リジェネレーターはあなただ
- 信一 辻
- 13 時間前
- 読了時間: 13分

京都、奥大山、下関を経て長崎県各地を巡る旅を終えて戻ってきたばかりだ。いつもの通り、ご縁に任せるブラブラ人類学なのだが、今回もまた、旅先のあちこちで、新しい時代へと向けて生き生きと活動するリジェネレーターたちに出会い、彼らから大きな学びとインスピレーションをいただいた。詳しい報告はまたの機会ということにしよう。
さて、大地は全ての生きものにとってのよき庭だ。大地が生きとし生けるものの生と再生を支え、生きものたちが大地をつくり、更新し続ける。そんなリジェネレーションの営々たる働きを祝うのが、明日11月28日は“いい庭”の日。日本版の感謝祭(サンクスギビング)と言ってもいい(まあ、ダジャレだけど)。
そしてその“いい庭の日”に、今世界で注目され、実践されるリジェネラティブ(大地再生)ムーブメントの、おそらくは最良の指南書である『リジェネレーター 土に恋する大地再生者たち』の日本語版が、いよいよ刊行される。原題はFor the Love of Soil、ぼくなりに訳せば「土に恋して」。この本を書いたのは、ニコール・マスターズ、農業生態学者であると同時に、世界各地で大地再生農業や牧畜、土壌再生プログラムのエキスパートとして大活躍してきた。リジェネレーター(大地再生者)という言葉について、彼女は言う。
「土こそ、最も重要な生態系。新しい科学のフロンティア。気候変動、人間の健康、栄養、水循環の鍵を握っている。その土を甦らせるリジェネレーターほど人をワクワクさせる仕事が他にあるだろうか」

『リジェネレーター』は素晴らしい本だ。訳者として、ぼくは確信をもってそう言いたい。この本は、人類の危機が深まるこの時代に、土壌と人間の健康を育む農と食を蘇らせるべく、喜々として励み、高い生産性と収益性をもつ農地をつくり出してきたリジェネレーターたちの物語だ。ただし、これは決して、農業や牧畜に従事する人々たちだけのために書かれた本ではない。第一次産業に関わる者だけでなく、おそらく私たちの誰もが多かれ少なかれ、自然を単なる資源や道具と見なす”人間中心主義”というマインドセットに囚われていた。とすれば、そのマインドセットから抜け出すことにこそ、危機の崖っぷちに立つ人類にとっての希望を見出そうとするこの本は、すべての人にとって重要なテキストとなりうるのだ。リジェネレーターとは、誰か特別な人のことではない。誰もが特別なリジェネレーターになりうるし、ならなければならない。そこに人類の未来がかかっている。
では、ぼくが尊敬する三人の識者たちが送ってくださった推薦のメッセージ(①)を紹介しよう。そしてその次に、北海道長沼の農場日本における先駆的な大地再生農業を展開するメノビレッジの代表で、著者のニコールとの交流も深いレイモンド・エップによる「はじめに」(②)、さらにその後に、監訳者であるぼくが書いた「あとがき」(③)をご一読いただこう。
さらに詳しくは以下を参照。
① 『リジェネレーター』推薦文
● 「リジェネレーションは、これからの人類が地球と共に生きるための希望の道であり、 リジェネレーターはその在り方を世界に示す存在です。 本書は、人の生態系・社会生態系・自然生態系を結び直す“結節点”としての〈土〉をテーマに、 最も重要なマインドセットを説き、土壌再生の原理と方法を明晰に示す、 プラネタリーヘルスへ向かうための必読書です」
――桐村里紗(医師、プラネタリーヘルス・イニシアティブ代表理事、『腸と森の「土」を育てる〜微生物が健康にする人と環境』著者)
● 「この地球で、いつまでも皆んなが楽しく食事ができる社会をつくる大地再生農業。 土と生きものの先端科学を活かし、呼吸する大地で生きものとしての作物や 家畜が育つ。ちょっと考え方を変えれば、こんな面白い未来が見えてくるのだ」
――中村桂子(生命誌研究者、『人類はどこで間違えたのか〜土と人の生命誌』著者)
● 「本書をお薦めします。
