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「手を洗う」こと、「キャンドルを灯す」こと



6月4日

また、月が満ちようとしている。夏至が近づいている。暮らしは明らかにスローダウンしたのだが、日々はより速く過ぎ去っていくようにも思える。おそらく、新しい生活の中での、「いる時間」と「する時間」の折り合いがまだちゃんとつかないままなのか。ともあれ、はや、3ヶ月が過ぎようとしている。


ふと、キャンドルナイトをまた呼びかけてみたいな、と思った。2001年に自主停電運動としてのキャンドルナイトを共に呼びかけたナマケモノ倶楽部の仲間たちに声をかけたら、うれしそうに賛同してくれた。また、2003年から2012年まで10年間、「100万人のキャンドルナイト」の呼びかけ人として共に活動した四人の仲間たち(藤田和芳、枝廣淳子、竹村真一、マエキタミヤコ)も喜んでくれた。みんな、同じようなことを感じていて、「うんうん、そうだよね」という反応なのだ。(詳細は「コロナの向こうを照らす明かり」へ)


コロナ・ウィルスが引き起こしたこのパンデミックというのはつくづく、興味深い現象だ。世界中があっという間に、共通の意識と言語で一つにつなげられてしまった。「手を洗う」とか、「ステイ・ホーム」などという単純な行為や、普段は無意識の領域にあるはずの身体間距離についての意識や、“ステイ・セイフ”といった挨拶言葉に至るまで、瞬く間に、国境も、文化や民族の境界を超えて、共通の“語彙”になってしまった。ウィルスは世界中の人間に、自然界の一部である身体的な存在としての意識を、ほとんど瞬時に思い起こさせてくれたかのようだ。


グローバル資本主義や先端テクノロジーが推し進めてきた世界の“フラット化”、均質化、脱身体化に対して、これはまたなんとプリミティブで、懐かしさにさえ溢れたグローバル(地球的)意識だろう。

あれはまだ3月、ぼくが入っているメーリングリストに、尊敬するジョアンナ・メイシーが、彼女の友人らしい自然療法師の、「Wash Your Hands(手を洗おう)」という詩を投稿していた。それは「手を洗う」という原初的な行為に向き直ろうというスピリチュアルな詩だ。以下、ぼくの訳で、抜粋した数節を見てもらいたい。

(元の英語の詩はホームページで公開されている↓)

https://dorimidnight.com/uncategorized/wash-your-hands/

私たちは人間、手の洗い方を学び直しているところ

手を洗うのは愛の行為

手を洗うのは思いやり

手を洗うのは、用心しすぎてガチガチの体をほぐすこと

手を洗うのは、不必要なものを水に流して我に還ること

詩人の名前はドリ・ミッドナイト。彼女は「魔女」を自称しているらしいが、確かにそれにぴったりの名前だ。詩人は読む者を過去へ、そしてルーツへと連れ戻してくれる。

手を洗う

あなたのひいおばあちゃんと海を渡った、

たった一つの形見のお茶碗を洗う時のように

死を前にした、愛する人の髪を洗う時のように

大切な人の足を洗う時・・・

「手を洗う」という平凡で単純な行為の中に秘められた人間の倫理的な本質へと、水という存在のエコロジカルでスピリチュアルな本質へと、ぼくたちは導かれる。

まるでこの水が、山を越え、

3マイルも歩いて親友が運んできてくれた

水差しの中から流れ出ているかのように

この水が時間と奇跡によって創られた

貴重な資源だとでもいうように

詩人は、一見薄っぺらで退屈な日常や、そこで単調に繰り返されているように見える習慣が秘めている深遠な知恵を、ぼくたちに思い出させてくれる。

友よ、こういうことが大事なのは今に始まったことじゃない

今だけじゃなく、いつだって“今こそ”だった 慎重に、周囲を気にかけ、言葉をかけながら行動する、

そんなことはみな、昔からずっと大事だった


“魔女”でもある詩人ドリは、ぼくたちの中に眠っている魔法を呼び覚まそうとする。

思い出すのよ、ニンニクの束をドアにかけるのを

ハンカチをタイムのお茶に浸すのを

塩で足を揉みほぐすのを

ロザリオの祈り、メズーザーへの接吻、卵のおまじない・・・

真夜中、お腹に戦慄を感じて目覚めたら

星屑のことや地質学的な時間に思いを馳せよう

レッドウッドの森、ダンスパーティ、

毒を浄化してくれるマッシュルーム・・・

さて、ぼくは勝手にこう思っているのだ。キャンドルを灯すという行為にも、根源的で普遍的な意味が、そしておそらくは魔術的な効果が潜んでいるに違いない。「手洗い」という行為を通じて同じ地平に降り立ったぼくたちは、それから数ヶ月を経て、キャンドルに火を灯すというささやかな所作と、その前で思い思いに過ごす束の間の時間を介して、易々と世界につながり直す。


詩人=魔女が言うとおりだ。ぼくたちはみな、「すでに、危機の時代に生きている」のだし、今だけじゃなく、いつだって“今こそ”だった」し、もう「その時はとっくに来ている」のだ。


辻信一


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