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執筆者の写真ナマケモノ事務局

メキシコ大統領選挙投票日 せんだしお



 今日6月2日、私が住んでいるメキシコでは、歴史的に重要な選挙の投票が行われています。2018年に就任したアンドレス・マヌエル・ロペス・オブラドール(愛称は頭文字をとってアムロ)現大統領の6年間の任期が今年9月末で終わるのに伴い、メキシコ史上初の左派政権のもとで進められてきた「第四次変革」を継続するのか、保守派連合が政権を奪還するのか、これからの国の根本的な方向性を国民が選ぶ機会となっています。


 今回の選挙は史上最大規模、1億人ほどの有権者が国内外におり、大統領や知事、国会議員、地方レベルの役職を含めて2万以上のポジションを選ぶことになります。気候変動の影響で厳しい熱波が続く中、多くの人が炎天下、投票所周辺で長蛇の列をなしています。選挙活動期間中には37人の候補者が暗殺されましたが、今までのところ、投票所での暴力のニュースは入っていません。多くの人々が平和で公正な選挙の実現を祈りながら、このプロセスを見守っています。


 この国は現在、政治変革プロセスの真只中。メキシコは多様な自然や文化、豊かな資源を持つ国ですが、植民地時代以来の階級社会で貧富の格差が激しく、汚職が構造化しています。とりわけ1982年以降のネオリベラリズムの時代には、汚職が政府組織の中で常態化し、一部特権層への富の集中と貧困層の増大に歯止めがかからなくなっていました。1994年の法改正により、汚職は重大犯罪ではなくなり、本来ならば汚職を抑制すべき司法や警察、選管、メディア、さらには暴力組織までもが政治経済権力と癒着し、合法的、不合法的に不処罰が続いてきました。


 メキシコで暮らすようになって改めて驚いたのは、どんな手段、たとえば合法性、倫理性の欠如があったとしても、暴力や不条理に訴えたとしても「得たもの勝ち」とする権力のあり方。植民地化以降、力づくで人々の生命や財産を略奪、搾取し、権力者間で財産や特権を奪い合ってきた歴史が残した分断の意識、格差の存在や弱肉強食を当然とする強者の精神性。支配体制を維持するための暴力的弾圧、格差を固定化、拡大させる様々な問題が絡み合っていました。 


 アムロ大統領は、支配者と権力エリートの汚職、不誠実さが、国民生活にダメージを与えてきた根本の原因であるとし、「正直さ」を生き方、また政府のあり方として体現することを重視してきました。「すべての人の利益のために、まず貧しい人々を優先する」「政治権力と経済権力の分離」「ヒューマニズム」「正直さ」というビジョンのもと、汚職の撲滅、格差是正を優先課題とし、一連の改革を続けてきたアムロ大統領の支持率は、6年間の任期を通じて6~7割程と高水準を維持してきており、後継の大統領候補者であるクラウディア・シェイバウム(前メキシコシティ市長)も、全ての世論調査で首位にいます。5月29日、選挙キャンペーン最終日には、首都メキシコシティのソカロ(国の中心広場)とその周辺を55万人のクラウディア支持者が埋め尽くしました。アムロが始めた「第四次変革」をさらに発展させていこうという呼びかけに、「オブラドールと共にいられるのは栄誉だ!」という人々の大歓声が上がり、まもなく、メキシコ史上初の女性大統領が誕生しようとしています。


クラウディアの選挙活動のリフレクション(本人のX投稿より)




 ところが、インターネットでメキシコの政治状況について検索すると、主要メディアのニュースや解説からは、アムロ大統領は嘘つきの独裁者であり、汚職を行い、民主主義を破壊し、その暴政のためにメキシコは危機的状態にあると非難し、保守派候補を公然と支援する論調が殆どを占めています。SNS上でも、アムロや与党に対する激しいネガティブキャンペーンが行われており、共産主義者だとか麻薬大統領だとかいったヘイトメッセージが溢れかえっています。


 思えば6年前、主要メディアでは「アムロが大統領になったら通貨ペソは暴落し、メキシコ経済は破綻し、アメリカとの関係は悪化しメキシコはベネズエラのようになる」という強迫じみた論調が強かったのですが、実際には隣国アメリカとの経済的な結びつきも強く、両国関係も経済も好調な経過をたどっています。


