衣装、亡くなった両親が作ったものを着ています」と、静かに話し始めたその優しい人柄にまず魅了されました。


 「ラダックの村自体が大学のようだ」と、真の教育のあり方について語るギャ監督。印象的だったのは、幼い時、羊飼いだった父親から「もし小さな虫を殺せば、鳥が来なくなる。全てに相互依存関係がある。一匹の虫を敬うこと、それ自体が私たちの一部でもあるのだ」という話です。(この話はローカル・プラネット・サミットでも本人が登壇し紹介しました)


 そして「パスプン」という、近所の共同体のことも心に残りました。ラダックの村では、自分のものではなく私たちのものという考えを大事に、生きているそうです。自分の家系だけではなく、近所などいくつかの家族を基本とした仲間で支え合う仕組みで、共にラトーという神様を崇拝しています。一つの家族に問題があれば、パスプンの家族が手伝ってくれるのです。いざという時は、お金ではなく、コミュニティーの支え合い、という保険が機能しているという説明に、私の住む長野にも残る「結(ゆい)」という仕組みを心の中で重ね合わせました。


 改めて、住民自治の大切さや、神社や寺を中心とした儀式や祭りの伝統行事の意味、また同じ地区と最小単位での絆をもう一度見直すこと。そんなことを思いつつ、監督の話に聴き入りました。


・・・


 就寝前に、ヤクと羊の毛で編んだレッグウォーマーを、ゲストハウスの売店で購入しました。地元の女性たちの手仕事によってこしらえたもの。レッグウォーマーの動物の匂い、そして着けた時の暖かさは、動物並(笑)。長野県では、そこここに登山用品のショップができ、その材質の軽さと暖かさに傾倒していた私。よく見ると全て化学繊維であり他国で生産しているのです。当然、今回の旅もコンパクトに登山グッズを揃えて軽量を心がけていました。その中で唯一感じる、動物の毛の温もり。そのありがたさに手を合わせました。(じゅんこ)



【参考書籍・資料】

・ラダックで出会う人と自然、世界観(NPO法人ジュレイ・ラダック作成、ナマケモノ倶楽部抜粋編集)

・懐かしい未来(ヘレナ・ノーバーク・ホッジ著/ヤマケイ文庫)

・ラダック旅遊大全(山本高樹著/雷鳥社)

・ラダックを知るための60章(煎本孝・山本孝子著/明石書店)

・Trekking & Road Map LADAKH(Ravinder Kalra著/HPC Publications,Chandigarh India)


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