新年早々、きみの突然の死を知ってから、ずっと行きたいと思っていた場所に、やっとたどり着いたよ。でも、遠かった。宮崎県の最南端に近い市木という村。それは、きみが22年前に行った途端に恋してしまったエクアドルの熱帯雲霧林の中にある村々が「世界でいちばん遠い」場所だったのと同じように、ぼくには日本でいちばん遠い場所だった。
ひょこっときみが出てきそうなのに、一向に出てこないことを除けば、五月の爽やかな一日、きみが大好きだった村の全ては眩しいほどに輝いていて、美しかった。ぼくたちは持ち寄った食べ物を長いテーブルに並べて、大騒ぎしながら、食べた。きみの愛する旦那さん、たかしくん、末っ子のねむくん、きみに誘われて鹿児島から引っ越してきた高橋スバルくん一家四人、3・11原発事故から逃れてきたきみたち一家を暖かく迎え入れてくれた都城の蒲生夫妻、熊本でのフェアトレード10周年イベントを終えたばかりの明石祥子さん、鹿児島から駆けつけたきみの後輩、いのゆり一家四人、みんなきみが唱え、展開してきた友産友消ムーブメントの頼もしい仲間たちだ。
幸島を目の前にした美しい海岸で遊んだよ。きみがいれば必ずそうするだろうと思いながら、裸足になって海辺を歩いた。子どもたちはすぐに我慢できなくなって、裸になったり、下着になったりして、ずんずん、波の方へ進んでいった。
家に戻ると、きみの愛馬”しま”が牧場を颯爽と疾走していたよ。真ん中に立って調教(?)しているたかしくんがかっこよかった。そこに、ぼくの知らないきみたち一家の素敵な生き方の一端が見えていた。
今度の旅で、たくさんの人たちがきみのことを話すのを聞いて、きみが彼らの中でどのように特別な存在だったのかを知ることができた。そして、きみが今も、彼らの心の中で、かけがえのない友として生きているかを。
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