 不平等や貧困の解消を目的とした一連の社会保障プログラムや最低賃金の大幅増加(110パーセント増)や派遣労働の禁止などの労働改革が功を奏して内需が拡大し、絶対貧困層が減少するとともに、失業率は2%台と低下、GDPも増加し、ペソは高値、ニアショアリングの影響もあって投資も過去最大。以前は汚職を通じて特権層の懐に消えて行っていたお金が、援助プラグラムやインフラへの投資を通じ、市中で流通するようになっています。


 

 私自身の生活実感としては、特にこれまで取り残されてきた農村部や都市の貧困層の居住地域で、景気が良くなっています。家の修理、増改築、新築が多く見られ、新しく商売を始める人も多く、ものやサービスもよく売れています。65歳以上の高齢者は毎月一律の高齢者年金を受けられるようになり、貧困層の子供たちも奨学金を得て学業を続け、進学できるようになっています。すべての国民が権利として無償で受けられる公医療の制度ができ、病院の建設や施設改善も進められています。まだ医療施設や設備、スタッフは十分には足りていませんが、医療関係の人材育成のための公立学校の設立が始まりました。前政権までは、公の医療機関における病院管理運営の民間委託や医薬品の調達をめぐる汚職が酷かったのですが、適正価格で調達できる体制ができつつあります。穴だらけだった幹線道路もきれいになり、村々へ通じる道路網が地域の人たちの手で造られ、汚職のしがらみがない国家警備隊が創設されるなど、強盗や誘拐を怖れずに町を歩いたり、都市間の移動ができるようになりました。最近のギャラップ社の調査では、メキシコ人の73パーセントが「生活水準が良くなっている」、55パーセントが「地元経済が良くなっている」と答えています。



 こうした人々の生活実感や経済指標と、メディアでの言説の乖離に日々驚き呆れるとともに、どんな嘘も批判中傷も、表現の自由として尊重され、禁じられることも弾圧されることもない、新しい時代の到来を改めて感じます。ここメキシコを含めラテンアメリカの多くの国で、権力を公に批判することは、それがジャーナリストによるものでも人々のデモや集会であっても、社会的地位や経済的な損失、あるいは本人や家族の生命の危険を伴うものであった時代が長かったのですから、感慨深いものです。


 アムロの政策を好意的に扱う商業メディアは少数ですが、アムロ大統領は就任以来、月曜から金曜日までの毎日、朝7時頃から2時間余りの大統領定例会見を行い、インターネットを通じて生中継し、人々に対し直接に政策やその進捗状況について情報提供を続けています。ここでは記者との質疑応答も公開で行われ、また毎週水曜日にはメディアの報道に嘘や間違いを指摘する時間もあります。政策の背景となる歴史についての話や、あるいは大統領自身の思想や文化芸術について語ることもあり、会見の終了時には彼の好きな音楽がかけられることもしばしばあります。マスメディアは長年権力と結びつき、何をどのように言い、何を言わずにおくかという形で情報操作を行ってきたので、大統領自身が毎日直接国民に話しかけるというのは、これまた新しい状況です。例えば、先日4月3日の会見で、世界の幸福度ランキングでメキシコが25位だったことについての、彼のコメントは以下のようなものでした。


「メキシコは世界的な文化大国です。間違いなく、最も文化的に優れた10か国のひとつです。そして経済的にも私たちは前進しています。ですが私たちが必要としているのは、最も重要なことは常に物質的なことではなく、隣人への愛であるという新しい思考の流れを強化し続けることです。それはシンプルなことだとわかります。善良であることによってのみ、私たちは幸せになれるということ。幸せとは飛行機、高級車、宝石、ヨットではありません。幸せとは、自分自身に対して善良であること、自分の良心に対して善良であること、そして他人に対して善良であることです。」


「私たちはいずれ死にますが、ボルヘスが言ったように、私たちが持ち帰るのは良い思い出と、大胆に生きたわずかな瞬間だけです。故アントニオ・アギラールの歌「一握りの土」を聴いてみましょう。それが私たちが強化する必要があるもの、意識の革命です。

私たちに何が起こっていたのでしょうか?それは単なる新自由主義でも、物質主義でもなく、私たちは自分自身を個人主義者にしていたのです。第一に、文化的に自分自身を否定すること、つまり人種差別主義者になること、過去を否定すること。文明化とは私たちの起源や文化を放棄することを意味し、彼らから未開人のレッテルを貼られないようにと、私たちは狡猾になる必要がありました。そして、このモデルにおけるもうひとつのことは、いかなる道徳的躊躇もなく資産を蓄積することでした。それは「あなたがどれだけ持っているかで、あなたの価値が決まる」「人々はあなたの見た目に応じてあなたを扱う」「不正行為をしない人は進歩しない」、「モラルとはモラの実がなる木にすぎない(注:モラルなど無意味の意。保守系の政治家の間でよく使われた表現)」でした。」


