アティさんの藍染工房訪問~2026.02北部タイツアーレポート・4日目
- ナマケモノ事務局

- 13 時間前
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ナマケモノ俱楽部では、「リジェネラティブ&ローカル・ツアーin 北部タイ」で、2026年2月18日~23日に、カレン民族のコミュニティを訪れました。自給的な暮らしを営む人びとの日常を体験させていただきながら、アグロフォレストリーについて、循環型伝統農業について、先住民族の若い世代がとりくむローカルビジネスについて、五感で学ぶフィールドワークの旅です。
頭だけでなく、身体、心を「今、ここ」に置き、現地の自然や人びとと共に時間を過ごしながら得た、かけがえのない学び遊びの時間を、ツアーに参加したメンバーたちが分担して報告レポートにまとめました。ハイライトを連載形式で紹介していきます。
Day4・その1:招魂の儀式とノンタオ村出発
名女川由利
昨夜の大雨(倒木のため停電)でオシさん宅の樹々、畑の作物もすっかり洗われて美しい朝です。バンガローに宿泊し、オシさんの母上、姉上の心づくしの朝食(冬瓜スープ、お庭の野菜炒め、もぎたてのレタス、みかん)の朝食でした。オシさんのそばには常にオッティくんが…。久しぶりの対面に嬉しくて嬉しくてと言った様子でした。

招魂の儀式
出発前に集合したスウェさん宅では、ジョニさんより招魂の儀式(白い紐を手首に巻いていただく)がありました。昨日のレイジーマン・ガーデンでの、いたずらっ子のような表情とは打って変わって、荘厳な雰囲気をまとい、真剣に私たちに祝福を与えて下さる姿に心を打たれました。ジョニさんはいろいろな面をお持ちなのですね。多分まだまだ、知らないジョニさんがいらっしゃるのでしょう。本当に魅力的な方です。
カレン族の考えでは、人間は魂と肉体といった2つからなり、魂は天にある第一のお母さんか作ったもの。肉体は地上にある第2のお母さんが作ったものとされています。
魂と肉体が合体して人間になります。魂と肉体が別々になれば魂は天に上り、肉体は地の中に入り、人間は存在しなくなるという考えです。そのため、魂と肉体が別々にならないように、手首に糸を結ぶという習慣が生まれました。これは人間が永遠に存在することを祈るためのものです。
Day4・その2:アティさんの染織工房
花田みゆき
レイジーマンコーヒーを堪能させていただいたノンタオ村を後にし、次に向かったのはアティさんの染織工房です。
車を降りて10分ほど山道を歩きました。高台にある木造2階建ての建物は、アティさんとそこで学んでいるブンさんがご自身で積まれたという石段を登って行きます。花壇や畑もあって、ハーブや野菜たち、綿花、バナナやパパイヤも気持ちよさそうに育っていました。以前は2階が工房だったとのことですが、今は1階が工房になっていました。

まず目に飛び込んできたのが大きな機織り機。そして真っ白な綿の糸と染めた糸、完成したスカーフや服も掛けてあって、目ばかりではなく心も奪われます。でも何より心奪われたのはアティさんの笑顔とその暮らし方です。
さっそく機織りの実演と、そのしくみやなぜここで工房を営むようになったのか?などのお話をしていただきました。以前、チェンマイの工場で働いたこともあったけれど、そこではあまり喜びはなかったこと。工房を営むようになってからチェンマイに常設店舗があったが、常に製品をおかなければならなかったので、とても忙しかったこと。今は週末だけ開くお店になったので、畑のお世話もでき、織りや染めの仕事もゆっくりとやれるようになったこと。
日中はソーラーから電気を使えるのでミシンを使うことが多い。でも今日は(みなさんが来てくれているから?)デモンストレーションでやっている、と笑いながら、手や足は糸を自由自在に操っていきます。
デザインは、織っていくうちに浮かんでくる。それは、伝統的なもので父方のものだったり母方のものだったりする。織ったもので服を作るときには、ハギレを捨てないように、なるべく無駄の出ないように考えて作る。思わぬデザインができるのが楽しい、というようなことを、とても楽しそうにお話してくださいました。
お日様の力を借りてミシンの仕事をし、ハギレもきっと愛おしむようにその作品のどこかに組み込まれていると思うと、ひとつひとつの服やスカーフの中に、物語があるように感じられました。

