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あれから2年 パレスチナを「感じる」ことを諦めない

  • 執筆者の写真: editor
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  • 1 日前
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ヨルダン川西岸地区にて 2018年秋
ヨルダン川西岸地区にて 2018年秋


2年前のあの10月7日、ぼくはヨーロッパにいた。何か重大なことがパレスチナで起こったというだけで、旅で移動が続いていたぼくにはしばらくのあいだ、はっきりしたことがわからなかった。でも、イスラエルへのテロ攻撃によって、ユダヤ人多数が犠牲になったということを知って、ぼくは滞在先のチューリッヒで、友人に頼んで、ユダヤ教の寺院、シナゴーグに連れていってもらった。門は閉じられて、中に誰かがいる気配はなかった。しかし、その門には犠牲者に手向けられたはずの花がくくりつけられていた。周囲にも人影はなく、無機的なほどに整然として、不気味なほどに、そして気抜けするほどに静かだった。少なくとも、まだ事の詳細を知ることができないでいるぼくにはそう感じられた。嵐の前の静けさとはこういうことを言うのかもしれない。

チューリッヒのシナゴーグ 2023年10月
チューリッヒのシナゴーグ 2023年10月

 

間もなく激しい嵐がやってきた。憎悪と復讐の嵐。ヒューマン・アニマル、つまり、半人間と見なされた、無抵抗のパレスチナの人々をほとんど無差別に、最新鋭の兵器でなぎ倒して行くことを、あれから二年間、イスラエルの圧倒的多数は支持し続けてきたとぼくたちはメディアによって聞かされ続けてきた。それにしても、この二年間の一方的な残虐極まりない攻撃を、メディアが“戦争”と呼び続けているのは、そしてそれにほとんど誰も意義を唱えないのは、一体なぜなのか。世界トップクラスの軍備とハイテク・レベルを誇るイスラエルが“戦争”しているその敵陣には、戦闘機どころか、一機のヘリコプターも、ドローンもない。ミサイルどころか、大砲もない。タンクどころか、ジープすらない。そのこの気の遠くなるような非対称性を知りながら、いまだに、“イスラエルとハマスの戦争”と言い続けて、まるで現実が把握できているかのような幻想を振り撒いているのは。

 

そもそも、この圧倒的な非対称性は、そしてそれについての無視や沈黙もまた、77年間続いてきたのだ。考えてもみよう、いわゆるパレスチナ自治区のうち、ヨルダン川西岸地区や東エルサレムには、イスラエルによる入植の推進や分離壁の建設が続き、“自治区”などという呼称は、もうとっくに有名無実化しているし、特にガザはこの20年、イスラエルによって上空と地上と海上に引かれた境界線によって厳重に封鎖されてきた。ガザを天井のない牢獄に喩えることがよくあるが、正当な反論もある。まともな牢獄であればの話だが、収容者は刑期が終われば出てゆくことができるし、毎日食事も与えられる。牢獄に爆弾を落としたり、タンクを送り込んだり、マシンガンで収容者を売ったりする監獄がどこにあるだろう。それでもぼくたちは、いつの間にか、まるでガザをめぐるこの二年間を“戦争”という言葉で括ることに慣れてしまって、どうして人間は戦争をやめられないんだろう、などと嘆いてきたのである。

 

壁に書き連ねられた犠牲者の名前 ヨルダン川西岸 2018年
壁に書き連ねられた犠牲者の名前 ヨルダン川西岸 2018年

これだけの無慈悲で、残虐で、一方的な暴力を二年間にわたって見せつけられてきた今も、この世界はイスラエルという国と社会についての大いなる幻想によって覆われている。その幻想を生み出し、支えるイデオロギー装置としてのシオニズムは、巨大な資金力を背景に、いまだに人々の心に強力に働きかけている。正直に言えば、これはユダヤ人問題やパレスチナ問題について、自分自身のテーマとして関心を寄せ続けてきたつもりのこのぼくにとっても、決して他人事ではない。この二年間はぼくにとって、この幻想から自由になるためのアンラーニングの日々だった。数々の本の中で、映画や動画で、ネットで、文字を、画像を、追いかけてきた。今は壁で隔てられているパレスチナ人とユダヤ人双方から、闇の中に灯されるロウソクの光のような声を、ぼくなりに、不器用ながら、拾い集めようとしてきた。でも一体、そんなことをして何になるのか。何かの役に立つのかと言われれば、多分、何の役にも立ちはしない。ではムダなのか、と言われれば、まあ、そうだ。でもそもそも、人生とは役に立つことでできているなどと、誰に言えるだろう。

