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アイヌとして胸を張って生きる(2)  貝澤耕一

今年8月末、二風谷に貝澤耕一とその一家を訪ねた。農業を継いだ息子の太一くんは、ちょうど無農薬トマトの収穫と発送に追われながら、札幌での舞台出演を控えて、その稽古に忙しそう。アイヌの伝統アートを生かしたデザイナーとして札幌を拠点に活躍する娘の珠美さんも、ちょうど実家に帰っていて、二十年以上ぶりにお会いすることができた。耕一さんの妻、美和子さんがアイヌの伝統食のさまざまな要素を現代風に活かした料理で、ぼくと同行の仲間たちをもてなしてくれた。


翌日は、耕一さんが抵抗運動の先頭に立ってきた二風谷ダムに、案内してくれた。さらに、そこから上流へと遡って、現在建設の最終段階に至っている平取ダムにぼくたちを連れていってくれた。どちらも、豊かな自然を壊し続ける人間の愚かさを見事に表現する、寒々とした光景が目の前に広がっていた。そのことについては、次回、報告することにしよう。


では、ちょうど30年前に、東京の明治学院大学キャンパスで行われたインタビューの続きを読んでいただきたい。


 

1993年、二風谷で行われた国際先住民フォーラムで、事務局長を務めた貝澤耕一


農民として思うこと

百姓やっててつくづく感じるのは、日本の自然の破壊の恐ろしさだよ。農業は自然と密接に接しているから、自然の変動にものすごく敏感になるでしょ。僕が百姓を始めて20年近くになるけど、年々気候がおかしくなっていく。そして、川でも空気でもどんどん汚れてきてる。実際に接していると、よく分かるんだよ。


今年、うちに来た旅行者たちにジャガイモ掘りをやらせた。中学校3年生の女の子がいたんだけど、都会に住んでるから、今までほとんど土に触れたことがない。そして土は汚いもんだ、触っちゃいけないもんだっていう環境で育ってきたでしょ。そこへ来て、うちでジャガイモ掘りをすることになったから、最初は戸惑っているのね。だけど終わった後の感想を聞くと、土ってこんなにやわらかくて、あたたかくて、きれいなもんだって、初めて知ったって。そういう感覚が日本の人にいちばん欠けてるんでないの? 自然が破壊されているといったって、もともとの自然を知らないんだから、どこが破壊なのかも気づかないと思うよ。


昨日の講演でデヴィッド・スズキさんが、年寄りの話を聞きなさいって言ってた。それが当然なんだよなあ。昔はどうだったかを知らないと、ね。その講演の後、20人ぐらいのグループの人たちと話して、僕は、「もの」に対するいたわりの心を日本人は失くしてるんでないかと言った。その「もの」になって考えてみなさい、と。相手が人間なら、その人の気持ちになって考えるということが大事でしょ。それと同じこと。それが今の日本人にいちばん欠けているんじゃないかな、と僕は思って話したんだけどね。自然に対してだって、木や草や動物、すべてそのものたちの身になって考えてみなければ。


今北海道でね、鹿が農作物を荒らす、熊が人里に出てくるって騒いでる。鹿が悪い、熊が悪いって。だけど、山奥の木を切りつくして彼らの居場所をなくしてるんだから、餌を求めて人里へ出てくるのは当たり前の話なんだ。自分たちが熊や鹿をそういう環境に置いといて、出てきたらそれが悪い、だから殺せ、でしょ。人間て、つくづく身勝手なんだな。自分たちが最高だと思ってて。


百姓やってると自然のサイクルっていうか、すべての生物がぐるぐる回ってるんだなって感じるんだな。人間もそのサイクルのほんの一部分にしか過ぎなくて、自然の中から見たら本当に微々たるものなんだよ。ところが、自分たちがすべてを支配していると人間たちは勘違いしてる。もしこのままの状態が続いたら、日本なんて100年たったら人間が住めない場所になるんだろうな。


