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執筆者の写真信一 辻

ぼくが待ちわびていたのはこれだった

奥会津へのディープな旅から戻った。事の起こりは、KOTOWARIというNPOの二人の青年、あおきこうたろう君とうのこうた君からの呼びかけ。彼らはアメリカでの大学時代からの親友で、今、日本に戻って、社会変革のために活動し始めている。オンラインで顔を合わせた時から、ぼくには彼らが他人とは思えなかった。大学で社会思想や哲学を学んだのは、ぼくも同じ。二人との間には30年以上の時間の溝があるはずだが、それをあっさり跳び越えさせるようなパワーが彼らにはあるのだ。


彼らとその仲間たちは、クラウドファンディングを通じて実現したのが「KOTOWARI会津サマースクール」だ。そして、ぼくも彼らの熱いに思いに応えるべく、そこに参加させてもらった。

それはそれは、素晴らしい時間となった。


その報告をぜひ、見てみてほしい。



青木くんから”お礼”のメールが来たので、ぼくはさっき、「お礼を言いたいのはぼくの方だよ」という趣旨のメールを返信した。その一部を紹介しよう。


サマースクール、どうもお疲れさま。そして、盛会、おめでとう。 ぼくからもあらためて、お礼を言わせてください。サマースクールに参加させてもらい、講師という役割を与えてもらったのは、とても光栄だった。 行ってみて、これこそ、ぼくがそれと知らずに身を置くことを待望していた場だったんだ、ということがわかった。 奥会津というマジカルな場所やそこで活動するすごい人たちのこともあるけど、きみたちがつくった、若者たちを中心とするあの場は、つくづくパワフルなものだった。ぼくがついた日の夕方のあの空の夕焼けみたいに。


集まった若者たちも、みんなああいう場を待ち焦がれていたんだなあって。 マスクは邪魔だったし、ハグもできなかったけど、ま、大きな一歩であることは確かだ。 食事がよかったよね。ベジタリアンに不慣れな学生たちが、とても満ち足りていた。

終わってすぐに、その野菜や穀物が育った「無の会」の農場に行けたのも、ぼくにはありがたかった。・・・ そのまま、サマースクールで始まった学びのツアーが、数日続くことになった。・・・ 三島、柳津では縄文文化について、また昭和村ではからむし文化について、学ばせてもらった。 帰ってきて数日たっても、まだ余韻に浸っている感じだ・・・。 

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