カトプ村でのホームステイ・その2~ラダック・ツアー2026年9月旅の日記より
9月12日から8泊9日で、インド北部ラダック地方に”懐かしい未来”エコ・カルチャーツアーを、NPOジュレー・ラダックとナマケモノ倶楽部の共催で開催しました(旅の詳細はこちら)。
日本各地、アメリカ、オランダから、辻信一さんを含め11名が参加、ジュレー・ラダック代表、スカルマ・ギュルメットさん案内のもと、グローバル化の波に押されつつあるラダックの今を自分の目で見て、感じて、学び、遊び楽しむ貴重な時間を共にしました。
旅のメンバーたちの協力のもと、今回は訪問地ごとの日記や旅の感想をランダムに連載していきます。
カトプ村でのホームステイ・その2
担当:川井美奈子
朝食のカンビルづくり
起きて家の前の畑の辺りに出てみるとお母さんが外のかまどの準備をしていました。積んであった灌木の細枝を折ってくべ、私も側に座らせてもらいます。台所から発酵したパン種のようなものを持ってきて、それをいくつかの塊に分けて、丸めます。
私もやらせて、となったら、生地のうんと小さなカケラをくれました。「クリーニング」と。消しゴムみたいに、それをこね回すと手の汚れが取れるというもの。団子状の生地は焼く直前に薄く伸ばします。総勢3人に増えた我々も交代で丸めて広げたり、お母さんが伸ばしなおしてみたり。火の上の石板に載せて表裏を焼き、ぷうっと膨らむと直火に差し込んで焼き色を付けます。カンビルと呼ばれる、ラダック独特のパンだそうです。
畑を見に
焼き上がったカンビルを台所に届けると、家の周りの段々畑を見に行きました。標高が高いのときつい勾配と、どこが通路か足場の勝手が分からないのが合わさってくらくらします。温室の換気窓が開いていて中が気になります。
動物よけの柵に阻まれたりしながら何とか家に戻ると朝食です。カンビルの膨らんでできた空洞に生野菜やチーズを挟むのです。
写真左:かまど部屋
写真右:付近にラダックバスケットらしきを発見


写真左:カンビルの生地をちぎってまるめて
写真中央:平たくしたら火の上で焼きます
写真右:我々も団子から平たくしてます

写真左:部屋の下のジャガイモ畑に降り立ちます
写真右:間近で見る藁ぶき屋根
写真左:段々畑の段
写真右:温室が下にみえます。急勾配で足の置き場に困ります
写真左:いろんな光景がフォトジェニック
写真右:大麦刈り取り後の段々畑
写真左:綿毛状の草
写真右:セキレイより大きい鳥、パラダイス・シェイにもいました
朝食です。カンビルにキュウリやトマトを切って挟みます。マトンのスープとあわせていただきます。
作物の話
朝食後はアンモさんへのインタビュ―の時間です。どんな作物をどう食べて来たか、伺いました。知らない植物のことは聞き取りきれませんが、自生する草、古くから食べて来た植物の利用と新しい農業のストーリーは個人的に興味のあるところでした。
古くは数少ない野菜を季節ごとに食べていた
・クンブック(鶏足のような形の野草):春に山菜のように出てきたらまず食べ、育ったら葉を、花も使う。花は2倍美味しい。クミンのような実を乾かしておいて玉ねぎのように使う。
・ザッツォ:山からとれる。ここの標高にあってるから昔はよく食べた。
・タヤット:ソバの葉を野草として食べていた。下ラダックでは実を穀物として食べる。
・春に畑の一角にカブを植え、何にでも入れて食べていた。
・種をまかなくても土地に生えてくるハーブを時々に食べ、残りを冬用に乾燥。
・ポロリン:野菜として昔から食してた。お酒にもなる。
・大根も育ててた
・ジャガイモ、キャベツは近年栽培が増えた。
・キュウリやトマトは数年前に政府から派遣された農業博士に栽培方法を習ってから食べるようになった。
・谷ごとに人々が住んでいる。ロン地域(この辺り幾つかの村の地域)は医者がいない、必要ない。
・現在は28種ほどの野菜を作り、地元のフェスタに出品して「ベストファーマー賞2026」をとった。