「では、私たちは何に対抗しなければならないのでしょうか?メキシコの人々はこれらすべての美徳を持っており、月曜日に起きた日食でさえそれらを隠すことができませんでした。人々はそれらの美徳を保っており、多くの労力は要りません。メキシコ国民は正直で、勤勉で、兄弟愛に富んだ国民です。メキシコ国民は怠け者で怠惰で、汚職はメキシコ国民の文化の一部であるといったようなことすべて、それらを吹きこみ始めたのは彼らに他ならない。それが、彼らが今とても怒っている理由なのです。なぜなら、理想も原則もなく、どんな犠牲を払ってでも勝利を収めようとする空虚な野心はすでに疑問視されており、人々は自分を表現し、さらけ出し、自分に力を与え、そしてとても幸せだと感じています。そして私たちは皆、メキシコを、私たちの偉大な国をとても誇りに思っています。」


 さて、前回選挙に敗れ、利権を失った保守派は権力奪回に必死です。アムロ大統領の就任以来、長年癒着してきたメディアと結託してアムロ政権への批判中傷を続けてきましたが、今回の選挙では「汚い戦争」と呼ばれる、メディアやSNSを通じた大規模な嘘や中傷のヘイトキャンペーンを日々繰り広げています。今回の選挙で負けたら、さらに6年間食いっぱぐれることになるだけでなく、議員数の削減や司法制度の民主化など、国の制度まで汚職がしにくい形に変わってしまう可能性があるのですから、それは必死です。何百万という偽アカウントやボット(インターネット上でプログラムに従い投稿やリツイートなどを行う自動システム)を駆使し、X(旧ツイッター)やTiktok、WhatsAppを通じて日々大量のヘイトメッセージが流通し、新聞、ラジオ、テレビなどの主要メディアもその殆どがアムロやクラウディア、与党候補への非難中傷を続けています。証拠を示さずに憶測や又聞きを事実と断定したり、証拠を捏造したり、検証や理屈抜きでネガティブなレッテル張りをしたり、人々の不安を煽ったり。国内メディアのみならず、今年2月にはニューヨークタイムズに「アムロは麻薬組織と関わっていた件でアメリカ当局に捜査されていたらしい」という根拠の提示がない記事が掲載され、以後「麻薬大統領」というタグのついた記事がボットにより1億4千万回ツイートされました。


アメリカ政府当局により、そのような捜査が行われたことはないと公式に見解が示されたものの、メディアもフォロワーも都合が悪いことは無視。政策や理念の提案をするよりも、アムロやその家族、与党候補者の汚職をでっちあげてはレッテルを貼って中傷するばかり。メディアリテラシーを育てる重要さをつくづく思いますが、これで保守派が選挙に負けるとしたら、多くの人々がそれだけメディアの言うことを鵜呑みにせず、自分で物事を判断するようになったということでもあります。もちろん、人それぞれ多様な考え方や利害関係があり、保守派を支持する人たちも一定数存在します。大統領選候補者をめぐる殆どの世論調査では左派支持が6割程度、保守派支持が3割程度となっています。保守派の扇動するヘイトキャンペーンを受けて、支持者間でのヘイト的な表現の応酬もみられます。特に劣勢の保守派のネガティブキャンペーンは激しく、真実を検証せず、無批判に罵倒を続ける姿は、滑稽で悲しいものです。


 もちろん、政権が変わり理想に向けて政策が変わったとしても、社会のあり方や人々の生き方、利害関係がそれですっかり変わってしまうわけではありません。人間が持ちうる強欲や共感の欠如は、人類の歴史の中で、大きなあるいは小さな、目に見えるあるいは目に見えにくい暴力を生み出し続けています。アムロ政権下で汚職撲滅の理想や政策があったとしても、現場での汚職がゼロになったわけではありません。メキシコに蔓延する暴力組織の活動を、さらに強力な暴力によって抑えつける対処ではなく、「暴力には抱擁を」という、暴力の根本的な原因(貧困、教育など)に対処しようとする政策が効果を顕してくるには、それなりに時間もかかるでしょう。


