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こわいのはパニックとワクチン待望論(資料編)

やっと猛暑が一段落した今日、ナマケモノ倶楽部から、動画「こわいのはパニックとワクチン待望論」をお届けする。先月末、異様に長い雨季がやっと終わり、厳しい暑さがやってきたばかりだった。コロナ騒ぎが始まって以来、ずっとお話を伺いたいと思っていた母里啓子さんへのインタビューがやっと実現した。

こうして動画をお届けするまでそれからまた一月以上経ってしまったが、そこでの母里さんのメッセージは古びるどころか、いよいよ、意義深いものになっているように思える。


世界中で対コロナウィルスのワクチン待望論が強まるばかりだ。ワクチン開発の大競争が、莫大な資金を背景に繰り広げられている。各国の権力者は、そこに政権延命の鍵を見出し、メディアも”救世主”の登場を迎えるための舞台をしつらえているかのようだ。


これから、ワクチン懐疑論への風当たりは強まる一方だろう。そんな今だからこそ、ナマケモノ倶楽部は、ワクチン全体主義をナマケたいと思うのだ。先ずは母里さんの言葉に耳を傾けてほしい。そしてそれが、単なるワクチンの是非論を超えた、人間のあり方、社会のあり方についての再考を促す議論であることを感じとっていただきたい。


その際、四編の新聞記事(全て朝日新聞)からの抜粋を以下に並べておくので、参考資料として読みあわせることをぜひお勧めする。


① 母里さんの2010年の記事「新型インフル ワクチン接種は慎重期して」。ウィルスやワクチンに対する基本的な見方。


② 昨日の、ドキュメンタリー映画作家、想田和弘氏の記事「コロナinアメリカ 健康第一主義に傷ついたなら」。健康至上主義とパニックについて。三冊の参考にすべき本を紹介。


③ 哲学者東浩紀氏へのインタビュー記事「コロナ禍の中で、権力は生に介入する。イタリアの作家アガンベンを参照しながら、「生き延びること以外の価値を持たない社会」への傾斜を警告する。


④ 6月中旬掲載の福岡伸一氏「コロナ禍で見えた本質 人もウィルスも制御できぬ自然」。ウィルスを制御できるという幻想に対する、生物学者の警告


ぼくはこれらの論考に重要なつながりを見出しうると考えるものだが、皆さんはどうだろう。(辻 信一)

 

新型インフル ワクチン接種は慎重期して 

母里啓子 (元国立公衆衛生院感染症室長)

2009年10月10日 「私の視点」欄

19日から新型インフルエンザワクチンの接種が始まる。国立公衆衛生院や横浜市保健所で、予防接種に関わってきた立場から先月、新型インフルエンザ市民対策会議を立ち上げ、接種に慎重を期すよう、厚生労働省に求めた。

疫学者から見ればインフルエンザワクチンは、予防接種の中で最も効かないものの一つだ。インフルエンザウィルスは喉や鼻の粘膜膜につき、そこで増殖する。一方、ワクチンは注射によって、血液中にウィルスの抗体を作る。喉や鼻の粘膜表面に抗体ができるわけではないので、感染防止効果はない。

重症化を防ぐかどうかについても、大規模な疫学調査はこれまで行われていない。グループ内で接種者と非接種者の重症度を比べた論文は複数あるが、結論はまちまちだ。・・・(略)

インフルエンザウィルスは猛スピードで変異する。同じ形でも流行開始時と半年後では全く違う株になっている可能性が高い。ワクチンで初期のウィルスの血中抗体価が上がったとしても、変異したウィルスが喉や鼻に付けば、感染や発症は避けられない。

以上の原理は新型インフルエンザにも同じように当てはまる。健康な人ならば、新型インフルエンザにかかっても、死ぬことはまずない。かえって強力な免疫ができる。・・・(略)

効果が証明されていないにもかかわらず、重い副反応が出やすい妊婦や幼児にまでワクチンを勧める厚労省の方針に、危機感を覚える。かつて社会防衛のために、健康な学童にまで強制摂種し、多くの副反応被害を出した愚を繰り返してはならない。・・・(略)

7千万人への接種は、大規模な人体実験に等しい。摂種対象が広がれば、それだけ副反応の被害者は増える。・・・(略)

 

コロナ in アメリカ 健康第一主義に傷ついたなら 

想田和弘

2020年8月22日 


・・・(コロナ騒動によって)経済活動や移動の自由といった、民主社会にとって重要な価値と権利が、国家や州の指導者の鶴の一声によって、あっという間に市民から取り上げられてしまった。


驚いたのは、そうした措置が圧倒的多数の市民によって支持されたことだ。どころか、ロックダウンの大きすぎる副作用を懸念したりするだけで、「人の命が失われてもいいのか」などと近い友人からも非難された。


