辻:(中南米での環境活動で出会った動物の)ナマケモノから学ばないといけないと思ったのは引き算の発想です。僕たちは「あれしなきゃ、これもしなきゃ」と、「する」ことを増やす方向で考える足し算の発想なんです。ところがナマケモノは引き算で、あれを削ぎ落として、これを捨てて、と。これからの人間にとって大切なのはこういう引き算の知恵なんじゃないかな、って。
小林:明日できることは今日しないとかね。
辻:そう、その言葉は南米の文化の中にも生きているスローな思想ですね。環境運動をやっていても、何かの問題をどう解決しようかという時に、「あれをしよう」「こうする方がいい」というふうに、新しいテクノロジーを持ち出したりする足し算が多い。太陽光発電だ、風力だ、いや地熱だ・・・というふうに。いろんなものを足していく方向に向きますよね。
小林:確かに。
辻:科学技術の進歩を疑うことができない。そこに乗っかったまま、新しいテクノロジーで問題を解決しようと。でも考えてみたら、そもそも環境破壊って科学技術の進歩によって引き起こされたことなのに。そうでしょう?
小林:その通り。
辻:それなら環境問題を引き起こした原因になっている基本の思考方法、マインドセットをそのまま維持しながらその問題を解決するが果たしてできるのか。そこに行き当たりますよね。環境問題を何とかしようと思ったら、科学技術主義的なマインドセットそのものを超えないとならないはずです。 今や、テレワークだ、5Gだ、AIだ、ロボットだと大騒ぎして、まるでその先にすべての問題が解決されユートピアがあるかのように。今までと全く同じマインドセットのままです。逆に僕にとって、ナマケモノというのはこうしたマインドセットを超えるシンボルです。何か悩んだら、ナマケモノをじっと眺めると、「そうだよな」というところに立ち帰ることができる。
僕はたまたまナマケモノだけど、何でもいいんです。ゴリラでもいいし、コアラでも、植物でも、もしかしたらウイルスでもいいかもしれない。世界中には生存ということにかけてのエキスパートたちがウジャウジャいるわけで。彼らにもう一度学ばないとね。今、全生物界の中で一番おかしいのは人間でしょ。ほかの生物たちから見たら、人間って、ウイルスより悪い存在なんじゃない?
小林:一人ひとりはそんなにおかしくないと思うんだけど。「経済をまた回す」と言って、「街に戻らなきゃ」と言う企業の人たちも、どちらかと言うと、「やった!戻れる」と言っている人は結構少なくて。「また始まるんだな」という、鬱的なことも起こっていると思う。社会を回していくため、もしくは求められている役割を演じていくために、積み重なってきたプレッシャーみたいなものを感じている人はたくさんいると思う。普通の人はみんなそうだと。普通に、都市等で生きている人。
辻:多分、小林さんは僕より実感を持っていらっしゃると思うんだけど、僕もずっと学生を教えてきたから、僕たちの世代の「経済成長」や「技術革新」を進行しているような世代とは全く違う新しい感性が育っていると思っているんです。バブル崩壊からしばらくして出てきた子たちなんていうのは、イケイケじゃないんです。
小林:本当にそうですね。
辻:「24時間戦えますか」なんて、「何?それ」みたいな。「そんな時代があったの?」なんて、大昔の話として感じるわけです。「する」ばかりの足し算志向から、「しなくてもいいじゃん、別に」というふうに変わってきてる。もちろん、就活なんかでは足し算志向の振りをするんだけど、内心は全然違うところにある、みたいな。 この春も、一つゼミを持っていて、オンラインでやったんですけど、学生たちがコロナ騒ぎの中でのこの数カ月、すごい成長ぶりなんです。ものを考える楽しさが分かってきたとか、本を読むのが好きになったとか、学ぶということに対してとても前向きで、目が輝いている感じ。
小林:その感じ、分かります。
辻:そして思慮深くなっているような気がしているんです。もちろん、とてもイライラしていて、「早く答えを出したい」と焦っている人たちがたくさんいるというのもわかりますが。その一方に、今の若い人たちみたいに、むしろ思慮深くなって、「ちょっと待てよ」、「少しゆっくり考えてみたいな」、「数年かけて、自分の生き方変えてみたいな」とかいう人たちもまたどんどん増えているんじゃないかな。このウィルス禍をいい機会にして、より良い方向へ変わっていこうというエネルギーも、この世界には確かに高まっていると思う。この二つの面、ポジな面とネガな面が、今、世界で際立ってきているように思います。