お昼は、アティさんの工房まわりの畑でとれた野菜たちがメインです。大きなお皿に盛りつけられたお料理の美味しそうなこと、そして美味しかったこと。大がかりなキッチンがあるわけでもなく、とってもシンプルキッチンなのにも、その暮らし方がうかがえました。
山の中ではありがちなスコールがやってきて、外に出してあった糸やスカーブなどを慌てて中に取り入れた時も、アティさんの笑顔は絶えることなく。そして辻さんの一言、「ちょうどいいや、この時間をショッピングに当てたらいいね」と、ゆっくりとスカーフや服を手に取り、試着してみることができました。
どれも素敵で、選ぶのにも迷ってしまいます。草木染がほとんどで、インディゴの他、マンゴーやニームなども染料になる。でもインディゴはとても繊細で、赤ちゃんみたいだったり、お婆ちゃんみたいだったり、しっかりとお世話をする必要があると。そのインディゴの、藍の美しさは格別なものがあるような気がしました。
時間を見計らったようにあがった雨。雨で緑がいっそうキラキラする中、アティさんの工房を後にしました。
ドキュメント:アティさんインタビュー(抜粋)
2026年2月21日、アティさんの藍染工房にて
お話:アティさん(アティタヤ・ナチュラル・インディゴ主宰) 通訳:辻信一
文字おこし:花田みゆき、馬場直子

手紡ぎ、手織りにこだわる
アティ:私は、父方、母方それぞれに伝わる織りのパターンを受け継いで、作品を作っています。織る作業には集中力が必要で、緊張も伴います。目だけでなく、足や手で感じながら織っていきます。
織り機の経糸は細かく調整されていて、上と下とがひっぱりあうような形になっています。青い横糸は藍で染めたものです。横糸を一つ通すたびに、足のペダルを踏みかえて縦糸の位置を変え、パターンができていきます。糸が常にピンと張っていることがポイントです。経糸の本数を変えることでもパターンが変わります。
糸は私が手紡ぎして、藍で染めたものを使っています。藍はここでも少し育てていますが、量が足りないので、実家の村に暮らす母や姉に手伝ってもらい、彼らが育てたものを送ってもらっています。3年前まではこの先の滝の近くに住んでいたのですが、日当たりが悪いため、ここに移り、自分たちで工房兼住居を建てました。
ここには息子と呼んでいるブンと私の二人しかいません。織り、染め、仕立ての全てに携わりながら、畑の面倒もみるのはとても大変なことです。
私の作品は、チェンマイのショップでもツーリスト向けに売られています。去年までは常設の店舗がありましたが、お店との契約更新があり、今は土日だけの営業です。毎日お店を開けていたときは、私はフル稼働で、早朝と夜に織り機を動かし、日中はミシン作業と、本当に忙しかった。畑の世話をブンに丸投げしていました。
ところで、私はデザインやパターンの勉強をしていません。チェンマイのマーケットに行くと、いろんな織りのパターンを見かけます。でも私は、そういったデザインは参考にはしません。自分の頭に浮かんだインスピレーションと、祖母から受け継いだ技術をベースに、私だけの服を作ります。
そして、もう一つ、私のこだわりは、ムダを出さない服作りです。既成製品では生地を切った時点でハギレは捨てられてしまいます。私はいかにムダを出さない仕立てにするかに心を砕きます。たとえば、あそこにかかっているジャケットは、袖の長さが足りなかったので、違う色をあわせて作りました。出来上がりとしてはとても素敵なデザインになりました。
参加者:本当、すてきー!
辻:アティさんは、コットンを育てるところから、糸紡ぎ、染色、そしてデザインという最後まで、全部自分でやっています。
アティ:私は自分の世界を作りたいんです。型紙に合わせて作るという発想が私にはありません。織り始めていくうちに、作りたいものの形がだんだんと現れてくる。でもそうすると、こういうものがつくりたいと途中で浮かんでも、それにはサイズが足りないという場面にも遭遇するわけです。
そういったときに、「継ぎ足していったらどうだろう?」と思い浮かんで、だんだんやっていくうちに、今のスタイルができあがってきました。たとえばこのジャケットは、スカーフ用の幅で織った2つを縫い合わせてできています。
コットンは白綿と茶綿の両方を使います。白いコットンには天然の、木の皮とか葉っぱとかの植物で草木染をします。藍だけはまだ量が足りないので、既製品と天然の藍を組み合わせて使っています。
デザインは父と母から受け継いだと言いましたが、実は、織りの技術は母に教わっていません。私が7歳の時に父が亡くなり、私を含め6人の子どもがいたので、母はとても忙しかったのです。
辻:では、どうやって織り方を学んだのですか?