大地をオブラートのように薄く覆うわずか30㎝ほどの土壌圏。これが、私たちを含めた「いのち」のすべての源だ。だから、土の大切さはわかる。けれども、いざ詳しく知りたいと思っても専門用語の羅列に身が引けるし、専門書を何冊読んでも断片的な知識が増えるだけで、そのつながりがみえない。けれども、仮に次のような説明されたらどうだろう。
「食べものがなくても水さえあれば2カ月は餓死しない。けれども、息ができなければ数分で死ぬ。どれも大切だが、緊急度から言えば、空気、水、栄養の順だ。同じことが植物にもいえる。なのに、農業は肥料ばかりを重んじて空気や水のこと忘れがち。土が締め固められてフカフカでなくなれば、呼吸も浅く健康になれない。だから、いくら栄養を取っても薬が必要になってくる」。
ニコール・マスターズさんのこの本は日本語の「生きがい」の説明から始まり、「呼吸する大地」「いのちの水」「多肥料投入型農業の行き詰まり」となぜ微生物や虫と共生したフカフカな土が必要なのかをわかりやすく説いていく。
この本の楽しさはそれにとどまらない。面白い本の魅力のひとつには他の類書では得られない情報が得られることがあるが、ヒトが土と共に生きてきたことの説明として「サメは100万分の1の血の匂いを嗅ぐことができるが、人間の鼻は、サメが血の臭いを嗅ぎとる感覚より20万倍も放線菌がだす土の香りに敏感なのだ」とか、肥料をやらなくても森の樹が元気に育つ理由として「昆虫は、あらゆる生態系で“窒素泥棒”として振る舞う。だから、森林生態系では、土壌に還元される窒素の70%が虫の死骸やその糞によるものだ」とか「へぇ、そうなのか」と読みながら思わず膝を叩きたくなるような知見が随所にちりばめられている。
また、ここで書いたとおり、科学的な知見をきちんと説明しようとすれば「放線菌」といった専門用語が使われることは避けえない。評者も原書を農業英語の専門辞書や理化学辞典を片手に苦労して読んだ。けれども、この翻訳書の巻末には日本版オリジナルコンテンツの「キーワード&キーパーソン」を収録されているし、ツボを押さえた「訳注」や原書をバージョンアップした腐植の説明図をさりげなく添えることで、読者が中断することなく読み進められる工夫が凝らされている。
そして、この本の最大の魅力は、ニコール博士の幅広い知見が現場で活かせることを各章で登場する農家の実践例とともに躍動感をもって描かれていることだろう。気候変動による猛暑や猛烈な速度で失われる生物の多様性と表土。真実を知れば知るほど絶望的な未来を目をつぶりたくなるが、二酸化炭素の削減以上に水循環の回復の方が気候変動対策としては重要なこと。微生物同士が「クオラムセンシング」によって対話していて、こうした自然のカラクリを上手く生かせば、失われた土壌も1年に1㎝という奇跡的な速度で回復できること等、最先端の知見も織り込み済みだ。この本を読むことで、知的好奇心が満たされるだけでなく、レイモンド・エップさんのような農家が増えれば、どんな未来絵図が描けるか。そんな希望も受け取ることができるだろう。
――吉田太郎(フリージャーナリスト、『シン・オーガニック』著者)
② はじめに
この本を日本の皆さんに届けられることを、とてもうれしく思います。私がニコールのことを知ったのは、2022年にナマケモノ倶楽部と共に日本で配給した映画『君の根は。大地再生にいどむ人びと(原題「To Which We Belong 」)』です。映画に登場する農家ピート・ラナンが、「彼女は助言者としてはもちろん、人柄もすばらしい」と言っているとおり、ニコールはクセの強い農家とも信頼関係を築く達人であり、彼らがよりよい農業の方法を自ら見つけ、実践する力を引き出す優れた教育者でもあります。この本では、彼女の土や作物、家畜に関する科学的知見が惜しみなく分かち合われており、彼女のコミュニケーション力、そして土へのあふれる愛に読者は心打たれることでしょう。
私は2023年、息子の陽平と共にオーストラリアで行われたニコールのワークショップに出かけました。現地には120人を超える農家が集まっていました。驚いたことに、参加費だけでも数十万円かかるこの三日間の講座に、多くの人が学びと笑いを共有するため毎年参加しているというのです。彼らは口々に、こうして学ぶことで毎年数百万円の経費を節約できるのだから、十分その価値があるのだと話していました。
