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「生きている系(生命系)」と日本の地域主義  ナオキン

こんにちは!ナオキンです。

「地域主義」の2回目は、日本のエントロピー学派と地域主義についてご紹介します。

はな垂れ小僧の私が、虫とりや三角ベース大好き、テレビの再放送のウルトラマンや赤影、サンダーバードなど正義の味方に夢中だった70年代、世界は曲がり角の時期にありました。

ベトナム戦争、公害、石油ショック・・・東西冷戦に環境破壊、エネルギー資源危機により、ローマクラブ「成長の限界」をはじめ未来予測や文明論が様々に議論され、省エネや太陽光発電等今日につながる様々な変革の取組が生まれました。(日本沈没やノストラダムスの終末論もこの頃でしたね!)

その中の流れの一つが、エントロピーの考えに基づいた「エントロピー学派」と「地域主義」です。

その学際的な研究の中心が、玉野井芳郎(経済学)、槌田敦(物理学)、室田武(経済学・理学)の三人の先生方でした(以下敬称略)。


愚輩のお粗末な理解力で恐縮ですが、尊敬する先生方の書籍から以下により要点をまとめてみたいと思います。

 


【エントロピーについて】

●エントロピーとは"拡散"の指標であり、19世紀クラウジウス(独)がエントロピー増大の法則(熱力学の第2法則)を発表、熱エネルギーは高い方から低い方へ不可逆的に拡散する(=エントロピー度は低高へ)とされ、物理世界のすべての基本法則とされた。

それにより、いずれ地球は閉鎖系の中でぬるま湯状態の「熱的な死」を迎えると予想された。

●その後、物質も同様にエントロピーが不可逆的に増大する同法則が適用されることが解明された(「形あるものは必ず崩れる」)。

●1971年にジョージェスク=レーゲン(米)がエントロピー法則を経済分析に導入する研究を発表し世界に影響を与えた。日本でもエントロピーへの関心や議論が高まる中、1976年日本の槌田敦の以下の画期的な研究発表が大きな反響を呼び、地域主義の運動やエントロピー学会の設立につながっていった。

【開放定常系の理論】

●生命とは、生きていることによって生ずる余分なエントロピーを捨てることによって定常状態を保持している系、と定義される。生きている系(生命系)は生態系を踏まえて同様にエントロピーを系外に捨てることによって生命活動を維持している自立的、主体的な系のことであり、これが「物質代謝」の本質と考えられる。

●「生物循環」は土壌が支えている。

土壌は単なる鉱物類の集まりではなく、微生物、菌類、ミミズ、植物の根など多種多様な生命の集合体。動物の排泄物や死骸、植物の遺骸という有機廃物(物のエントロピー)は、土壌のもつ分解力によって「無機物」と「廃熱」に分解される。無機物は植物が再摂取し、光合成を行なって成長し、植物を動物が食べる。[植物(生産者)-動物(消費者)-土壌(分解者)-植物 の循環]

●地球の「水循環と対流」は廃熱を地球圏外へ放出する役割を担っている。廃熱のエントロピーを水が吸収し、蒸発することによって大気上空で宇宙に捨てられ、低エントロピーの雨や雪になって地表に戻ってくる。いわば、地球そのものを出口のある一つの開放系と考え、地球それ自体が余剰エントロピーの処理能力を持っており、それにより地球のエントロピーは絶妙なバランスで定常状態に保たれているとする【槌田氏により「開放定常系理論」として解明、定式化】。

●したがって、水と土と木(植物)との有機的関係の「生きている系」の恵みによって動物の生存は可能となっているのであり、地球という開放定常系における人間の経済活動の基盤は、水と土と木にあるといえる。人間とその社会は、水と土の能力の範囲を越えて活動することは不可能であるという結論となる。古代文明の崩壊の主な原因も土壌や森林の消失にあると考えられる。




【エントロピー学派の議論より】

●現代は、地下資源濫用、エネルギー多消費、大量生産・大量消費・大量廃棄の巨大工業文明であり、水と土を媒介にした循環を麻痺させ切断し、地球の処理能力を上回るエントロピーの発生により、地球の開放定常系は突き崩されつつあり、人間を含む動植物の生命活動は未曾有の危機にさらされている。

