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ペマ・ギャルポの幸せ論  その2



ブータンにはない電車や地下鉄、そして新幹線には興味を覚えるが、それより驚いたのは乗客だ。

たくさん乗り物に乗りましたが、そこで見た日本人こそ、まさにロボットでした。日本人がやっていることは主に3つ。乗ってきた途端に携帯を使い始める。本を読んでいる人も少しいる。あとは寝ている


特に乗り物の中で寝ている人がいるのにペマは目を見張る。

私はこれまで、立って寝るのは馬だけだと思っていたが、日本では人間もやっている。でも、自分の降りる駅にきたらぱっと起きて降りる


起きている人のほとんどは携帯に釘づけだ。

いくら日本でも、何十年か前まで携帯なんかなかったはずです。その頃の耳はもっと幸せだったのではないか。目も安らかで平和だったのではないか。空気はもっときれいで、鼻も幸せで、よい香りを嗅いでは楽しんでいたのではないか、と私は思うのです。


私がもし日本のえらい大臣を知っていたら、ぜひ提言したい。一年に一日でいいから、携帯を使わない日を法律で定める。一日やめたからどうなる、というわけではないかもしれないが、一日でも、昔のご先祖さまたちが、目で何を見て、耳で何を聞き、鼻が何を嗅いでいたかを思い出すきっかけになればいいんじゃないか、と。

私は思うのです、もしわたしたちが過去をよく知らなかったら、未来も知らないということにもなるのではないでしょうか




最後にペマはこうつけ加えた。

ブータンには“幸せの五つの扉”という言葉があります。足、手、口、目、耳……。その扉を通じて世界を歩く、感じる、味わう、見る、聴く。世界とつながる。それこそが幸せというものでしょう

大阪から南九州へ。ぼくとペマの旅もいよいよクライマックスだ。田舎へ行くほどにペマは元気になっていく。景色も、人々の暮らしぶりも、子どもたちが駆け回っている様子も、ブータン同様に美しい、と。


彼の口癖は、「生まれる時も死ぬ時もこの身一つ」。現代人はそれを忘れて、あれもこれもと欲しがり、手に入れようとする。しかし、とペマは、宮崎県のある村の集いで語った。

「この身一つに、いったい服は何着、必要なのか。たった二つのこの小さな足のために、いったい何足の靴が必要なのでしょうか?

服をたくさんもつには、それを買うために、多くの時間をつぎ込んで働かねばいけないから、その分、大事なお子さんの顔も見ないで働くわけですよね。どっちが大事なんでしょうか? 物なんか少なくたって、その分、家族や友だちと時間を過ごした方がずっといいじゃないですか。

服をたくさんもったらもったで、どれを着るか選ぶのに時間がかかる。どれを着るか、それに合う靴は、靴下はどれか、などと悩むでしょう。それなのに、たくさんもてばもつほど、もっと欲しくなるらしいのです」


そしてペマは、こうまとめた。

「私たちはたくさんもてばもつほど幸せになると思うのは、間違いなのです。もてばもつほど、ストレスが増え、もっと欲しい、もっと欲しいと、欲望に駆られるほど、私たちは不幸せになっていくのです」



日本人は幸せそうに見えるか、という質問がそこでも飛んだ。ペマの反応は、前とは大違いだった。

「大都市は、私にとってはみんな同じに見えます。でも、ここのような田舎に着いた途端、ブータンに帰ってきたような親しみ、みな前世からの家族なのではないかという近しさを感じます。見たことのあるような顔ばかり。もうそっくり。しばらく会ってないクラスメイトのディキさんには、もう10年くらい会っていなくて、どこに行ったかと思ってたら、ほら、ここにいた(笑)。


風景も、人々も、子どもたちがそこいらを駆け回っている様子も、みな美しかった。私はブータンが最高に美しいと思っているけど、いや、あなたたちも美しい所に住んでいる」


この時ペマは、自分が今いる場所がかつて原発誘致計画があった地域だということを知らなかったはずだ。しかし、こう言った。

「だから、もうこれ以上は開発なんかしない方がいい。ブータンでは“足るを知る”ことこそが幸せの鍵だと考えています。お願いです。もう開発はやめてほしい。開発屋さんが来たら、丁重に帰っていただきましょう」

ツアーの行く先々、どこで話す時も、ペマは最後にこう言って話を結んだ。

もしも私の話に失礼なところがあればお許しください。嫌なことがあったら、忘れてください。日本人がどれだけ忙しいか、私はよく知っているつもりです。その忙しい皆さんが私のような、無学な田舎者のつまらぬ話を聞きにきてくださって、本当にありがとうございました


チモン村に再生した伝統的なコットン文化

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