その年の暮れ、私は、米国モンタナ州にあるニコールの同僚ミーガン・ラナンと共に、ニコールが始めたという農場を訪ね、イエローストーン川のほとりを散歩しながら彼らの情熱あふれる言葉に耳を傾けました。そこから、ニコールの著書『For the Love of Soil』を日本語で出版する相談が始まったのです。
ここ数年、日本でもゲイブ・ブラウンやデヴィッド・モントゴメリーらの優れた著書が翻訳され、人体の健康と土の健康には、多くの共通点があることに気づく人が増えています。そのタイミングにこの本が出版されることは大変意義深いことです。これまでの優れた学者たちによる専門的な科学的基盤の上に築かれたニコールの知識と洞察は、読む者に深い理解を与えてくれます。
しかも、この本が貴重なのは、具体的な実践へと進もうとする人たちに向けられて語られている点です。どうすれば土が改善するのか、貧しさから脱却できるのか、そして幸せに暮らすことができるのかと模索するすべての人によって、繰り返し読み返されている手引書なのです。土の保水力がなく日照りで作物が枯れる、雨が降るたび土が流される、病害虫が蔓延し刈り入れが少ない、家畜の病気が絶えない……。こうした困難な状況を好転させるために辿るべき過程を、この本は理解しやすく示してくれています。
さらに、気候変動や農業資材の高騰、高齢化、過疎化、食品の栄養価の低下など、ともすれば「それが現実だ」、「どうにもできない」、などとあきらめてしまいそうな事柄に対しても、回復が可能だという希望が語られます。大気中に放出された炭素を再び土中に戻すことができ、土壌の栄養循環を回復させ、外部資材への依存を減らすことができます。その結果、農家の収益性が向上し、農村コミュニティが活性化することを、ニコールは20年以上の研究と活動を通して実証しました。何より大きな変化は、農家の顔に喜びが戻ったことでしょう。土とそこで活躍する生きものたちに倣ならって働くことで、農地が癒され、人の魂にも癒しがもたらされるのです。
私の農場も、リジェネラティブ(大地再生)農業に出会う前の25年間は、化学物質を使っていなかったにもかかわらず、ミミズが棲めない農地でした。よかれと思ってやっていた農作業の多くが、実は土壌生物を殺す作業だったことに気づかなかったのです。私にとってリジェネラティブ(大地再生)農業は、何をすべきかだけでなく、何をしてはならないかを学ぶことでした。私の仕事は「作物を生産すること」から「土壌生物が繁栄するのを支えること」へと変わりました。これがニコールの言う「マインドセットの変化」です。リジェネラティブ(大地再生)農業を実践するとき、誰にもこのような腑に落ちる瞬間とも言うべき、マインドセットの転換が起こります。
私はここ2年間、瀬尾義治さんと私の妻、荒谷明子とともに、リジェネラティブ(大地再生)農業の考え方と実践を多くの日本の農家や園芸家に紹介する活動をしてきました。すべては土から始まる再生の旅です。本書は旅を始めたばかりの人々にとっても、すでにその道を進んでいる人々にとっても、貴重なガイドとなるでしょう。
ニコールの熱意あふれるメッセージを翻訳してくださった辻信一さん、どうもありがとう。また編集や校正にご協力いただいた、二葉テリーさん、二葉眞弓さん、馬場直子さん、瀬尾義治さん、そして、日本農業の希望ある未来のために、愛のこもったお仕事に励まれている多くの方々に心より感謝します。
2025年8月
レイモンド・エップ
(メノビレッジ長沼、マオイカバーシード、大地再生の旅 代表)
③ 訳者によるあとがき
なんと寛容なものであることか、地球よ。
私たちはあなたから元素をひきぬき、大砲や爆弾をつくるのに、
あなたは私たちの元素から百合やばらの花を育てる。
ハリール・ジブラーン「おお地球よ」(神谷美恵子訳)より
