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執筆者の写真信一 辻

新しい物語を語ろう デイモン・ガモーの言葉


前回紹介した『リジェネレーション』という新刊の、俳優・映画作家のデイモン・ガモーによる「おわりに」から抜粋させてもらおう。ただし、一点だけ、最後に出てくる「生物界に急進的な共感を持った」という文の「急進的な」は、ぼくが勝手に、「ラジカルな」とさせてもらった。根源的という意味をもつradicalという言葉を急進的という「スロー」と正反対の意味で使うのは、もうやめにしたほうがいい。


(以下デイモン・ガモーの「おわりに」から引用)

私たち人類が存在する時代の大半で、何らかの形のアニミズムが信仰されていました。生命の流れが、肌や動物や石などすべての事物の中を駆け巡り、これらを結びつけているという考え方です。今もなお、ペルーとエクアドルの国境に住んでいるアチュアル族は、「自然」を意味する言葉すらもちません。それが存在するとは考えていないのです。自分たちと周囲との区別がまったくないのです。


16世紀後半にキリスト教と科学革命が普及して、こうしたアニミズムの信仰がほぼ根絶され、新しい自然のストーリーが描かれました。人間は生物界と分離し、生物界よりすぐれた存在と見なすストーリーです。 近代科学の父フランシス・ベーコンは、「内部への通路が開かれる」ためには、研究者が「さまよえる自然の後をつけ、いわば、かぎつけ」なければならないと言いました。悲しいかな、このストーリーは今の私たちの文化にはびこっています。私たちの社会を支配する物語や、つくられている神話やメタファーを語っているのは、賢明な長老や経験を積んだ冒険家ではありません。一枚岩の企業を代表する広告代理店が語っているのです。私たちの情報エコロジーはすっかり汚されており、このことが私たちの健康と地球の健全性に悪影響を及ぼしています。


もし私たち自身の島、銀河系に浮かぶこの美しい島のような惑星の崩壊を未然に防ごうとするなら、私たちはもっと良いストーリーを語り、こうしたストーリーに知恵を盛り込んで、自然への敬意と畏敬の念を再びはぐくむ必要があります。


今日の私たちのストーリーテリングは、主に2つのカテゴリーに分かれます。1つめは、手品師のトリックのようなものです。私たちの感情は、主流派メディアに乗っ取られています。指をパチンと馴らせば物語が現れ、魅惑的なストーリーを語り、私たちが瀕死の世界に住んでいるという事実を覆い隠します。


ストーリーテリングの2つめのカテゴリーは、善意でつくられるものです。ここ数十年間、警告を与えるような物語の無数の映画や本が世に出され、多くは空想による綿密な詳細まで含め、自然界の破壊を伝えています。しかし、何が犠牲になっているでしょうか? 神経学の研究の結果、恐怖と不安が入り混じった情報を絶えず見ていると、人々を麻痺させ、問題解決と独創的思考に欠かせない脳の一部が停止する可能性があることがわかっているのです。


もしも生物界と互いにつながりあった関係性を表すようなもっと良いストーリー、意味あるストーリーを奨励してお金を出したなら、どのような世界を共に構築できるでしょうか? あるいは、生態系全体を回復させている個人とコミュニティーに関する、パワーを与えるような物語や、説明、再生(リジェネレーション)の話を伝えたら、何が起きるでしょうか? 私たちはこれまであまりに長い間、グラフやデータ、専門用語、地球上の生命に関する命の宿っていない統計を浴びせて、自らの首を絞めてきました。新たなアプローチが必要です。それは、人々の心に直接届くような、より良いストーリーを語るという由緒あるアプローチです。ストーリーテラーの役割が、これまでになく重要になっています。アーティスト、詩人、ソングライター、作家、映画制作者の真の目的は、文化を見出し、形づくることです。その文化がその後、何が花開いて何がしおれるか、何が繁栄して何がすたれるかを決定づけます。いま私たちは、生物界にラジカルな共感を持った文化を復活させることが求められています。もしストーリーテラーが道を見つけられなければ、道は見つかりません。どうか、そのようなストーリーを語って下さい。




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