畑作は元々オーガニックだった。有機に戻すまで
インタビューが続きます。たくさん収穫する必要が出た時に、インド政府から化学肥料の推奨があった。よくないのでは、という話が幾つも出て、村人にも話して、今は5年間使わずにやってみてもらっている。
有機の認証に自分たちのお金はかからない。認証に当たって政府の後押し、地元議員などの協力がある。有機に戻すにあたり、当初は人々も「何を言っている」という感じだったが、科学センターの教育などが役立った。2年試してもらった。
化学肥料が残ったバケツで餌をやった牛が死んだ。死ななくても腹が異常に膨らむというようなことが起きた。その牛を食べたユキヒョウも死んだかもしれない。化学肥料を売る人を追い出した。むろんすぐ全員賛同したわけではない。村の11家族のうち2家族が、初めは「何を言っている、自分たちは違う」という感じだった。
ユリア(尿素肥料)を売る人は「これで作物がたくさんでき、お金が入りますよ」と言う。有機派の人は「ユリアは作物にも人の健康にも良くない」と言う。村人たちもどちらを信じたらいいのか混乱した時期があった。
昔ながらの食文化の継承
現金収入を求めて人々は町に去っていくので、野草を使うような食文化の継承は難しい。今回のスタディツアーは収入にもなるし、アイディアの元にもなる。村を維持するには今のラダックを考えるとツーリズムが手段。でも有名な観光スポットにばかりお金が落ち、富が集中してしまう。
段々畑の石段について
お母さんが見た時にはもうあったので、棚畑を作る土木は経験していない。肥料を無駄にしないよう、下の段が受けるようになっている。
屋外で見学しながら
一同で屋外に出ました。
収穫を終えた大麦の脱穀
家の前には大麦が広げてあります。茎から外された粒を高いところから落とし、軸や塵を飛ばす風選を見せてもらい、皆体験します。
写真左:藁に残った粒を叩き落とします
写真右:塵がとれているかチェック
機織り見学も
軒先には機織りが出ています。手紬の自分たちのウール毛糸です。これも実演を見せてもらい、希望者が体験させてもらいました。織り手が変わると織り目が変わってごめんなさい~。


何本かおきに横糸を通しているようです
親しんだ織との違いを味わいます
家の周りの畑を見学
段々畑に上がるのも足元が不安定で少し登山みたいです。豆、カリフラワーなど日本の我々も見慣れた作物が取り混ぜながら植わっている畑。
写真左:表彰の盾を持って
写真右:祠は必ず見られます。これは地の神「ラー」への感謝かな
写真右:カモミールティーをいただいた白いカモミールの花
温室ではトマトやカボチャなどかわいらしく育ち、実っています。トウモロコシは植えたものの、しっかり実がつくまでには至らなかったそうです。

写真左:クミンに似た草
写真右:その実
一族のこの土地への入植
歩いて数分の、一家が以前住んでいた家の前でご先祖のことを聞きました。
ご先祖の出身地はカプルー。現在のパキスタン、ギルギット・パルティスタン州です。ラダック王国時代はラダックだった地域で、ラダックについての歴史的な記述はカプル―にあるのだそうです。
祖先のおじいさん、おばあさんは、子がなく、その頃の習慣によって呪術師に相談しました。「あなた方2人は日が当たるところでメロンに砂を乗せ、滑り落ちず止まった土地で暮らしなさい。」(メロンとは、結婚式など大事な行事やお祈りに使われる杖の、矢羽の部分につけられた銅や銀の鑑のことだそうです)
言われたとおりにしたところ、ここがその地でした。おじいさんは杖を地面に挿し、そこに木が生えた。おばあさんも少し上に挿した。ムスリム時代は記録がなく、仏教の時代になってからの記録で400年ある。このご先祖はムスリムでご先祖が持参していた刀にはムスリムのお経が刻まれていてお皿もあってやはりお経が記されているそうです。
土砂崩れで住み替え
歩いて2,3分先の、先年まで住んでいた先祖からのという家屋を見学しました。この家はお父さんが増築したところと、建物の窓が小さい前の時代の部分がありました。2008年の大雨で土砂崩れが起きた。住みよい所だったけれど危険なので現在の場所に新たに家を建てて移ったとのことです。ここで色づいて、種付きの黄色い葉を落としているポプラの木は、ラドルのご先祖様の大きな木の仲間のようです。
こんな険しいところに貼りつくように家を建てて暮らす人々。アンモさんはとても穏やかですが一日中働いているはず。11家族で、今は一家族が2,3人だと言っていたので、村の規模はかなり小さいですね。賞を沢山取ったりとりどりの夏の野菜が育っている姿、織物の姿など見ていると美しくてにぎやかですが、ご先祖から引き継いだ土地を大事にして暮らしている自負とともに、村の将来への不安はあるだろうなと感じます。
写真左:以前の家屋。左の段の上部が崩れている
写真右:手前の窓の小さい部分は先代が建てたところ
写真左:高地でよく見た花。山羊、羊に人気がないそうです
写真右:ポプラの一種が種つきの葉を落としていました





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