 大規模な植林プログラム「センブランドラビーダ(いのちの種をまく)」で荒地に植えられつつある木々は、近年の厳しい干ばつの中でうまく育たず枯れてしまうものもあるけれど、生き延びたものは、少しでも雨が降れば新しい緑の葉を出し、少しずつ成長しています。いつも、祈る思いで、木々の成長を見ています。木々に命と喜びが満ちれば私たちもうれしいし、木々が苦しんでいるのを見ると私たちも悲しい。10年後、20年後、もっとその先、ここは緑の大地になっているだろうか?耕作放棄され、太陽にやかれた乾いた大地で、人々や緑、すべてのいのちあるものが、調和の中に生きられる世界を夢見ること、信じること、はたらき続けること。


 この国の政治で昨今起きていることは、メキシコという枠を超えて、ラテンアメリカ、そして世界の歴史の一部であり、それは、人間のいのちや尊厳よりも限られた人々の利益を優先し、制度的に抑圧や搾取が行われてきた歴史の中で、多くの人々が求め闘ってきた公正な社会の建設という夢の続き、多くの血と涙が流されてきた歴史の中で、時が来て開きつつある花なのだと思います。


 アムロ政権の環境関係の公約集の序文は、以下のようなものでした。


「大地は私たちのものではなく、私たちは大地の一部なのです。

それにもかかわらず、長年にわたり、私たちは大地に対し、まるで自分たちが無責任でわがままな持ち主であるかのようにふるまってきました。それは、もう終わりにしなければなりません。

私たちの環境関連の公約は、二つの視点から見ることができます。ひとつは国際的に喫緊となっている課題に対応すること、もうひとつは私たちの国に特有な課題と、私達の社会的、政治的な多様性を認識すること。私たちのプロジェクトの心臓部分は、大地と文化の守護者である、先住民コミュニティと協働することです。

メキシコは大地の上にあります。


一つ目。メキシコはこの星にあり、それは、私たちがこの星の住人である、人々、ミツバチたち、クジラたち、ウーパールーパーたちとも、旅をともにする仲間なのだということを意味します。

二つ目。メキシコは、私たちの足を支え、私たちの食べ物を生み出し、私たちの文化が描かれるキャンバスであるこの土の上にあるということを意味します。

三つ目。メキシコは巣であり、巣穴であり、巣箱であり、家なのです。」

Josefa Gonzalez-Blanco Ortiz-Mena

2018 “NATURAMLO MEXICO ESTA EN LA TIERRA”


 ドロドロに絡んだ利権をめぐる動きや、差別や暴力で機能不全になっている社会状況の中にあっても、その変革への原動力となっているものが、シンプルに愛であり、人間の、いのちへの尊重と信頼であるということに、日々心動かされています。そんなきれいごとをとか、夢みたいなことを、と言われるようなことを、メキシコという1億2千万人の人口を抱える小さくはない国の人々が、民主主義という仕組みを通じて実現しようとしている。これまで隠されてきた闇、当然のこととみなされ続いてきた闇が、日々陽の光の下に照らし出されるとともに、歴史から学び、新たな歴史を築いていこうとする日々の中にいます。私たちは、ともに歴史を創っているのです。


 

おまけ:映像紹介:





アムロの奥さんベアトリス・グッティエレス・ミュラー(作家、ジャーナリスト、大学教授)が歌う、シルビオ・ロドリゲスの「エル・ネシオ」(El necio:愚か者)。

シルビオはキューバのシンガーソングライターであり現在77才。彼の歌はラテンアメリカ各地での民主化運動で人々の精神的な支えにもなってきました。


この映像はメキシコのジャーナリスト、エピグメニオ・イバラによる編集で、社会運動家として長く民主化のために活動してきたアムロの軌跡を映像で追っています。


歌詞を意訳してみます。


“El necio”

