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エレガント・シンプリシティ 「簡素」に美しく生きる



訳者あとがき


 2020年3月下旬、コロナ禍の到来とともに、友人たちと一年がかりで計画していたサティシュ・クマール来日講演ツアーを、中止しなければならなかった。4月以降の予定もすべてキャンセルされ、ちょうどそれが自分自身の現役引退という人生の節目だったこともあり、急に目の前に広がった空漠たる時間に、しばし呆然としていたものである。

 一見単調で代わり映えのしない日常を淡々と生きる、というおそらくは人生で最も重要な技術(アート)を、ぼくはこの歳でもう一度、学び直す必要に迫られていたのだと思う。まずやり始めたのは、家から歩いて10分でその入り口に達することのできる自然公園の森を日々散策することだった。そんなときに、ふと、サティシュ(いつもそうするように、ファーストネームで呼ぶことにする)の“Elegant Simplicity”をもう一度、丁寧に読み直してみることを思いついた。

 そしていざ読みはじめてみると、二度目とは思えないほど、すべてが新鮮で、あちこちで言葉がキラキラと光っている。それはたちまち、パンデミックの中に生きるぼくの日々の糧となった。

 サティシュが語る「簡素で美しい生きかた」とは、単に経済的に質素につつましく生きる、ということではない。シンプルという言葉につきまとう禁欲的なイメージを、サティシュは、あっさりと振りはらってくれる。物質的にも、精神的にも、自分の生きかたや考えかたをシンプルで謙虚なものにすることが、逆に根源的ラジカルで溢れるような豊かさを、人生に、世界にもたらすことができる、とサティシュは言うのだ。


 本書『エレガント・シンプリシティ』は、八十余年にわたるサティシュ・クマールの人生を貫くスピリチュアルで、エコロジカルな思想の全幅を収めた集大成というにふさわしい本である。「シンプルであること」は著者の生涯にわたる生き方の基調だ。長年にわたる多彩な活動を支え、またその中で育まれ、発酵し続けてきた彼の哲学が、ここに、明快でコンパクトに(そして、シンプルに)まとめられている。

 ぼくにとって、サティシュの本を読むことが、他の本を読むのと決定的に違うのは、彼の声が聞こえてくることである。もちろん、それはぼくがこれまでに何度も彼の講義やインタビューの通訳を務めてきたことにもよるが、理由はそれだけではないだろう。

 聞くものの目と耳とを楽しませるリズミカルなサティシュの英語が、しかし、彼にとって母語ではないということを、聴衆や読者は忘れがちだ。元々、9歳から18歳までインド各地の村々を托鉢して歩く乞食僧として過ごした彼は、フォーマルな学校教育をほとんど受けたことがない。英語は、30歳でイギリスに定住してから身につけたものだ。

 文字文化ではなく、口承文化の中に生まれ育ったサティシュが、その後、世界的なエコロジー雑誌「リサージェンス」の編集主幹に就任、半世紀にわたって同誌を率い、「ホリスティック科学」の世界的なハブとなる大学院大学「シューマッハー・カレッジ」を創り、育んできたのは、驚くべきことに違いない。でもその一方で、彼がいまだに文字を介さないコミュニケーションの豊かな文化を体現し続けていることも、同じくらい驚くべきことだとぼくには思える。

 語るとき、また相手の話に聞き入るときのサティシュが発する不思議なパワーに多くの人々が魅了されてきた。彼は、講義でもスピーチでも対話でも、ノートを見ながら話すことはない。事前に何かを書き留めることもしない。そのように、世界中の無数の場所で、即興詩のようにその場で紡ぎ出されてきたのと同じ彼の言葉が、この本を形づくっている。難解なはずの理論も、彼の語りのうちでは、いつも優しさと微笑みに包まれている。

 もちろん、本書の読者であるあなたは、文字を介してーーしかも英語ではなく、その日本語訳でーーサティシュの言葉を受けとるわけだ。それはそうだとしても、あなたにはきっと、あなたに語りかける彼の肉声が聞こえるような気がするのではないだろうか。いや、そうであってほしいという願いとともにぼくは本書を訳した。


 今ぼくたちは「人新世」という言葉に表される、人類そのものの存続が問われるようなかつてない危機の時代に生きている。コロナ禍は、そのひとつの兆候にすぎないのだろう。悲観や絶望や冷笑的な態度が広がるそんな時代に、サティシュの思想が、いよいよ輝きを放つことになると、ぼくは確信している。

 本書の中で、彼はこう言っている。

「あなたは私のことを現実離れした理想主義者と呼ぶかもしれない。そのとおり、私は理想主義者だ。ただ、あなたにたずねたい。『では現実主義者たちは何を実現しただろう。戦争、貧困、気候変動?』」。そして、世界を危機の時代へと導いてきた現実主義に代わって、いよいよ私たち理想主義者の出番が来た、と彼は言う。

 サティシュがここで皮肉をこめて「現実主義」と呼ぶのは、これまで政治、経済、教育を支配してきた、自然と人間の本性(ネイチャー)についての暗く悲観的な考えかたのことだ。西洋近代文明の中で育まれ、世界中に浸透した、“利己的、貪欲、競争的、狡猾、暴力的”といった人間像を、ぼくたちもまたいつの間にか自分の中に住まわせてきたようなのだ。

 そんな風潮に対して、サティシュは常に理想主義と楽観論と性善説の旗を高々と掲げてきた。彼によれば、自然と人間の本性(ネイチャー)は愛なのである。「原罪」などない、あるのは“原愛”だけだ。そして、「自己愛、隣人愛、人間愛、そして自然への愛は、切れ目なく連なっている」と言う。

 これまで支配的だった「現実主義」や、それを支えてきた科学技術は、人と人、人と自然、そして自然界のすべてのものがバラバラに存在するという「分離(セパレーション)」の物語に基づいていた。だがサティシュによれば、実は、すべての存在がみな相互に依存しあっていて、われわれ人間もまたお互いどうしからできている〈あいだ存在(インター・ビーイング)〉なのである。

 分離と分断の時代から、「あいだ」とつながりの時代へ。読者であるあなたが、この大転換の意味に気づく知恵と、その転換を自らに引き受ける勇気とを、サティシュの言葉のうちに見出されんことを。


二〇二一年秋  辻 信一


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