旅から旅への暮らしから一転、ほとんど遠くへ出歩かなかったこの一年、また何十年かけて集めてきたレコードやテープやCD(その大部分は50年代後半〜60年代のジャズやR&B)ばかり聞いていたこの一年、新しい出会いはもっぱら、本やインターネットに通じてやってくるものに限られてきた。
そんな中で、しかし、何より衝撃的な出会いがあった。それは、パンデミックの主人公、ウイルスという存在との出会いだ。新たに、微小なものの巨大な世界がぼくたちの前に姿を現したのだ。いや、「新たに」というのはぼくたちにとって新しかったというだけで、ウイルスの方は生命の歴史と同じくらい古くから存在していたし、水中にも空中にも土中にも無数に存在している。海の魚のように、ぼくたちはウイルスの”海”の中を泳いでいるようなものだ。だから、その出会いは、まるで、生き別れになっていた家族や親戚に巡りあったというようなものだ。あるいは、生まれてきた赤ん坊の、自分を産んだ母親との出会いのようなものだ。
下に紹介するナショナル・ジオグラフィックの特集記事にもあるように、「ヒト内在性レトロウイルスは、ヒトゲノムの約8%を占めている」のだから、私たちの遺伝子は“私たち”だけの遺伝子だけではなく、レトロウイルスの遺伝子でもあるのだ。そう考えれば、もう、どこからどこまでがで「私」で、どこから先がウイルスか、は判然としない。
どうやら、この一年でぼくたちが本当の意味で出会ったのは新型コロナウイルスとではない。ウイルスそのものとではなく、ウイルスと私たちとの「あいだ」に出会ったのだ。
以下、二つの記事を紹介する。最初のは前述の記事から、冒頭と末尾の一節だけを抜粋したもの。興味のある方は、雑誌のバックナンバーを手に入れて全文を読んでほしい。
私たちはウイルスの世界に生きている
デビッド・クアメン
(ナショナル・ジオグラフィック 2021年2月号)
魔法の杖を一振りすると、ポリオ(勝利麻痺)のウィルスが消え、多くの人を死に至らしめるエボラウィルスが消え、麻疹(はしか)やおたふく風邪、インフルエンザのウイルスも消える。おかげで人の苦痛癒しは大幅に減る。HIV (1免疫不全ウイルス)も消えて、エイズ禍は二度と起きなくなる。水疱瘡や肝炎、帯状疱疹で苦しむ人はいなくなり、ただの風邪さえなくなる。2003年にSARS(重症急性呼吸器症候群)の流行を引き起こしたSARSコロナウィルスも消える。そしてもちろん、狡猾で極めて感染性の高い新型コロナウィルス(SARS-CoV-2)も消える。そうすれば、少しは気が楽になるだろうか。いや、話がそれほど単純ではない。
実のところ、私たちはウイルスの世界に生きている。ウイルスは人智を超えるほど多様で、その数も計り知れないほど膨大だ。哺乳類が保有するウイルスは少なくとも32万種に及ぶと推測されている。数の多さ以上に、その影響も大きい。ウイルスの多くは、人間も含め地球上の生物に害を及ぼすのではなく、様々な恩恵をもたらし、環境への適応を助けてきた。
ウイルスなしには人類は生存できなかった。例えば、人や他の霊長類のゲノム(全遺伝情報)に含まれるウイルス由来のDNA断片なしには、妊娠が成り立たない。陸生動物の遺伝子に含まれるウイルス由来の別のDNA断片は、記憶にとって重要な役割を果たしている。他にも、胚の成長を助ける、免疫系の働きを調整する、がんに抵抗するなど、様々な役目を担うウイルス由来の遺伝子が見つかっている。こうした重要な働きは解明され始めたばかりだ。わかってきたのは、ウイルスが生物進化に不可欠な役割を果たしてきたこと。先ほど想像したように、すべてのウイルスが消えたら、地球上の豊かな生物多様性も幻のように消えてしまう。
・・・・・・(中略)・・・・・
新型コロナウイルスの正体
進化におけるウイルスのこうした“身軽さ”にはマイナス面もある。それは、ウイルスが時々宿主を変えて、これまでとは異なる種に感染することだ。この現象は「スピルオーバー」と呼ばれ、ヒトの新興感染症の大半はこのようにして起きる。ヒト以外の動物に寄生していたウイルスが、ヒトに感染して暴れだすのだ。
もともとの宿主の体内では、ウイルスは何千年もの間、あまり数を増やさず、おとなしくしていたのかもしれない。長い間宿主との間に“暗黙の契約”ができて、悪さをしない代わりに、安住させてもらえることになったのだろう。だがヒトなど新しい宿主に寄生すると、古い契約が通用するとは限らない。ウイルスは大量に増殖し、最初の犠牲者に不快感や苦痛をもたらすかもしれない。増殖するだけでなく、人から人へと感染するようになれば、アウトブレイク(集団発生)が起きる。一つの地域や国に広がれば、それはエピデミック(地域的な流行)と呼ばれ、世界中に広がればパンデミック(世界的な大流行)となる。これは、今まさに新型コロナウイルスが引き起こしている現象だ。
ウイルスとの「戦争」というメタファーについて
ウイルス学者・山内一也へのインタビュー
(朝日新聞2021年2月19日)
――この1年、新型コロナウイルスへの対応は「戦争」によくたとえられてきました。
「私には、ウイルスを『敵』ととらえる考え方がしっくりきません。ウイルスが地球上に出現したのは、30億年前と考えられています。一方、ホモサピエンスはたかだか20万年前。人間は、ウイルスが存在していた世界に現れた新参者です。ウイルスを根絶できるという考えは、あまりに人間本位だと感じます。実際、人間がこれまで根絶できたウイルスは、天然痘と家畜の伝染病の牛疫だけです」
――ウイルスは、人体に害を及ぼす病原体なのでは?
