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執筆者の写真辻信一

20年目のキャンドルナイト その1


今では「キャンドルナイト」として知られる運動が始まったのは2001年。カナダのバンクーバーで発信された電力ボイコット=自主停電キャンペーンを受けて、ナマケモノ倶楽部の仲間たちと、開店したばかりのカフェスローで、“暗闇ナイト”をやったのが最初だった。

ぼくが2004年のちょうど今頃書いた文章で、その頃を振り返ってみたい。

それを参考に、ぜひ、あなたも、自分自身の「キャンドルナイトの思想」を育んでほしい。

5回連載の、今日は第一回。

 

(1)電気を消して、スローな夜を


ここ数年、ぼくは「ナマケモノ倶楽部」の仲間たちと夏至と冬至の日の夜に自主停電をやってきた。きっかけは、北米のある団体がインターネットで、誕生したばかりのブッシュ政権への抗議行動を世界中に呼びかけたことだった。ブッシュ大統領の新しいエネルギー政策とはどんなものだったか、思い出してみよう。ひとつ、地球温暖化防止のための「京都議定書」から離脱する。ひとつ、アラスカの自然保護区にある石油の開発を強行する。ひとつ、国内に毎週ひとつからふたつの発電所を建設する。ついては中止になっていた原子力発電所の建設も再開する。これらなしに経済成長を継続して、豊かなアメリカをさらに豊かにしていくことはできない、というわけだ。


9・11(アメリカ同時多発テロ)以後の視点から、今、このことを振り返ってみると一層感慨深いものがあるのだが、まあ、その頃は単純に、ずいぶん乱暴な人が大統領になっちゃったなあ、とぼくは呆れていた。そしてナマケモノを名のっているぼくたちとしては、これは電気をナマケるいい機会だとばかり、夏至の日に設定された抗議行動にはりきって参加することにした。だが行動とはいっても、大したことをするわけではない。夜の2、3時間電気を消す。まあ、それだけのことなのだ。


それまでも、テレビを見ない「ノーテレ週間」とか、買い物をしない「無買日{バイ・ナッシング・デー}」とかも、やっていたし、食事の時に電気を消してローソクをつけるぐらいのことは、愉しみでしょっちゅうやってもいた。でも、インターネット上ではそれなりに盛り上がって、特に誰かが言い出した「暗闇のウェーブ」のイメージにはみんなワクワクしたものだ。暗闇のウェーブとは、もし世界中の多くの人が同じ時間帯に電気を消せば、時差によってサッカー場のウェーブのように地球の上を暗い帯が動いていく、ということ。そんな大きなことを想像していたわりには、この時の日本での参加者はせいぜい数百人だったかな。米国の西海岸では電力消費量を1割下げた地域があったそうだが。


カナダ、ハイダグワイの海岸

こんなふうに初めは抗議行動として呼びかけられたものだったのだが、自分でやってみるとすぐに、これが単なる政治活動にとどまらない、ひとりひとりの心に深く響く、愉しい文化運動だということがわかった。電気を消す。すると暗闇が戻ってくる。日本人の8割が町に住むと言われる今、ぼくたちの周りから闇が消え去って久しい。電気を消して、空の月や星を見る人がいる。蛍を見にいく人がいる。ただ闇の中でじっとしている人、愛し合っている人たちもいるだろう。焚き火をしたり、ローソクを灯す人たちもいる。ローソクの灯は闇を引き立たせ、闇は灯を輝かせる。その灯の下で子どもに絵本を読んであげるという母親もいる。食卓を囲む家族もいる。風呂に入る人もいる。


それから2年後の2003年6月22日夜8時から10時まで、日本各地で「100万人のキャンドルナイト」が行われた。ぼくにとっては夏至の夜としては3回目の「自主停電」だったが、今度は半年以上前から仲間たちと計画を練って、事務局を置き、インターネット上にホームページを開設して草の根キャンペーンを張った。その結果、個人ばかりでなく、多くの団体、自治体、企業も呼応して、また環境省の協力も得て、数ヶ月の間に大きな広がりをもつ運動になった。


当日は日本中あちこちで大小のイベントが開催された。全国のタワー、城、ビルなどの主要施設が消灯してくれたが、東京では東京タワーの消灯に合わせて、そのすぐ足下にある増上寺の境内で数千人のコンサートが開かれた。結局、全国でキャンドルナイトに参加した人の数は500万にのぼると、環境省は推測している。「100万」と大風呂敷を広げたつもりだったぼくたちにとって、これはうれしい驚きだった。


「呼びかけ人代表者会議」というものがあって、ぼくもそのひとりだった。まあ、要するに言い出しっぺの集まりだ。産直ネットワークの「大地を守る会」の藤田和芳会長、環境ジャーナリストで翻訳家の枝廣淳子さん、環境派コピーライターのマエキタミヤコさん、文化人類学者の竹村真一さん。当日までの数ヶ月、ぼくはこの仲間たちと時々会って談笑するのが大きな愉しみだった。特によく思い出すのは「電気を消してスローな夜を」というキャッチフレーズをつくった時の話し合いのこと。


ぼくたちはこのキャンペーンを単なる「省エネ」運動にしたくない、という点で一致していた。とにかく電気を消す。その行為だけが共通項で、そこにどんな思いを抱くか、どんな願いを込めるか、どんな主張を伝えたいか、といったことは、それぞれの人が決めること。共通の思いや意見がないという意味では、これは運動とも言えない運動なのかもしれないが、そんな変な運動があってもいいんじゃないか。


ある人はイラクの平和を、ある人は愛する人のことを、ある人は地球といういとしい星のことを思うかもしれない。ある人はただ日常の雑多なことを思い巡らすかもしれない。会って議論すれば互いに意見の合わない人も多いはずだ。でもこのひと時は、こうした違いは違いとして、とにかくひとつの行為によってつながる。


スローな夜がどんな夜なのか、それにも決まりがあるわけではない。それは「こう過ごすべき」夜でも、「ああ過ごさなければならない」夜でもない。だからこそスローなんだ。「何を訴えたいのか」と記者会見で聞かれたらどうしよう。それは自分の訴えたいことを言えばいいんじゃない? 何を訴えてもいいということを訴えたい。いや、訴えることがなくてもいいんだ、ということを訴えたい...。


また、キャンドルナイトの夜が過ぎてから、続々と届く事後報告のメールやファックスを読んだり、会った人から直接感想を聞いたりするのが、ぼくには愉しかった。中には、「やっと妻と会話がもてました」とか、「子どもと大人が一緒に何かをするのを楽しめたのは初めて」とか、といったうれしいような悲しいような感想もあったけど・・・。


夜の2時間電気を消してどう過ごしたか、そこには人それぞれの想像力と創造性が見事に表現されていた。ささやかなリチュアルや祭りを通して、人々は普段見ないものを見、感じないことを感じていたのだ。そこには様々なかたちをした新しい快楽がいっぱいだった。それぞれが手にしたささやかな愉しさや安らぎを通じて、想像するのもむずかしいくらい多くの人々が緩やかにつながる。それはぼくにとって初めて“見る”、息を呑むような美しい風景だった。

エクアドル、アタカメスの海岸

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