Silvio Rodriguez


「聞かずやの馬鹿」


僕のイメージが砕け散ってしまわないように

僕を変わり者連中から救い出すために

僕を彼らの詩壇におくために

僕に彼らの祭壇の片すみを与えるために


彼らは僕に悔い改めるようにと忠告に来る

彼らは僕に敗者にならないようにと忠告に来る

彼らは僕にはっきりものを言うなと忠告に来る

彼らは僕にたくさんのたわごとを受け入れるようにと勧めに来る


何が運命かなんて知らない

僕は思うまま歩き続けてきた

神さまならあちら 

神聖なお方らしい

僕は自分が生きたように死ぬ

僕は自分が生きたように死ぬ

僕は自分が生きたように死ぬ


敗者のゲームを続けたい

右利きより左利きでいたい

僕は連帯ある議会を作りたい

「僕たちの息子」のためにとことん祈りたい ※1


彼らは時代遅れのキチガイだと言うだろう

彼らは民衆なんて悪い奴らで 

受け取るに値いしないと言うだろう

けれど僕はイタズラを

夢見ながらわかちあおう

パンと魚を増やすのさ ※2


何が運命かなんて知らない

僕は思うまま歩いてきた

神さまならあちら 

神聖なお方らしい

僕は自分が生きたように死ぬ

僕は自分が生きたように死ぬ

僕は自分が生きたように死ぬ


彼らは僕を岩の上に引き摺り出すと言う

革命が崩壊するとき

彼らは僕の手と僕の口を潰し

僕の目と男根を引き抜くと言う


愚かさは僕とともに生まれたのだろう

そして 聞く耳を持たない馬鹿に育ったというわけだ

敵にされることも厭わない愚か者

代価を求めず生きる愚か者


何が運命かなんてわからない

僕は思うまま歩いてきた

神さまならあちら 

神聖なお方らしい

僕は自分が生きたように死ぬ

僕は自分が生きたように死ぬ

僕は自分が生きたように死ぬ


(歌詞ここまで)


※1 「私たちの父なる神に祈る」が普通

※2 キリストの逸話から


彼が大統領になったのは2018年、三度目の立候補時。2006年、2012年には人々から大きな支持を得ながらも選挙の不正により当選することが出来ませんでした。

私自身、2006年7月、メキシコシティの中心部を埋め尽くす人々が、国の中心広場へ向かっていく波に呑み込まれたことがあります。当時は言葉もわからず、何が起きていたのかわかりませんでしたが、人々の切実な思いと熱、連帯感に圧倒されました。ずいぶん後になって、それが大統領選挙での不正への抗議の集会だったのだと知りました。


今年2月、アムロは「¡GRACIAS!」(ありがとう)というタイトルの自伝を出版しました。多忙の中、550ページの大著。大統領の任期が終わったら政治家を引退し、以後公の場には一切出ないという彼の、巻末の言葉を先に読んで、泣けました。朝の定例会見でも何度も泣いてきたけれど、人間の偉大さ、愛の大きさに触れると、涙が出てくる。

多くのメキシコの人たちが、彼とともに生きた歴史的を思い「ありがとう」の気持ちでいっぱいの時を生きています。選挙の時だけの美しい言葉の羅列ではない。以下、大体の訳です。


「この変革は、私たちが愛する美しいメキシコで、より一層の正義とより誠実な未来を手に入れることを保証するためのものです。


最後のレフレクションは、私の想像力、理想、そして仕事を応援するために、私の長い旅を信頼してくれた、かつて、そして今を生きている、何百万もの女性と男性の先駆者たち、既知の、あるいは無名の、しかし常に忠実で寛大な人々に感謝しているということです。私たちの世代、そして何よりも私たちの後に来る人々のために、メキシコの変革を。私は敵対者に心からお詫びします。私は人を傷つけようとしたことはありませんし、誰も憎むことなく引退します。私が自分自身を厳しく過激に表現したとしても、私は常に美しいユートピア、隣人愛の崇高な理想を達成するためにそうしてきたことを理解していただければ幸いです。 9月末に退職し、今後は公の場には一切参加しません。私がうまくいったかどうかは歴史が教えてくれるでしょう。アマド・ネルボのこの美しい詩で別れを告げます。


安らかに


私の黄昏時が近づいた今、人生よ、私はあなたを祝福します。

なぜなら、あなたは決して私から希望を奪わず、不公正な仕事をさせず、不当な悲しみを与えなかったからです。なぜなら、自分の険しい道の終わりに、自分が自分自身の運命の設計者だったとわかるからです。私がものごとから蜂蜜や胆汁を得たということは、

私が物事に胆汁や蜂蜜を入れた結果なのです。

バラの木を植えたときは、必ずバラの花を収穫しました。 ...確かに、冬は花の季節の後に来るでしょう。しかし、あなたは私に5月が永遠に続くものであるとは言いませんでした!私は間違いなく、悲しみの夜が長いと感じました。でも、あなたは私に美しい夜だけを与えるとは約束しませんでした。その代わり、私は神聖で穏やかな夜を過ごしました...私は愛し、愛され、太陽が私の顔を撫でました。

人生よ、あなたは私に何の借りもありません!

人生よ、私たちは安らかさの中にいます」


Andrés Manuel López Obrador

“¡GRACIAS”より

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