アティ:基本的な織りについては母に習いました。だから私は織りしかできないんです。それで、飾りの結び方など高度なテクニックは、義理の姉が得意で、彼女が手伝ってくれます。私はただ織って、色を替えたり、草木染を配合して新しい色を作ったり。織物の世界では、学びが終わることはありません。一人がすべてを極めることはできないのですから。
祖母の教え
アティ:私は自然の多い田舎で育ちました。小さい頃からとてもアクティブな女の子で、男の子たちが元気に外遊びをしているのに、女の子は家で織りものをしなくちゃいけないことが不満でなりませんでした。それを聞いた祖母は、彼女はとても機転が利く人だったのですが、私にこんな風に言葉をかけてくれました。
「女の子に生まれたんだから、今はこれをやるのよ。それが伝統なのだから。でも、そうしたら、もっとうまくなったときに、これを続けるか、やめるか、選ぶことができるでしょう?」それで、私はそうかと気付きを得ることができました。
また祖母は、織物をするときには、よく見せようとせず、正直に、自分自身を出しなさいとも私に言いました。男性が女性に声をかけるとき、彼女が身に付けている手織りのショールから、その人の忍耐力や人となりを見るものだから、と。
織りができれば何でもできる
このスカーフは、私が6、7歳のときに母から習った基本的な織り方です。2本のペダルを使います。4本のペダルを使った織りは、私が10歳、11歳の頃、別の町に住んでいた祖母が遊びにきたときに習いました。
母は今でも4本のペダルは扱えません。私には2人の姉がいますが、私ともう一人の姉だけが4本で織ることができます。ペダルを使いわけて、経糸や織り方に変化をつけます。
治子:間違えないんですか?
アティ:以前は正確さを追求して、間違えたらやり直していたんですが、博物館などから、「いや、その間違いが民藝ぽくていい」、「手織りの証拠だから間違いもそのままでいい」、と言ってくださる方がいたりして。
織りを始めた最初は、白糸だけで織っていました。織りあがった布を母が藍で染めます。当時も市場はありましたが、私たちは洋服を買う現金をもちあわせていませんでした。ですから、私は母の手織り、手縫いのスカートで学校に通いました。乾季の2、3ヶ月間、母はずっとシンプルな機織りをしていました。それは、売るためではなく、家族が寒い冬を乗り切るための防寒用のものでした。
時代は変わり、今では多くの人にとって、服は作るものから「買うもの」になりました。また、工場では安い服が量産されています。でも、私は服を織り、仕立て、自分もその衣を身に付けることにこだわっています。なぜなら、それが私の人生だからです。織ること、そして草木染をすることが好きです。
草木染を始めたのは、長男の誕生がきっかけです。当時、三女が3歳で、実家の村を出て、チェンライにあるカレン民族のコミュニティで、川が近い木の家に住んでいました。母親として安心安全な食べ物を子どもに与えたいと思ったし、化学染料の排水で川を汚したくない。それで草木染のみで染めるようになりました。
草木染の作業をすると、しばらく手に土や染料の色が残ります。子どもたちは、色が残った私の手を気味悪がり、私がすすめるご飯を食べるのを嫌がりました。それで、私が食べ、姉たちが食べるのを見せたら、ようやく受け入れてくれたという思い出があります。手は汚く見えるかもしれませんが、化学的なものは一切ない、川もきれいなまま。自然と調和した暮らしに私はとても満たされていました。
草木染に使う染料も、取りつくすのではなく、1本の木から少しだけ皮をいただくようにします。すると木は自力で治癒していくのです。自然からもらうだけでなく、自然のお世話もするという気持ちが芽生えました。