本書の翻訳を手がけるに至る経緯は、冒頭にあるレイモンド・エップの「はじめに」に書かれているとおりだ。北海道長沼にある農場メノビレッジでレイモンド・荒谷明子夫妻が始めた、日本で最初の本格的な大リジェネラティブ地再生農業に関心をもって集まった人々の輪に、ぼくも連ならせていただいた。のちに「大地×暮らし研究所」を名乗るようになるこのグループがまず取り組んだのが、リジェネラティブ(大地再生)の意義をわかりやすく伝えるアメリカのドキュメンタリー映画『君の根は。』の上映運動だった。
この映画の出演者の中で、ひときわ強い存在感を示していたのがニコール・マスターズだったが、この人の著書の日本語版を制作することが、大地×暮らし研究所の次のプロジェクトになったというわけだ。
あれから2年、苦労の末、リジェネラティブ(大地再生)に関わる世界各地のリジェネレーターたちにとっての“バイブル”ともいわれるこの本をようやく翻訳し終えて、安堵感と共に、高揚感、そして、これを日本の読者に届ける役割の重さを感じている。なんといっても、これは極めて珍しい本なのだ。科学書であり、思想書であり、農牧業の実践ガイドでもある。しかも、そのそれぞれにおいて、内容は一級だ。
科学者であるニコールは、「インテグリティ・ソイルズ」という会社を率いる一方、1年のほとんどを、土壌再生と農業のコーチ、教育者として、旅から旅へのノマドのような生き方をしている。本書の一つの楽しみは、そんな彼女の人生の道筋が、あちこちに散りばめられているエピソードをつなぎ合わせることで、ぼんやりと浮かび上がってくることだ。
本書のおそらく最も重要なテーマは、マインドセット(思考の習慣)の転換だ。あのアインシュタインがこう言っていたという。「ある問題を引き起こしたのと同じマインドセットで、その問題を解決することはできない」。ところが私たちは、人類存続の危機を引き起こすに至ったマインドセットのままで、その危機を克服できるかのように、振る舞ってきたのではなかったか。農業や牧畜が、砂漠化から生物多様性の減少、気候変動まで、深刻な問題の要因だったことが明らかになった今、そうした営みを支えてきたマインドセットそのものの転換が求められている。
それは要するに、自然を単なる資源や道具と見なす”人間中心主義”の農牧業を、その根本から見直す、ということだろう。かつて農民として、「作物を生産する」ことを自分の仕事と見なしていた著者が、土壌の健康とそこに生きる生物の繁栄を支えるリジェネラティブ(大地再生)をこそ生きがいとする、リジェネレーターへと変身してゆく旅を、本書は描いているのだ。
読者であるあなたは、この本で、これまで気にかけなかった草や虫やミミズや微生物の数々に出会うだろう。嫌いな生きものが出てきても、本を投げ出さないでほしい。ニコールは本気で、そこにこそ希望があるのだと、考えているのだから。そう、そしてその出会い一つひとつが、あなたに必要なマインドセットの転換のチャンス(好機)なのかもしれない。学者から農民、社会活動家、そして危機の時代に悩み、生き方を模索する人々まで、この本との出会いが、それぞれにとって、きっと実り多いものになると、ぼくは信じている。そう、これは農業だけの話ではない。大地の再生に人類の未来がかかっているのだ。
改めて、この類いまれな本を生み出してくれた現代の奇才、ニコール・マスターズに心から敬意を表したい。そして、本書を日本に届けるという情熱を最後まで失わずに、スローなぼくを信じて、つき合ってくれた、レイモンドをはじめとする大地×暮らし研究所の仲間たち、特に翻訳チームとしてぼくを支えてくれた瀬尾義治、二葉眞弓、二葉晃文、荒谷明子の皆さんに感謝する。出版元であるゆっくり堂の仲間たち、中村隆市、大岩由利、伊藤直美の皆さん、本の本質を捉えたすてきな装丁に仕上げてくれた寺井晃子さん、そして、大地×暮らし研究所の運営から本書の出版に関わるコーディネート全般を手がけてくれたナマケモノ倶楽部の馬場直子さん、どうもありがとう。
2025年9月 秋を迎えたヒマラヤ、ラダックにて
辻信一








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