まあ、こういう国際会議という機会を通じて、現代人たちが少数民族やアイヌの問題にも少しは耳を傾け始めたんじゃないか。幸い日本では、つい最近までアイヌが自然の中で生きる生活の知恵を持ってた。日本人の多くが早くから農耕民として生活していたのと違って、アイヌは自然を相手に狩猟民族として生きてきたから、日本人よりアイヌの方が自然に対する接し方を知っているという面がある。だから今は、みんなそれを学んで取り戻すことが、すごく必要になっているのかなと思うんだ。日本に限らず、先進国と威張っている国では、みんな人間が最高だと思って、過ちを犯している。


貝澤家の背後の丘から二風谷ダムを望む

アイヌ民族をめぐる課題


まず第一に、アイヌ問題に関してはみんなも知っている通り、日本は、中曽根元首相が単一民族国家だという愚かな発言をするほどの無知な国なんだよな。これは日本国民のせいじゃないと思う。これは国の責任であって、国が本当の歴史を教育の中で教えていないから。日本の教科書の中で教えられる歴史は、よく考えてみると天皇で成り立っている歴史なんだ。みんなが習っている歴史では、日本には日本人しかいないと言っている。だけど実際にはアイヌもいる、今日この会議にも来てるウィルタ、ニブヒ、そして朝鮮系、中国系・・・。そして僕たちから言えばシサム(和人)がいる。こう勘定しただけで六民族もいる。これを、日本は単一民族国家だという愚かな国の代表者がいる。こういう過ちをまずは教育の中で急いで直さなきゃ、いつまでたってもこの日本人の感覚っていうのは変わっていかない。そのことによって差別っちゅうことも起きてくるような気もするし。存在しないものの存在を認めろって言ってるのはおかしいって思われても不思議じゃないんだよね。知らない人にとっては、アイヌなんて存在してないんだから、なんで認めなきゃならないんだってね。だから、一番の問題点というのは、教育であるし、日本の国の方針である。


今回、明治学院大学でこれだけのことをやってくれても、来年国際先住民年といっても、未だに日本の外務省も文部省も来年の国際先住民年に向けて何一つの予算持っていないんだよ。なぜ予算がないかって言ったら、日本は単一民族国家で「先住民はいない」から。もしもそこで予算づけして金を出してやると、いることを認めたことになるでしょ。未だにまだ予算決まってないんだよ。国際先住民年が始まる12月10日っていったら、あと10何日しかないっていうのに。


国連ではもう動いている。アイヌの最大の組織であるウタリ協会の理事長が、おそらく国連の場で演説することになってる。ようやく国際的な場でもそこまでいってる。一方、外の人々が、日本の先住民族のことを知ろうとしても、調べようがない。今回この会議に海外から参加した人たちの中にも、日本へ行くにあたって、アイヌ民族について調べようと思った人たちがいたらしいけど、どうにもならない。自分たちが住んでいる国では、何一つアイヌについて知られていない、と。なぜ知られていないかっていったら、日本の領事館やなんかはそういうこと一切シャットアウトしてる。だから外国では知られてないのは当然なんだ。


北方領土問題について


北方領土の問題について、一生懸命日本に返せ、返せって言ってるでしょ。日本の領土だって。ところが北方領土全体を見てみればわかるけど、すべてアイヌ語の地名なんだよね。日本にはアイヌがいないと言っていながら、アイヌの土地を返せって言うのか? ロシアは何で交渉の場にアイヌがいないんだと言っているって。それに対して、日本側は外務省がアイヌを含めた形で話合いをしているから、アイヌはわざわざ出なくていいんだと。要するに外務省は、アイヌがいるということを認めたくないというわけだ。


向こうから来た代表団が、北海道の歓迎レセプションには当然アイヌもいると思った。ところがそのレセプションには、アイヌは1人も出席させていないんだ。向こうから来た代表団の人は、アイヌに対しての招待状を持ってきているけど、渡すところがない。そんな恥ずかしいことを日本の国はやってるんだよな。日本のアイヌとロシアの北方領土の少数民族との連帯でもって、何かしていこうとする動きも今のところはない。ただ、いま日本政府に働きかけているのは、アイヌも交渉のテーブルに座らせなさいということ。だけどこれは認めるかどうかわからないね。


(続く)



2022年8月末、貝澤家はヒマワリが満開


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