記事後半では、コロナ禍について「日本はもっと戦争ととらえた方がいい」と主張する戦争研究者にも聞きました。
「実はウイルスはとても多様です。陸上だけでなく海洋にも膨大な数が生息し、人間に感染して病気を引き起こすものはごく一部です。近年、私たちの体内で健康維持を助けるウイルスの存在も明らかになってきました。腸内細菌のバランスを整えたり、胎児を守ったり。人間はウイルスと直接、間接的に関わることで存続してきたのです。ウイルス一つ一つは光学顕微鏡でも見えない小ささですが、太古から生命や地球環境に果たしてきた役割を考えると、人間の方がもっと小さな存在と考えてもいいかもしれません」
――でも、新型コロナの現実的な脅威を考えれば、戦う姿勢は当然だ、とも言えませんか。
「人間社会におけるこれまでの振る舞いを見れば、新型コロナが社会から消滅することは恐らくないと思います。人間はウイルスの根絶よりも共生を考えるべきでしょう。たとえば、天然痘ウイルスはほとんど変異しないため、1種類のワクチンだけで封じ込めることができた。なにより人と人の間でしか感染しない。必ず発病するため、最後の一人の感染者まで徹底的に追跡できました。『不器用なウイルス』だったからこそ根絶できたといえます」
――新型コロナは「不器用」ではないのですか。
「新型コロナをはじめとするコロナウイルスは、とても『器用』です。人間の病原体となるコロナウイルスは数種見つかっていますが、変異し、極めて軽い症状の場合も多いため水面下で感染を広げます。すでに4種が一般的な風邪の原因ウイルスとして定着しています」
「さらに重要なのは、様々な動物に感染できる点です。SARSのように人間社会から除外できたと考えられていても、いつ他の動物に潜むウイルスが表出してくるか分からない。コロナウイルスの最大の生存戦略は、1万年前にコウモリを宿主に選んだことだと私は考えています」
――どういうことですか。
「コウモリは、空を飛ぶ唯一の哺乳類です。洞窟などに群れで『密』に暮らし、1日の飛行距離が数百キロに及ぶこともある。コロナウイルスはコウモリと共存したことで、非常に効率よく他の哺乳類へ生息範囲を広げました。考えてみれば人間は現在、コウモリ以上にグローバルを移動する空飛ぶ哺乳類になった。新型コロナの感染が急拡大したのも当然と言えます」
――でも共生するには人体への被害が大きすぎるのでは?
「ウイルスは長いスパンでは次第に弱毒化し、宿主も免疫を獲得して共存する方向に進みます。それまで人間は、ウイルスが人体に引き起こす『病気』に対峙(たいじ)しなくてはならない。ウイルス自身は増殖が唯一の目的ですが、人間の細胞内でコピーを仕立てる際に細胞の機能が奪われ、感染した細胞は人体の免疫により破壊される。これがウイルスの起こす『病気』です。ここを制御する直接的な手段はワクチンと抗ウイルス剤です」
――国内で始まったワクチン接種に期待が高まっています。
「人間の体内では、細胞をハイジャックして自分のコピーを増やしたいウイルスと、それを防ごうとする免疫系がせめぎ合っている。人体で起きているこちらの方は『戦争』のメタファーに近いかもしれません。ワクチンや抗ウイルス剤はさながら『兵器』に当たりますが、新型コロナのワクチンの効果実証や抗ウイルス剤の開発には、まだ時間がかかると思います」
――人類はどう対応していけばいいのでしょうか。
「これほどのスピードを持つ世界規模のパンデミックは、人類初の経験です。1年前、私はとても心配しましたが、日本では3密やソーシャルディスタンスという言葉も駆使して感染をかなり抑えられていると見ています。ただ忘れるべきでないのは、人間の側がコロナの生息地へ飛び込んでいったという歴史です。森林伐採のために山奥へ入ったり、野生動物を売り買いしたり、感染を引き起こしやすい環境をつくったのは現代社会なのです」
「私はこれまでに天然痘や牛疫のウイルス根絶に関わりました。コロナウイルスの病原性が強くないことはマウスや家畜の研究で分かっていたので、この弱いウイルスが社会や経済に与えた全世界的な影響には驚きました。新型コロナは、現代社会がいかにもろいかを示したと思います。私たちが戦うべきは、ウイルスではなく我々の社会自体の問題ではないでしょうか。コロナ対策に『戦争』のメタファーを安易に使うことは、この真の課題を見えにくくするように思います」(聞き手・藤田さつき)
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山内一也:1931年生まれ。ウイルス学の権威。「ウイルスと地球生命」「ウイルスの意味論」など著書多数。昨年は「ウイルスの世紀」「ウイルスと人間」を著した。
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