 

つい先日、『サラームの戦場』というNHKスペシャルのドキュメンタリー番組を見ていて、NHKガザ事務所のカメラマンである主人公のサラーム・アブタホンが静かに、しかしきっぱりとこう呟くのを聞いた。

「世界はただ私たちを『眺めて』いただけで『感じて』はくれなかった。もし本当に『感じて』くれていたら戦争はすぐに止まっていたはずなのだから」

 

そうか。それに違いない。ぼくがしようとしてきたのは、眺めているだけの自分をなんとか超えて、感じる自分へと辿り着こうともがくこと。そうだったのか、とぼくは思った。

 

さらにサラームは淡々とした調子でこうつけ加えた。

「それでも私は撮り続けました。ただ世界に『見せる』だけのために」

 

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その声は明るいとは言えない。しかし、そこには一種不思議な平穏があった。それがぼくの心を捉えた。“サラーム”とはアラビア語で平和を意味する。あんなに醜く惨たらしい現実をカメラにおさめながら、この人の心の中の平和は破壊し尽くされなかったのだろうか。だとすれば、その彼の心の中の平和に、ぼくたちはなんとか、つながり、連なることができないものだろうか。

 

サラームがカメラを持ったまま、破壊された建物のそばに並んで腰かけている子どもたちに近づく場面がある。微かな恥じらいと相手への思いやりを含んだ、子どもたちの笑顔があまりにも美しく、ぼくには衝撃だ。何をしているのかと問うサラームに、子どもの一人が「別に、見てるだけだよ」と答え、その友人たちが微笑みで応じる。灰色の瓦礫の中で、彼らの姿はまるで奇跡のように輝いている。

 

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続いて、コンクリートと泥でできた小さな山の上で、一人夢中で遊んでいる幼い子どもが映し出される。カメラはその背後から近づき、その子の前へと回り込む。サラームの声がそこに重なる。

「『カメラを置いてこの子を抱しめたい』と何度思ったことか・・・少しでも安心させてあげたいと何度も感じた」

 

そんなカメラマンの存在に無頓着な子どもは、ただ一心に遊んでいる。コンクリートの破片を一つ置き、さらにもう一片をその上に重ねる。この子だけを見ていれば、どこかの家の子ども部屋で積み木遊びをしているのと、何一つ変わらないように見える。何一つ・・・。この子の家がどうなってしまったのか、家族がどこでどうしているのか、などと聞きさえしなければ。「何をしているの?」とか、「なんでそんなことをしているの?」とかと聞けば、その子は答えるかもしれない、「遊んでいるだけ」と。ただ一つ、確かに思えるのは、この子がカメラを構えているサラームに心を許していること。そしてその子の心にも、サラームの心にも、束の間の平和が訪れていること。

 

「それでも私は撮り続けました」とサラームは言った。彼は諦めなかった。それが、「ただ世界に『見せる』だけのため」だったとしても。ぼくは古代インドの聖典『バガバット・ギータ』の次のくだりを思い出した。

「世界で行為することをあきらめるな」とクリシュナ神は戦士アルジュナに言う。しかし、「その行いの果実への欲求を捨てよ」と。そして、こう念を押すのだった。「けっして世界を捨てるな」と。



NHKスペシャル『サラームの戦場』より(テレビの画面を筆者が撮影)2025年10月
NHKスペシャル『サラームの戦場』より(テレビの画面を筆者が撮影)2025年10月

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