ここ数ヶ月、ぼくが28年間使わせていただいた大学の研究室を引き上げるために、現役時代にもやったことのないほぼ毎日の”通勤”をした。里山を保全する舞岡公園を見下ろす、おそらく、キャンパスで一番素敵な部屋だ。様々なモノが現れては、ぼくに様々なトキ、ヒト、コトを思い出させてくれた。所狭しと詰め込まれていた、レコード、カセットテープ、CDを整理し、コーヒを飲みながら聴いてゆくという何よりの楽しみもあった。行きや帰りには、すぐ隣の舞岡の森へと降りてゆく。冬は過ぎ、春がやってきた。数日前には古本業もやっている環境活動家の友人が来て、残っていた本やCDなどを持っていってくれた。
さて、「あれから10年を考える」上で大いに役に立つ記事が3月11日の新聞に載っていた。東北学の提唱で知られ、福島県立博物館長などを歴任した赤坂憲雄さんのインタビュー記事だ。以下、その抜粋を転載させていただく。
東北「内なる植民地」 民俗学者・赤坂憲雄
(2021年3月11日朝日新聞)
東北に限ったことではない・・・、北海道のアイヌの人々、沖縄、台湾、朝鮮半島、満州。国民国家としての日本は「帝国」化の歴史の中で、その周縁部に異質な文化や民族をたくさん抱え込んできた。時に国境を越えたり、国境の内部で線を引いたりして、「内なる植民地」を生み出してきた。日本だけではなく、近代の国民国家がみな見えない辺境として抱え込んできた「植民地」が露出しつつある。東北の復興の問題は、そうした大きな流れの一つと考えるべきです。
震災の前から人口は50年後には8千万人台、労働人口は今の半分ほどになると予測されていた。撤退の時代は避けがたい。その人口と経済力でいかに成熟した社会をつくれるか。「風土とテクノロジーの結婚」と名づけたのですが、太陽や風や水の流れからエネルギーをいただき、地産地消の仕組みを作る。それを可能とする技術はすでにあります。
ただ地域の現実は、再生エネルギーと言ってもメガの発想にとらわれていて、中央集権的なシステムが再編されているだけです。中央の収奪は変わりません。
自然から贈与されたエネルギーが地域の自治・自立に役立つ。それが再エネに魅かれた理由でした。初志が忘れられています。
震災復興の現場では、ナオミ・クラインのいう「ショック・ドクトリン」、惨事便乗型の資本主義の跋扈を許してしまった、と言わざるを得ないでしょう。・・・自公政権では、官僚機構が官邸主導で、政治によってゆがめられてしまった。「復興」という言葉を隠れみのにして、震災前からの古い利権誘導型政治がまかり通ってきた。
新しい地域社会をデザインしていこうという草の根の動きも確実に芽吹いています。・・・地域の人々が、自分たちの暮らしを支える自然生態系を調べて里山を管理する人材を育てるところから、再生エネルギーの地産地消に挑む試みが会津では始まっています。収益はわずかでも、それが東京=中央に還流されるのではなく、地域でシェアする仕組みを作り、雇用も生み出しています。
三陸の沿岸部を歩いているときに出会った人の言葉をよく覚えています。水産加工業を営む30代の若者が、目の前の海を見下ろしながら、「海はみんなのものだという考えを共有しないと、漁業の明日はないんですよ」と話してくれた。とても励ましに満ちた希望の言葉だと思いました。
最近では、自然やエネルギーといった生存に関わる条件を、昔風に言えば入会地、コモンズとして捉える流れが広がっています。山野河海はみんなのものだという発想からの小さな選択が、中央集権型システムへの抵抗のよりどころになっていくと思います。
最後のところを読みながら、岩手の小繋(こつなぎ)村で、入会地を守るために最後まで闘った山本清三郎さんの言葉を思い出した。映画「こつなぎ—山を巡る百年物語」のクライマックスだ。予告編でも見ることができるので、ぜひ、次の美しい言葉がの口から発せられる息を呑むような場面を見てほしい。
入り会い(を)やってきている・・・これは小繋に限ったことではなくて、世界全部がそうでしょ。地球が自然にできて、山でも川でも、その地球の一部分でしかないんでしょ。これが誰のものというのが変なんですよね。我々はその地球の子どもなんだから・・・地球があってはじめて我々が生きているわけですね。
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