小林:本当にそう思います。
辻:その意味でも、小林さんの立っている場所はとても面白いと思っていて。いつも思うのは、小林さんって文化的なフィールドと環境問題みたいなフィールド、そして科学技術的なフィールドにまたがる、それらが交わるような場所でずっと活動している。だからこそ今、コロナの時代に面白い役割を果たしていただけるんじゃないかなと。
小林:いやーどうでしょうか(笑)。
実際のところ、コロナの時代の時間の過ごし方としては、ピアノを弾くとか。ピアノも、もちろん目的を持って楽曲を作ることもそうですけど、前から弾いてみたかった曲を分析して弾いたり、肉体感というか、自分の体を通してやるということが、withコロナの時間にできているということはあります。
辻:その肉体感って、どういう感じですか。
小林:僕はピアノと出会えて、生きて来た中でピアノがあって、恵まれていると思うんですけど。時間軸の中で、自分の感性で音と共に彷徨えるというか。黒人の音楽の即興性みたいなのがあるでしょう。ジャズもそうですけれども。 今回、セロニアス・モンク注6のピアノもずいぶん聴きました。Black Lives Matterみたいなこともあって、ネガティブからポジティブに変わっていくということやネガとポジは繋がっているという思いと共に。奴隷貿易がなぜ起こったかということとか、香港が分割されて、今の中国と香港の問題にしても、ねじれまくっていますけど。ただのイコールでは全然ないですけれど。
そういう、とんでもないネガがなかったら、モンクの音楽もなかったでしょうし、極東の日本で生まれ育った僕に何かが伝わってきて僕に何かを思わせてくれていることとかも違っていたはずです。そして僕が何かを探して、ピアノを弾いたり、時々アドリブの音世界で解放したり、1台のピアノの中でいろんな実験をやっているようなものなんですが、そこにもいろいろなことが繋がってきている。僕自体が一つのハブみたいな。もともと分かってはいることですけど。音楽を通して、いろんな感情とか、記憶とか、歴史とか、それが僕の体を通すことで、次の段階で脳が考えるような部分にも、より明確にしていってくれたりするというのもあって。例えば釣りとかでも、散歩なんかでもそうだと思いますけど、そういうことと同じことだとも思います。 音楽は時間軸のものだから。そこは鍛えようと思ってやったわけじゃないですけれども、結果としてすごく面白いwithコロナ時間になったなと。そんな感じです。
辻:いい話だな。ハブと言われたけど、そういう意味では、一人ひとりがハブでしょ。世界のいろんな軸が自分の中で全部交差することで、一人ひとりが今ここにこうしてある、というわけで。さっき言ったBig Pictureというのは、実は、僕らみんなが自分の中に持っている。
小林:ほんと、そうですね。辻さんも僕も、いったいどこまでが僕自身で、みたいなことが分からなくなる感覚ですね。
辻:そうです。自己の雑種性というか、どこまでが私で、どこからがあなたかというそれって、区別できるものじゃないんです。だって、僕らが喋っている言葉だって、僕が編み出した言葉じゃなくて、何千年と無数の他者が積み重ねてきたものを習得して喋っているわけで。「これは僕の考えだ」と言うけど、実はそうじゃなくて、無数の考えが混ざり合って、僕の中で発酵しているだけで。 そういう意味では、音楽をやっていても、歩いていても、喋っていても、考えていても、僕らは無数の繋がりのハブとしてそれをやっているんだなと思います。
小林:クルックフィールズでの音の鳴らし方、いよいよ実験が始まりだしたんですけど。ちょっとヤバイなというくらい良いんです。人によって受け取り方はいろいろだと思うけど。
辻:どこで?
小林:クルックフィールズの中で。多くの人が聴けるような装置や、地面から湧き上がってくるような音楽の装置も作っていて、仮の音楽も鳴らしているんですけど、面白い現象が起こっていて。音楽がそこで鳴ったというよりも、自然がワーッと立ち上がり出すというか。自然の中にあるものがすごく見えだすというか。何かを喚起させるものが。もちろん音楽の中にはそういうのが潜んでいるけど、その相乗効果というか。自然の力ってすごいなと、ただ思っています。ぜひ楽しみにしていただいて。
辻:ええ、楽しみにしています。
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