巻頭コラム25

ぼくが敬愛するカナダの環境学者、デヴィッド・スズキ(セヴァンのお父さん)の本『きみは地球だ』が出版されました。環境科学への最良の入門書です。ナマケモノ倶楽部の仲間、小形恵さんと一緒に3年がかりで訳しました。ぜひ読んでください。

『きみは地球だ』解説

本書はデヴィッド・スズキの『You Are the Earth: Know the Planet So You Can Make It Better』(Greystone Books)の翻訳です。原書は、数多くの著作で知られるスズキの代表作『The Sacred Balance』(邦訳、『生命の聖なるバランス――地球と人間の新しい絆のために』、日本教文社刊)を、スズキが特に未来の世界の主人公である子どもたちのために、児童書作家として知られているキャシー・ヴァンダーリンデンの協力を得て、書き直したものです。

これは、科学への入門書です。21世紀のはじめを生きる子どもたちのために、「科学を語り直す」という明確な意図の下に書かれた本です。では現代世界を代表するエコロジストであり、科学者であるスズキにとって、今、「科学を語り直す」とは、どういうことを意味しているのでしょう。

こんなドイツの民話をご存知ですか?  魔法使いの弟子となった少年が、主人の留守中に、言いつけられた仕事をさぼろうと、習ったばかりの魔法をかけて、ほうきに掃除をやらせます。働き始めたほうきはせっせと井戸から水を汲み上げます。そこで少年ははたと気づきました。かけた魔法をどうやって解くのか、まだ習っていなかったということを。ほうきが汲み上げ続ける水で、しまいに家は洪水になってしまいます。

科学技術はもともと魔法によく似たところがあります。ただ、以前なら、それは何十年、何百年という時間をかけて試行錯誤を繰り返しながらゆっくり進歩したのですが、200年ほど前からそのペースが急激に加速し始めました。ペースが速ければ速いほど科学技術は魔術に似てきます。試行錯誤などというのんきなことを言っている暇はもうありません。だから、どうやって解くのかわからない魔法をどんどんかけるようになるのです。

現在世界中で、毎週、3000種類もの新しい化学物質が人工的につくり出されているそうです。そのひとつひとつの安全性を一年も二年もかけてチェックするわけにはいかないというわけで、どんどん、新しい汚染物質を生態系の中に放出し続ける。そして気がつけば、地球はまさに汚染物質の洪水です。それでも「魔法使いの弟子たち」――実は、ぼくたち自身のことでもあるのですが――の危険な「実験」は止まりません。

なんで、止まらないのでしょう。ひとつには、科学技術の「進歩」ということへの、絶大な信頼があります。科学は進歩する。これはもう、法則であり、人間の意思を超えた宿命のようなものだ、と多くの人々が信じてきました。それは一種の宗教――科学教――といってもいいくらいですね。今ではさすがになりをひそめましたが、ちょっと前までは「科学は万能だ」と信じている人たちが多く、科学や技術がもたらすバラ色の未来がさかんに描かれたものです。

科学がお金と結びついてしまった、というのも大きな理由です。そしてお金儲けが幸福への道だという考え――これも一種の宗教ですね――に基づいて、お金になることなら何でもやるし、やっていい、という風潮が広がり、解き方を知らない魔術としての科学はますます勢いよく突走るようになったのでしょう。

水俣病、チェルノブイリ原発、アスベスト被害など、数え切れないほどの公害や環境汚染が世界中に多くの犠牲者を生み出してきました。でも今では、農薬や排気ガスや放射能だけでなく、化学汚染物質は建材や日用品や食品にふんだんに使われ、生態系の中に拡散し、生物のからだの中に蓄積されていきます。水俣やチェルノブイリはもう、どこか遠い場所の悲劇ではなく、ぼくたちの日常の暮らしの中の出来事なのです。

その一方で、科学技術という現代の魔術によって巨大な力を得た人類(デヴィッドはスーパーマン=超人になぞらえて、現代の人類をスーパースピーシーズ=超種と呼ぶ)は、地球温暖化――温室効果ガスの洪水――まで引き起こしてしまいました。人類は、その歴史上最大の危機を自ら招き寄せてしまったのです。

1992年、デヴィッドの娘で当時12歳だったセヴァン・カリス・スズキは、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロで開かれた「世界環境サミット」で、世界中から集まった各国の代表者を前に、こう訴えました。

絶滅した動物をどうやって生きかえらせるのか、あなたは知らないでしょう。
そして、今や砂漠となってしまった場所にどうやって森をよみがえらせるのか、
あなたは知らないでしょう。
どうやって直すのかわからないものを、こわしつづけるのはもうやめてください
(『あなたが世界を変える日』、学陽書房刊)

