キュンギャム村へ・その2~ラダック・ツアー2026年9月旅の日記より
9月12日から8泊9日で、インド北部ラダック地方に”懐かしい未来”エコ・カルチャーツアーを、NPOジュレー・ラダックとナマケモノ倶楽部の共催で開催しました(旅の詳細はこちら)。
日本各地、アメリカ、オランダから、辻信一さんを含め11名が参加、ジュレー・ラダック代表、スカルマ・ギュルメットさん案内のもと、グローバル化の波に押されつつあるラダックの今を自分の目で見て、感じて、学び、遊び楽しむ貴重な時間を共にしました。
旅のメンバーたちの協力のもと、今回は訪問地ごとの日記や旅の感想をランダムに連載していきます。
キュンギャム村・2日目
担当:saika

王とゴンパ
この日、ラドルは私たちを、昨日訪ねた彼女の家よりも下の方にある村の「遺産」に連れて行ってくれた。村に車で入ると、スカルマさんがある家を指差して、「あれがラドルたちの冬の家だよ」と教えてくれた。家が二つもあるなんていいな、と軽く思ってしまった。
もう人の住んでいない古い石壁の家々の間を歩きながら、ラドルは村の歴史について説明してくれた。この村には元々三人の王がいた。特に目立つ立派な家を指差して、それが王のものであるとラドルは説明した。また、この近くにはかつてゴンパ(寺院)があり、たくさんの土地を所有していたそうだ。
「ゴンパには税金を払わないといけないの」とラドルは説明した。「貧しい人は、ゴンパの土地で働かせてもらう代わりに税金を払うの」。その「税」としての大麦などの収穫物は、バン・アと呼ばれる倉庫に奉納されていたらしい。ラドルは、バン・アにまつわる話をしてくれた。
ある時、村の老人がこの倉庫から穀物を盗もうとして、入り口で背中を擦ってしまった。後日、村人全員が背中を見せるように言われ、老人の企みがばれた。それで、その老人の土地は全てゴンパに取り上げられてしまった。その老人はどのように生きていったのだろう、と私は思った。
「さっき言ってた王たちは、どうやってお金持ちになったの?」と私は聞いた。
「土地を持っていたからね」スカルマさんが答えた。
「でも、どうやってその土地を手に入れたの?」
「きっと、どこか違うところからこちらにやってきて、最初に土地を手に入れたんだよ」
私はその時のことを想像した。『仏教的だからといって「平和的」と言うわけではないのかな』と思った。かつてキュンギャム村は封建社会だったということだろう。そこから脱却し、個人の自由を得るための自由主義には限界があるのは、今の時代、明らかだが、だからといって、その前の時代を美化するのも違うのではないか。むしろ、このような二項対立自体が、近代化によって広まった暴力性ではないだろうか。
「伝統・近代」「平和・暴力」「人間・自然」など、私たちはすぐに物事を単純化する癖がある。しかも、その単純化は二項対立によって行われる。これについては哲学などで難しい議論がいろいろあるが、つまるところ、私が疑問なのは、なぜどちらか一方にしかなれないのか、ということだ。今回の旅行中も、辻さんは幾度となく私に「あいだ」について語ったが、「あいだ」の重要性が、ここでもうかがえる。



歌は、みんなで歌うもの
この散歩の最後に、ラドルは村の長老に会わせてくれた。アビ・ソナム(ソナムおばあさん)はほとんど無人になった遺跡の家々に囲まれた一軒に住んでいた。彼女は私たちを小さな家の客室に通してくれた。前は村ではたくさん羊や動物を飼っていたけれど、今は少なくなったと話してくれた。ラドルが、彼女はとても上手に歌えると教えてくれたので、歌ってくれるよう頼んでみたが、彼女はどこか恥ずかしそうに、ラドルにラダック語で返事をした。
「歌はみんなで歌うもので、一人で歌うのは恥ずかしいって」とラドルが英語に訳した。

なんとなく、そう尋ねた自分たちに、私は居心地の悪さを覚えてしまった。私だったら、知らない人たちが突然大勢やってきて「歌え」と言われたら、怒ってしまうかもしれないと思った。彼女は心が広いのだと思った。でも、もしかしたら、歌うことにこれほど身構えてしまう私のほうがおかしいのかもしれない。ラダックの人々にとって、昔は歌うことはごく日常のことだったのかもしれない。
現に、映画『氷河の羊飼い』の主人公、アチェ・ツェリンは、フランスの上映会に特別出演した際、一人で舞台に向かって行き、何千人もの観客の前でマイクを手にラダックの歌を歌い始めたらしい。「気が気じゃなかったけど、最終的にはスタンディングオベーションだったよ」と彼女の弟でもあるスタンジン監督は、この旅の初めに笑って話してくれた。
アチェ・ツェリンのような勇気は私にはない。もっとも、彼女にとっては勇気なんていらないのかもしれないけど。歌うことに勇気がいるのは、私たちが、歌うという行為を評価される場だと理解しているからかもしれない。でも、農作業などをしながら歌うのは、全く別なのかもしれない。
シャラ村で一緒に焚き火を囲んで踊っている時、私は心地よい開放感を覚えた。私は普段、人前で踊るタイプではないけれど、村のお母さんたちとツアーのメンバーと一緒に踊るのは楽しかった。かつてエクアドルに住んでいた頃のことを思い出した。エクアドルでも、パーティーや何もない時も、皆で集まって踊ることはよくあった。ラダックの音楽はまた全然違ったけれど、ノリノリの曲調と、精一杯踊る姿勢は懐かしかった。私たちの日常には踊りと歌が不足しているのかもしれない。
かわいそう、という言葉
ストーブの横に腰掛けているアビ・ソナムは、それから、昔の思い出で一番印象深いのは山に行くことだと言った。山で薬草やお香の原料を集めるのが楽しかったのだという。
辻さんが、「ラドルが羊飼いをしていることについてどう思うか」と聞くと、アビ・ソナムは「かわいそうに、羊飼いをして」と答えた。なぜ「かわいそう」と言ったのか、「かわいそう」とはどういうことなのか、わからなかった。少なくとも私の目には、ラドルは情熱を持って、生きる目的をはっきり持っているように見えた。
もちろん、彼女の暮らしの厳しさも、「かわいそう」という言葉の文化的な意味も、私は知らない。ラダック語がわかれば、もっとずっとお話ができたのにと悔やまれた。
ラドルが、この地方ではもう数少ない羊飼いだからだろうか。歌や農作業と同じように、羊飼いもまた、かつては皆でやるものだったと、この旅で聞いた。そのつながりが薄れつつあるからだろうか。
それから、アビ・ソナムが「お茶はどうか」と聞いてくれたが、さすがに申し訳なくて、私たちは席を立った。








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