手紡ぎ手織りのコットンのよいところは、クオリティが持続することです。織りたての手触りは滑らかではないです。でも使って洗っているうちに柔らかくなります。この手触りに恋する人も多いです。
治子:日本の紡ぎみたいな感じですね。
アティ:こちら(茶)は元のコットンの色です。染めていません。茶綿と白綿を同時に使うとこういう見え方になります。スカーフの端の処理の仕方をお見せします。マンゴーの樹皮で染めています。ふくらはぎを使ってぐるぐると糸をよじり、最後に玉結びします。玉の大きさをそろえると、見た目がきれいです。
馬場:手先の使い方が「縄ない」みたいですね。
アティ:私の祖父は同じやり方で、牛たちが荷物を運ぶ際のロープをつくっていました。このように、私は家族から多くの手仕事を学びました。家の中では、これは男性の仕事、これは女性の仕事と分かれていましたが、男性の仕事でもやろうと思えば習得できるものです。
実際、私は自分で家を建てたり、椅子を作ったりできるようになりましたが、織物ほど複雑で繊細なものはありません。逆を言えば、織りができるようになれば、何でもできるということです。
緑に染めたいと思ったら、まず藍で染めます。それから黄色で染めます。私の場合はマンゴーの樹皮を使います。緑を濃くしたいと思ったら、藍の濃度を濃くします。つまり、緑と一口にいっても、染め方によって色の濃淡を作ることができます。
織物で生計を立てる
織物を始めたとき、母にコームを送ってほしいと電話をしました。「赤ん坊がもうすぐ生まれるし、外に働きに行けない。だから家をリフォームして織物をする」と。母は女1人で織物は無理だ、誰が道具の準備をするの?と私をたしなめました。でも、私は自分一人で取りかかったのです。その結果、腕の筋肉に負担をかけてしまい、医者にかかることになりました。医者は働き方を変えないと体調はよくならないと忠告しました。困った私は友人たちに連絡をして、手伝いに来てもらうことにしました。
最初の織り機は竹製でした。しかし、雨季には湿度が高くなり、中から虫が出てきたりして、うまくいきません。母にそれを伝えると、主人が一緒に住んでいないのだから、兄弟や男手なしに暮らすのは難しいと言われました。私も彼女の意見を受け入れようという気持ちに傾いていました。
しかし、1か月後、私の頭にはやりたいことがたくさん浮かんできたのです!あんなパターン、こんな色・・・。それでもう一度、電波が通じやすい所まで出かけ、村の母に電話をしました。「もう一回だけチャレンジしてみたい」と。それでうまくいかなかったら母の言うとおりに、コームをもって村に戻ると伝えました。
でも、実は私は失敗する気がしなかったのです。当時、私はゲストハウスの隣に住んでいました。外に働きに出なくても子どもの面倒を見る目がたくさんあり、織物でツーリストから収入を得ることもできると母を説得しました。
母は、「わかった」と言って、コームを2セット送ってくれました。そうして、私はナタ一本で再び大工仕事に取り掛かりました。のこぎりを使わずにですよ!私にはナタしかありませんでしたが、川辺から必要なだけの竹を切り出し、織り機をDIYで作りました。
辻:すごいなあ。
アティ:2年後、村から母が訪ねてきて、チェンライで私が織物で生計を立てている暮らしを目の当たりにしました。特に労いの言葉もかけられず、別れたのですが、村に戻った母は、私が一人で全部やってのけたストーリーを近所に自慢げに話していたそうです。
一方、私はカレン民族のコミュニティで暮らしていたのですが、文化がまったく異なり、言葉もわからないから、意思疎通がうまくできませんでした。そこで、仲良くなったカレンの友人に、言葉を教えてほしい、そしてカレンの文化を教えてほしいと頼みました。私のモットーは、問題があるところには、解決方法も必ずある、なのです。

苦になる仕事、喜びをもたらす仕事
辻:全部自分でやることに疲れないですか?