それは、単に政治家や企業家たちに対する抗議ではなかったでしょう。それは、私たちの文明をずっと支えてきた科学的な方法論や価値観の根本的な見直しを迫る言葉だったはずです。わが子のこうした訴えを受けて、デヴィッドがそれに応えるものとして書いたのが、本書『きみが地球だ』だったのだ、とぼくは考えています。それはセヴァンをはじめとする子どもたちやそのまた子どもたちが主人公となる未来のために、これまでの科学の大きな成果の上に立って、しかも科学が露呈してしまったさまざまな限界にも向かい合いながら、もう一度初めから、来るべきエコロジーの時代にふさわしいものとして、科学を語り直す試みです。

もちろん、それは簡単な仕事ではありません。それはデヴィッドが70年に及ぶ人生の経験の中で積み上げた知恵の結晶です。

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ここで彼の歩んできた道を簡単に振り返ってみることにしましょう。

デヴィッドは一九三六年カナダ、バンクーバー生まれの日系三世です。1941年、太平洋戦争が勃発すると、幼いデヴィッドとその家族を含む約二万人の日系人は、カナダ政府によって「敵性外国人」と見なされて、住み慣れた海岸地方を追われ、内陸の収容地に強制移動させられました。やはりカナダやアメリカと交戦中だったドイツやイタリアからの移民やその子孫とはちがって、日系人だけを根こそぎ移動・収容したことが、人種差別に基づく誤った政策であったことを、1988年にカナダ政府は公式に認め、謝罪しています。

家族は戦後オンタリオ州で再起をはかります。大工さんだった父カオルは釣り、ガーデニング、キャンプが大好きのアウトドア派。その影響で、デヴィッドも子どもの頃から自然の中で昆虫採集や釣りをして遊ぶことが大好きだったそうです。このことについてデヴィッドは本書の「はじめに」でも触れています。

子どもの頃から動物好きだった彼はやがて生物学を志し、米国アマースト大学で生物学を専攻することになりました。その後、シカゴ大学で動物学の博士号を取得、三三歳でブリティッシュ・コロンビア大学の正教授になります。その間、将来のホープとして学界で注目を浴びる一方で、北米を揺るがした人種差別撤廃運動やベトナム反戦運動でも活躍。その頃の彼の写真を見ると、浅黒く焼けた肌に当時黒人の間ではやっていたアフロ・ヘア。それはどう見ても実験室とその周囲の狭い世界に閉じこもっている科学者の姿ではありません。

大学で教え始めたデヴィッドはやがて、「科学者として学生たちが抱いている倫理的な問題に対する疑問にちゃんと答えられない自分」を発見して衝撃を受けます。科学はたびたび、大量破壊兵器の発明や戦争のために動員され、経済的利益のために環境を破壊する役割を担ってきた。また彼自身も経験した人種差別などの不正さえ、科学者たちはしばしば科学的真理の名のもとに正当化してきた・・・。こういった問題の数々をデヴィッドはもうこれ以上棚上げにしておくわけにはいかなくなってしまったのです。

それはデヴィッドにとって長い旅の始まりでした。初めのうち社会における遺伝学の意味を問うていた彼は、徐々に科学的な知そのものの限界に思い至りました。

科学は悪用されると大変だ。しかも現に、戦争や環境破壊へと悪用の度合いはますますひどくなる一方ではないか。科学とは何かを一般庶民に理解してもらわなければいけない。それこそが自分の役割ではないのか・・・。デヴィッドはそう思うようになったといいます。

こうしてデヴィッドは、まずラジオの科学番組に登場、間もなくCBC(カナダ国営放送)テレビの人気長寿番組「ネイチャー・オブ・シングズ」のキャスターとなりました。子どもから大人まで、多くのカナダ人が「デヴィッドの番組を見ながら育った」と、まるで彼が自分の家族の一員であるかのように親しみを込めて言います。

この番組は単に自然の不思議さや美しさを描いてきたのではありません。その自然が今刻々と失われ、人類の生存の基盤であるはずの生態系が破壊されていることをも伝えながら、デヴィッドは生命操作の危険性や環境保全の重要性を茶の間の視聴者に訴え続けてきました。たびたび政治家に睨まれたり、大企業からの圧力を受けながらも、世論の強い支持によって番組は生き延びてきました。

デヴィッドにとってもうひとつの転機となったのは、カナダの先住民族である“インディアン”との出会いです。本書の「はじめに」で語っているように、ハイダ族のリーダーであり、文化伝承者であるグジャウとの出会いは特に重要なものでした。

「森なしに、川なしに、海なしに自分は自分ではありえない」。森を守ろうとするグジャウの思想や行動に表れた先住民族の世界観は、デヴィッドの中にいまだ根を張っていた西洋近代の科学的合理主義に痛烈な一撃を与えたといいます。そして、「環境」をあくまでも自分たちの外側にあるものとしてとらえるそれまでの環境運動の限界を自覚し、先住民族の文化的な英知こそが、環境問題解決の鍵を握っていると考えるようになります。

