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執筆者の写真辻信一

本当はコロナどこじゃないんです  辻信一

夏至も過ぎ、もうすぐ、一年の折り返し地点だ。その半年の半分は、良くも悪くも、パンデミックに染め上げられていたようにも思える。3ヶ月前にぼくが何を考えていたか、振り返ってみよう。この文章は、「月刊ハイゲンキ」という雑誌(5月号)に掲載された中川雅仁さんとの対談での、ぼくの発言から一部を抜粋し、加筆したものだ。その対談は、閉店間際の3月25日にカフェゆっくり堂で行われた。ぼくがこのカフェの”店主”だったのが、もう、ずいぶん、前のことに思える。


 
1月末、ぼくはタイ北部のカレン族の村にいた

環境問題に向き合う場合、文化と環境とを別々のものだと考えないことが重要だと思っています。文化というのは、人間が特定の生態系の中で生きてゆく上で、その生き方を律する土台、枠組みです。何百年、何千年もの試行錯誤の末に出来上がったその枠組みの中で、生まれ、“していいこと”や“いけないこと”を学びながら人々は生活してきたわけですよね。

でも現代は、どうでしょう。文化的な制約を取り払ってしまって、もう制御がきかなくなってませんか。自分たちが生存の基盤である地球とその生態系が壊されつつあるというのに、ま、お金のためだから、経済のためだから仕方がないと言っている。科学技術を動員して、人間が自然界を徹底的にいじくりまわし、改造し、痛めつけてきたせいで、自然界は疲弊し、混乱している。その結果さまざまな問題が発生している。

文化という枠組みの残骸の上に、人々は限りなく自己の利益を最大化する自由を得た。その結果が環境破壊です。環境問題を何とかするには、もう一度、文化的な存在としての自分を思い出すことじゃないか。していいこと、してはいけないことも含め、自分にとって生きがいは何か、本当に大切なことは何か・・・。これらはどれも経済や科学での扱えない文化的な問いです。

歴史を振り返ったり、伝統から学ぶことも大切ですし、まだ世界のあちこちに、伝統的な価値観や世界観を今に伝えている先住民族の文化から学ぶこともできます。「それは過去の理想化だ」とか、「今さら昔に戻れるわけがない」と言う人がいますが、もちろんある伝統や時代に戻るのではなくて、ぼくたちが忘れてきた重要なこと、自然と人間との関係という根本的なところへ一度立ち戻ってみようということです。

今回のコロナウィルスの騒ぎで、いろいろなことを考えさせられます。ぼくが今月(3月)初めにカナダに行って、帰ってきた直後に向こうでも大騒ぎになりました。カナダへ行く時はいつもの通り、飛行機に乗って、食事をして、映画を見ているうちに着いていた。ぼくたちはそれに慣れ切ってしまっていますが、カナダの国境が閉鎖になってみると、カナダは何て遠いところだったんだろうと。便利さが怖いのはここです。


3月上旬、カナダBC州

動植物たちはそれぞれの時間と空間で生きているわけです。ぼくたち人類は動植物を食料とし、植物の光合成のおかげで生きています。だから、動植物が繁殖し生育する自然の時間に合わせないといけないはずです。つまり自然の時間を「待つ」ことで、人間の生きるペースも自ずと決まっていたわけです。ところが科学技術の発展によって、動植物の時間を次第にコントロールできるようになりました。野菜や家畜、魚の成長を加速させたりするわけです。すべて人間の利益のためです。

いわゆる「生物」だけでなく、ウィルスも森も川も山もそれぞれ独自の時間をもっています。何億年もかけてできた石油を人間は100年で吸い出してしまう。問題が起こらないはずがないでしょ。

この9年、あの東日本大震災からぼくたちは何を学んだのだろうと空しくなることがあります。福島の原発事故にしてもまるでなかったことのようにしている。このコロナウイルスのパンデミックにしても、ぼくたちに実に多くの大切なことを教えてくれていると思う。でもこれもまた、おさまってしまえば、またみんな忘れてしまうのではないかと思ってしまいます。

今回のコロナウイルスの蔓延について、世界の指導者の多くが「戦争」という言い方をしていますね。「戦い」という言葉もメディアでも実によく見かける。でもこうした何気ない言葉づかいに重要なことが表現されていると思うんです。まるで「戦い」という言葉なしには、世界が捉えられないかのようです。

思えば、現代の人間はいくつもの戦争をやっていますよね。まずは自然界を相手にした戦争です。「ウイルスは敵だから叩きのめさないといけない」という考え方もそう。ウイルスだけではありません。自然界全体を敵として、これを支配し尽くすことが勝利だと。

そもそも、コロナウィルスだけでなく、エボラ熱も、鳥インフルエンザでもSARSなどの最近出現した新しい感染症の7割は、野生動物由来だと言われている。そしてそれは、農業などの人間の生産活動のために原生林などの自然が破壊され、生物多様性が急速に減少してきたことに由来すると多くの科学者が考えています。コロナウイルスが我々に突きつけているのはこのことではないでしょうか。

もう一つ、現代人が仕掛けている未来に対する戦争があります。ぼくらの経済とは、世界中で手に入る資源を奪い合うことで成り立っています。資源はいずれ枯渇します。つまり、ぼくたちは未来世代が必要とする資源まで奪いとっているわけですね。このままだと生きる基盤を奪われてしまう未来の人たちの声を代弁して、まだ生まれてない世代のためにも、ああして怒り、悲しみ、行動しているのが、16歳のグレタ・トゥーンバーグさんでしょ。

誤解を恐れずあえて言えば、危機はチャンスです。9・11のときも3・11のときも、ぼくは言ってきました。今回の危機も、もう一度深いところから文明のあり方を考え直し、良い方向への転換を図るいい機会なんじゃないですか。多くの人が苦しんでいる時に、何を呑気なことを、と言われてもいい。


例えば、世界中で経済活動が滞って、大気汚染が減った。それによって何十万という人命が救われたという。考えてみてください。日常的にどれだけたくさんの人が病気になったり、亡くなったりしているか。ある研究によれば、年間、大気汚染だけで7百万人が亡くなるという。温暖化による複合的な災害で、すでにどれだけの犠牲者が出ているか。


人間ばかりじゃない、生態系もどんどん失われている。生態系が衰弱すれば、それだけ人類の生存が脅かされる。そういう膨大な犠牲を伴う経済をぼくたちは推進してきたし、そのもとで、ぼくたちは暮らしてきたわけで、そのことにも目を向け、反省する必要があると思いますね。これまた誤解を恐れず言えば、今はもう“経済”どころじゃないんです。そしてこれもあえて言えば、コロナ危機どころじゃないような巨大危機の中に、ぼくたちはすでに生きている。


2月末、ブータン南部シェムガン県

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