アティ:疲れは感じません。疲れたら休めばいいのですから。自分のために働くことは、工場での労働とは、使うエネルギーが違うのです。
過去に10年間、バンコクの縫製工場で働きましたが、私の人生で最悪の時間でした。賃金のためだけに働いていると、心も疲弊していきます。外部から完全に切り離され、本を読む時間さえ取れません。新しい情報がないからインスピレーションも沸かない。目の前の作業をこなすだけの毎日です。
工場は下請けですから納期優先です。機械の下に座って急いでお昼を食べたり、徹夜で働かされたこともありました。それは確かに疲れる仕事でした。でも、今は、確かに肉体的に疲れるときもありますが、心は軽く、自由に飛び回っています。
この工房は、カレン族の友人たちや息子も参加して、カレンの伝統的な方法で建てました。庭や畑の開墾、工房への石の階段もシンプルな道具を使い、すべて自分たちの手作りです。こういう仕事は苦ではない。むしろ喜びです。
私はプランをもたないようにしているんです。工場勤務では、綿密に立てられた計画があり、最初はこれ、次にこれ、と順番どおりに進めることが求められました。でも、私の手仕事は計画ありきではありません。インスピレーションに導かれるようにして何かを作り出すと、次の展開が自然と開けてきます。その流れに身を任せること、そして、感覚を開くことを大切にしています。
辻:河合寛次郎みたいだ。日本でいう民藝作家だね。
アティ:ここで一緒に手伝ってくれるブンもまた、私に新しいスピリットを運んでくれます。彼は数日後には33歳を迎える若い世代ですが、本を読むのが大好きで、私にいろいろなことを教えてくれます。外見は若いのに、中身は100年前の人みたいです。
辻:ブンはね、いろいろな経緯があってここにやってきたんだけど、彼女のことをお母さんと呼んでね、家を建てるところから、畑や織りの作業まで、アティの仕事の全部のプロセスを手伝ってきた人です。
アティ:何年もの付き合いになりますが、彼には学ばされることばかりです。たとえば、私は、主人のサポートなしで子育てをしたので、自分の健康に気を配ることができず、また、先ほど話したように、暮らしていくためにお金を稼ぐ仕事にも就きました。
でもブンは、お金のために働くという選択をしません。お金がもらえるかではなく、その仕事は自分の内面を育て、成長させるか。それが彼の判断基準なのです。若いのにとてもスピリチュアルな人です。私は彼のお母さん役でもあるのに、内面は赤ちゃんのようです。
そういう意味でも、今年は私にとって大きな転機なんです。常設店舗が週末営業のみになったことで、本を読む時間もできました。疲れたら昼寝をすることもできます。もっと多くを学びたいし、深く理解したい。その学びを、言うばっかりでなく、実践へと移していきたいです。

みんなが藍染のストールを広げて選んでるところ。(絵:よしき)
自分でコットンを育てる
辻:ここでもコットンを育てるプランはありますか?
アティ:はい。ブンが今、何本か育てはじめたところです。雨季になったらもっと育てる予定です。
辻:そうだよね。アティたちはここに住み始めたばかりだからね。僕が昨年ここに来たときは、まだ倉庫みたいにがらんとしていたもの。
アティ:先ほど皆さんがご覧になったコットンの木は2年前に植えたものです。私の実家の村では、ワタノキを毎年植えています。乾季に水が足りなくて茎が枯れてしまうからです。そして、次の雨季にまた植えていく…。とても苦労してやっています。でも、ここでは、水さえやり続けていれば、枯れることはありません。収穫後、枝を整えると、また翌年に実をつけてくれます。
知子:藍とマンゴーの樹皮以外にどんな染料を使いますか?
アティ:ニームの木でも染めます。実はどの木にもそれぞれの色があります。最初は色がないようにみえても、ミョウバンや石灰で触媒したり、泥につけたりすると、色が出てきます。
たとえば、ニームの樹皮で染めると薄い茶色ですが、土につけることで濃い茶色に変わります。他にこの布地を鉄や釘に通すとまた色が変わります。藍染でもつける回数で色合いが変わってきます。
治子:ここでは藍を発酵させていますか?
アティ:藍は生きものです。バクテリアが強い色を出すのに必要です。雨季は藍の管理に気を使います。母も雨が降り始めると、容器に雨が入らないよう、すぐに覆いをかけていました。
通年、藍染はできますが、私の家族では、姉と義理の姉、母で冬に集中して染めの作業をやります。藍は赤ん坊の世話をするように、細やかな対応が求められます。1日2回攪拌し、手をかけすぎても、ほったらかしもよくない。藍のことを深く理解し、いい状態を維持する必要があります。また、藍はおばあちゃんのような存在です。朝と夕の2回、染めて、藍のお世話をする。1年を通じて私たちの生活に藍があります。
辻:アティが今、冬って言ったのは、日本の冬とはちょっと感覚が違います。この地域は季節が3つにわかれていて、2月末の今は夏のはじまりです。それから、5月ごろから雨季。雨の降る短い夏があります。そして10月から2月が冬。





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