●これまでの経済学は生産と消費のみを考え、投入-産出のネガの部分である廃棄(廃物・廃熱)、生態系が担う分解と廃棄物の問題をみる視点が欠落していた。「生きている系」の物と熱の循環を考慮し内部化する広義の経済学が必要。

●ボールディングが提唱した「宇宙船地球号」(1966)の閉鎖系の中での完全なリサイクリングの構想や、ライフスタイルの見直しを伴わないソフトエネルギーパスの考えは、廃熱の問題や再生産により多くの資源エネルギーを必要とする点で問題。

●生命にとって不可欠な水と土を再認識して「生きている系」を大切にするということは、農林牧畜漁業の一次産業の意義を、生きているものに関わる人間の活動として他の産業と根本的に区別して重視すること。農業の工業化が水土の破壊をもたらしてきており、水土を保全し生命を維持・再生産する半永久的な持続する農の営みを回復することが必要。

一次二次三次の産業の発達順を経済進化のパターンとする従来の考えは、実は第二次産業という非生命系の「工業の原理』を産業全般へと一般化する図式にほかならない。

また、「情報化社会」が脱工業化社会の未来像であるとする考えもこの図式の延長上の亜種であり、かえって地下資源掠奪型の工業化の一層の推進となるのではないか。

●日本が「資源小国」という考えは誤りであり、水、土壌、森林、海と山の幸、これほど多様で豊かな天然資源に恵まれた所はなく、国レベルでも地域レベルでも資源を生かした自給度の高い自立自立経済を目指していくことが必要。

●経済を成長させないと失業が発生すると言われるが、経済の成長をするほど地域の生業が奪われ、機械化、コンビューター化により潜在的失業者が増える事態が進行している。

●経済成長は、人間と自然環境の共生を保証する程度まで、お金で測られる国民所得水準はしばらく下げて、その一方で自給・自営的な経済活動を全国の地域で活発にしていく形の「マイナス成長」をみんなで考えるべき。

●生きている系の水土の世界を守る主体は、抽象的な時空を想定する中央集権でなく、特定の時間・場所・関係性の等身大(ヒューマンスケール)の世界を生きる生活者、地域、自治体が主役。

●地域の多様な文化を復活し、相互扶助、交換と交歓の場を取り戻すこと。

●以上のことから、現存の社会・経済システムに自然・生態系(エコロジー)を導入することは、社会システムに「地域主義」を導入することに等しい。

※「地域主義」とは、一定地域の住民=生活者がその風土的個性を背景に、その地域の共同体に対して一体感をもち、経済的自立性をふまえて、みずからの政治的・行政的自律性と文化的独自性を追求することをいう(玉野井の定義)。

 

以上、エントロピー学派の議論について要約してみました。

(エントロピーについては、「しあわせの経済国際フォーラム2019」トークセッションで四井真治さんが、不可逆の時間の物理世界の中で、生命だけが命をつないでいく尊さについて、エントロピーの用語を使わずにコメントされていたのを思い出します。)


私自身は全くの文系で物理のことはサッパリ?本に載っている定式もチンブンカンプンですので、エントロピーのことや現実世界への影響など、詳しい方がいらっしゃればぜひ教えて頂きたいです。


ただ、これら1970~80年代に記されたこれらの論文の思考の跡が、気候危機、生物多様性危機、資源エネルギー危機、原発問題、プラスチックごみの拡散、土壌微生物と有機農法の見直し、多様性、集権と分権、コモンズ論など、現在進行している諸問題の状況と、エントロピーの視点から見通していたかのように全く当てはまっていることから、先生方の著書の数々は(辻先生の著書と同じく!)自分にとって読み返さずにはいられない名著なのです!

(これから読まれる方は、室田武先生の「水土の経済学」(福武文庫)から試しに入られることをお薦めします。)



最後に、玉野井芳郎先生による特に印象に残った言葉から。

『生きている人間と生きていない人間(人間ロボット)との区別がつかなくなるということは、生命に対する脅威を脅威として感じとることのできないような世界が拡大しつつあることにほかならないであろう。』


次回は、エントロピー学会からの提言について書いてみたいと思います。最後まで読んで頂きありがとうございます!

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