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ペマ・ギャルポの幸せ論  その3




これは、何年かにわたってぼくがペマの協力のもとに行ってきたブータンでのスタディツアーにおけるペマの発言の記録をまとめて編集し、ある年の実習の最終日の“特別講義”として再現したものである。これを今改めて読みながら、ペマの案内で共にブータンを旅した多くの若者たちの顔を思い浮かべながら、”タシデレ(幸あれ)!”と祈る ——辻信一

 

<ペマの“バクチャー”幸せ論>


私が大切にしているバクチャ―についてお話します。バクチャー(ゾンカ語、シャチョップ語)というのはブータンの文化にとっても大事なキーワードだと私は思っています。誰もがバクチャ―をもっていて、私ももっている。それは良くも悪くも、非常に力の強いもので、小さい問題から大きな問題までつくり出す。戦争という大問題までも。


年寄りにも、若い人にもバクチャーはある。みなさん、考えてみてください。頭の中や、心の中に、「ああだったらよかったのに」とか、「こうすればよかった…」という後悔の気持ちがありますよね。それがバクチャーです。


でも後悔と言うと、悪いことのように聞こえる。でも、いい思い出もまたバクチャ―です。みなさんはブータンにやってきて、どんなバクチャ―をもつことになったのでしょう。それは「ああなればよかったのに、こうなってしまった」という苦い思い出かもしれない。でも一方には、いい思い出もあるかもしれない。


先日、サッカーの国際試合があってブータンはカタールに「15-0」で負けた。そんな負け方をすれば、国によっては、あまりの屈辱で激怒したり、絶望したりして、中には自殺してしまう人もいるかもしれない。でも一方に、それを残念だと思いながら、同時によい思い出とする人もあるだろう。ブータン人はたぶん、「今日は相手が勝つべき日で、我々が負ける日だったのだ。神々がそう望んだのにちがいない」と考えるでしょう。


残念に思うのは自然なことです。「残念」というのはバクチャ―です。そのバクチャーをどう生きるかに、違いが表れます。負けるのは残念なこと。でもそれを自分の中でどう受け止め、どう受け入れて、どう消化するのか、で変わってくる。バクチャーをどう生きるか、が肝心なのです。


この世にはケンカや争いが絶えない。しまいには戦争したり、絶望のあまり、自殺する人もたくさん。これらはみなバクチャ―によるものだと私は思っている。愛もまたバクチャーです。愛は人に歓びを与えもするし、人を殺しもするんです。戦争を引き起こすほど否定的ものでもあり得るが、同時に幸せをもたらすものでもありうる。



みなさんは、つい数日前にブータンの田舎の村にホームステイして、家族と仲良しになって、最後には涙を流して別れを惜しみましたね。見送る村人たちが本当に悲しんでいたのを私は知っています。あなた方が去っていくのを見ながら、「ああ、悲しい。もっと、この村にいてほしい」と心から思っていたのです。彼らのその感情もまたバクチャ―です。これはよいバクチャ―です。別れることがつらい。そのつらさを美しい思い出として、彼らはずっと大切にすることでしょう。だから、みなさんもよいバクチャ―をぜひ大切にしてください。それがあなたの心の中の美しさなんですから。それを楽しんでください。


日本についてのバクチャ―が私にはたくさんあります。楽しいこと、美しいと思ったことは、今となってはよい思い出であり、よいバクチャーです。でもすべてが最初からうれしいことだったわけではない。嫌なことも、残念なこともあった。


宮崎県のある美しい海岸でのこと。石を手に取ってみたら、ものすごい軽い。聞けばそれは溶岩というものだそうです。これは面白い、ブータンにもっていくぞと考えてワクワクしました。もって帰ってブータンのみんなに見せてやろう、と。


その直後、ある家で美味しいごちそうをいただき、楽しいひと時を過ごしたんですが、そこにあの石を忘れてきてしまった。それからというもの、私は日本人に会うたびにその石のことを思い出す。


でも、私は思うんです。ああ、あの石は、私によってブータンに連れてこられるべきものではなかったのだ。私のものになるべきものでなかった、ブータンに属するものではなかったのだ、と。そして私は思いました。そうだ、それがカルマ(因縁)だ。そう考えた時、すべてが喜びに変わりました。あの石のことを思う度に、私は幸せな気持ちがします。

なるべく後悔しないですむように、バクチャーを避けて、平穏に生きていきたい、という人がいます。でも、私は違う。私は、むしろバクチャーを迎え入れる。バクチャーとともに、ワクワクと生きたいのです。


だとすると、肝心なのは、バクチャ―とともにどう生きるかだ、ということになります。悔いのないように生きると言うけれど、人生には失敗は付きものです。いろんなことが自分の思う通りいかない時もある。いや、人生にはうまく行かないことの方が多いくらいです。うまくいかないことが続く中で、どう生きるか、が問題です。そこにビッグ・ハートとスモールハートの違いが出る。心の広さ、大きさ、深さによって、人生は大いに変わってくるのです。


望みの多くは果たせないもの、夢の多くは実現しないものです。それが悪いバクチャーとして心の中に積み上がっていったら、その重みと、その毒気で、人は病気になってしまうでしょう。では、望むこともなく、夢みることもなく、生きていくべきだとみなさんは思いますか。そんなことはないでしょう。


とすれば、大切なのは、バクチャーをよいバクチャーに変えていくことです。ネガティブをポジティブに、苦い思いをよい思い出へ、悔恨を歓びへ、醜さを美しさへと転化する。このことを「バクチャー・ジョンパ」と言います。ジョンパは、夢がかなうことだけではなく、かなわなかった夢を悔いとせず、よい思い出へと変えることをも意味するのです。


バクチャーのような面倒なものは避けて通るのが、利口な生き方だという人もいます。だったら、私はバカで結構。バカとして生きていきたいのです。こう言ってもいい。バクチャーは汲めども尽きぬ幸せの泉だ、と。


ナメサメ」というブータンの言葉を覚えましたね。「とても」「すごく」という意味でよく使いますが、みなさんはこの「ナメサメ」の本当の意味を知っていますか? それはもともと、「天も地も超えて」ということなんです。みなさん、どうか、それくらい広く大きな“ナメサメの心”をもって、バクチャーを迎え入れ、受け入れ、「ジョンパ」して、ワクワクと生きていってください。


幸せに生きるかどうかは、あなた自身にかかっているのです。

こんなことは学校では教えてくれませんよね。私はろくに学校へいかなかったけれど、それでも、私なりに知っていること、考えていることをお話しました。教室で学んだことにも意味はあるでしょう。でもそれだけでは価値がない、と私は思う。真の学びはその後にくるのです。


「負ける」ということについての私のモットーをいくつか言っておきます。

「負けるのが上手なのはよいことだ」

「ケンカするより、負ける方がよい」

「負けることで失うものは何もない」

「もし誰か勝って喜ぶ者があれば、勝たせよう。それは私の喜び」

さて、みなさんとの旅もいよいよ終わりです。十分、みなさんのお役に立てたとか、十分なサービスを提供することができたとはとても言えません。私は私なりにできるとこはしたつもりですが、不十分なところはお詫びしたい。どうかお許しください。


改めて、ブータンに来てくれて、ありがとう。ご期待にどこまでそえたかは分かりません。もしもブータンで嫌なことがあったら、ただ忘れてください。不愉快なことがあったら、バクチャー・ジョンパして、よい思い出として持ち帰ってください。


どうかお幸せに。タシデレ!



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