命を盾に取られると、思わず口をつぐんでしまう。僕も命は大切だと思うからである・・・


・・・異論もあろうが、新型コロナの死者が最も多い米国ですら、ウイルスによる被害よりも、対策による被害の方が深刻に見える。新型コロナによる重症化は、ウイルスを撃退しようとして免疫が暴走し身体を傷つける「サイトカインストーム」によって起きるとの説があるが、米国社会も免疫の暴走によって重症に陥っているのではないか。

コロナへの不釣り合いともいえる反応は、生きがいや楽しみよりも健康を優先させる現代の文化に起因する。『「健康」から生活をまもる』で、大脇幸志郎医師はそう喝破する・・・大脇の視点は、萬田緑平著『穏やかな死に医療はいらない』とも重なる。萬田は末期がん患者が「自宅で最後まで目いっぱい生きるためのお手伝い」をする医師だ。死を忌避するあまり延命治療を続け、生をも遠ざけてしまいがちな病院文化に異を唱える。・・・無論死を怖れるのは、生き物にとって自然だ。しかし怖れを放置していると、肥大化して暴走し、自分自身を苦しめ傷つけかねない。禅僧ティク・ナット・ハンは『怖れ』で、心の中の怖れから逃避するのではなく、深く見つめることで乗り越える方法を説く・・・。

 

コロナ禍の中で、権力は生に介入する」

東浩紀へのインタビュー)

2020年8月5日


――コロナ危機の中で今回、イタリアの哲学者アガンベンは、生き延びること以外の価値を持たない社会になってしまっていいのかと問いかけています。欧州を中心に、反発を含めた大きな議論を呼びました。

「アガンベンの指摘は妥当だと思います。主張の眼目は、『ウィルス危機を口実にして権力の行使が強化されていることを警戒すべき』というものでした。

「アガンベンは、人々の意識が『むき出しの生』だけに向けられている状況を批判しました。僕の理解では、むき出しの生は『個体の生』のこと、自分一人の生命のことです。誰もが自らの「個体の生」に関心を集中させてしまった状態は、哲学で「生権力」と呼ばれる権力を招きいれます。生権力とは、人々の「生」に介入することで集団を効率的に管理・統治する権力のことです」

「(自分の命だけを大事にすることを考えてはいけない理由は)人が互いに分断され、連帯できなくなるからです。みんなが『個体の声』しか考えず、生き延びることだけを考える世界とは、ホッブズが言った『万人の万人に対する闘争』的な世界です。コロナ禍で見られた『買い占めパニック』のような状態ですね」


「今回のような緊急事態が起きると、生権力が強く立ち上がり、こう呼びかけます。「お前たちにとって一番大事なのは個体の生き延びだろ?」と。しかしそれは幻想です。僕たちは実際には、他の人々と共に社会を作って生きているからです。人間は決して、個体の生のみを至上の価値として生きている存在ではありません。呼びかけに安易に耳を傾けてはいけないのです」


−−命ではなく別の何かを大事にしろ、という話でしょうか。

「違います。命とは個体の生を超えているものだと思います。一人一人はすぐに死んでしまう、はかない存在です。僕たちが生きているのは過去があったからだし、歴史の資産を未来に伝えていくことで流れができる。それが命と呼ばれてきたものではないでしょうか」


 

コロナ禍で見えた本質 人もウィルスも制御できぬ自然

福岡伸一

2020年6月17日

(略)・・・ピュシス(本来の自然)としての生命をロゴス(脳がつくりだした自然)で決定することはできない。人間の生命も同じはずである。


それを悟ったホモ・サピエンスの脳はどうしたか。計画や規則によって、つまりアルゴリズム的なロゴスによって制御できないものを恐れた。制御できないもの。それは、ピュシスの本体、つまり、生と死、性、生殖、病、老い、狂気・・・。これらを見て見ぬふりをした。あるいは隠蔽し、タブーに押し込めた。しかし、どんなに精巧で、稠密なロゴスの檻に閉じ込めたとしても、ピュシスは必ずその網目を通り抜けて漏れ出てくる。溢れ出したピュシスは視界の向こうから襲ってくるのではない。私たちの内部にその姿を現す。


そんなピュシスの顕れを、不意打ちに近いかたちで、我々の目前に見せてくれたのが、今回のウィルス禍ではなかったか。ウィルスは無から生じたものではなく、もとからずっとあったものだ。絶えず変化しつつ生命体と生命体のあいだをあまねく行き来してきた。ウィルスの球形の殻は、宿主の細胞膜を借りて作られる。ウィルスも生命の環の一員であり、ピュシスを綾なすピースのひとつである。(略)

・・・長い時間軸を持って、リスクを受容しつつウィルスとの動的平衡をめざすしかない。


ゆえに、私は、ウィルスを、AIやデータサイエンスで、つまりもっとも端的なロゴスによって、アンダーコントロールに置こうとするすべての試みに反対する。それは自身の動的な生命を、つまりもっとも端的なピュシスを、決定的に損なってしまうことにつながる。(略)


・・・レジスタンス・イズ・フュータル(無駄な抵抗はやめよ)といおう。私たちはつねにピュシスに完全包囲されているのだ。

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