やがて彼は妻であり同志であるタラ・カリスとともに、先住民族との協力関係に基づく新しい環境運動の団体「デヴィッド・スズキ・ファンデーション」を立ち上げます。一九九一年のことです。翌九二年に出版されたピーター・クヌッソンとの共著『長老たちの英知』(未邦訳)では、現代科学の最先端にある知が、文化の中で培われた伝統的な知恵と、いかに共鳴し始めているかを描きました。

以来、デヴィッド・スズキ・ファンデーションは世界的に大きな影響力をもつ環境団体へと急速に成長しましたし、最新刊の『デヴィッド・スズキ自伝』(未邦訳)まで続々と刊行されてきたデヴィッドの著作もそのすべてがベストセラーとなるほどです。テレビ番組も相変わらずの人気で、特に4本のミニシリーズとして映像化された『The Sacred Balance』は大きな成功を収めました。英語圏の国々でデヴィッドはすでに長年、最も社会的影響力のある人物のひとりとして知られてきましたが、特にカナダでは国民的英雄ともいえる存在です。二〇〇四年にカナダ放送協会(CBC)が実施した「最も偉大なカナダ人」を選ぶ投票で、存命中の人物としては第一位に選ばれたほどです。

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最後に、本書の日本での出版へとつながるご縁について述べておきます。ぼくは1980年代の大半をカナダで過ごし、すでにデヴィッドの活動や著作から多くの影響を受けていました。コロンブスの米大陸到達から五〇〇年の一九九二年、日本に帰国して間もないぼくは友人と組んで「もうひとつのコロンブス五〇〇年――先住民族の英知に学ぶ」という会議を明治学院大学で開催しました。そこへ内外の先住民族の方々と共に、先にあげた『長老たちの英知』を発表したばかりのデヴィッドを基調報告者として招きました。この催しとその直後の北海道への旅を通じて親交を深めた彼とぼくは、一緒に日本についての本を書くことになり、その後2年の間に日本のあちこちを取材して歩きました。その成果が一九九六年に出版された『ぼくらの知らなかったニッポン』(未邦訳、その後アメリカで『もうひとつのニッポン』と改題して出版)です。

以来、友として、また師としてデヴィッドに導かれながら、ぼくは環境活動に参加してきました。またぼくはデヴィッドの案内で、本書にも出てくるハイダ・グワイ(クイーン・シャーロット諸島)を度々訪れるようになり、そこに住むグジャウをはじめとするハイダ民族の人々とも親交を結びました。1999年にぼくが友人たちやゼミの学生たちと結成した環境=文化NGO「ナマケモノ倶楽部」は、デヴィッド、セヴァン、そしてハイダ民族の人々を日本に招いて講演ツアーを行ったりもしています。

本書をぼくとともに翻訳した小形恵さんは、ぼくのゼミの元学生であり、ナマケモノ倶楽部の仲間であり、環境運動の同志です。カナダのバンクーバーに留学中にデヴィッドの講演を聴き、その本を愛読し、またハイダ・グワイに暮らしたこともある彼女ほど、本書を翻訳するのに適した人は多分他にいなかったでしょう。

小形さんとぼくとはすでにセヴァン・スズキの『わたしと地球の約束』を共訳したことがあります。それを編集して、子供向けのすてきな本にしてくださったのが大月書店の桑垣さんでした。その桑垣さんが、今度はセヴァンのお父さんがやはり子どもたちのために書いた本書の日本語版を、真心こめてつくってくれました。

本書の翻訳にあたっては、「“日本化”して読者にわかりやすくするためなら、どんな変更を加えても構わない」というデヴィッドの強い意向に受けて、頻繁に思い切った意訳を行い、必要に応じて文章を書き換えたり、説明的な文を新たに挿入したりもしました。そういう自由な翻訳の仕方を許してくれたデヴィッドの信頼に感謝します。それに十分応えられていればいいのですが。

また、森雅之さんの美しいイラストが本の全体を飾っている本書は、カラー写真をふんだんに使った原書とはかなり違う雰囲気をもつ本になりました。親しみやすく、どこか懐かしく、しかも上品な・・・、それは、化学記号から、伝統文化、神話、スピリチュアリティまでを網羅するこの新しい科学の書にふさわしいものだとぼくには思えます。

この本を形づくったこれらのご縁に感謝します。そして、来るべきエコロジーの時代への入り口で、本書を通じて、その時代の主人公である読者の皆さんにお会いできるのは、ぼくにとって何よりの光栄です。

2007年初秋
辻 信一