サティシュ・クマールの最新本『エレガント・シンプリシティ』から、
フツーに過ごしている私でも出来そうなパーツをひも解いてみようと思う。
今回の一文はこちら。
「私たちの人生が複雑になるのは、『善/悪』『苦痛/快楽』『得る/失う』といった二元論にとらわれるときです。いっぽう、いちばんシンプルなのは、平静なこころを育てること、そして、対立していたはずの二項が一緒に踊る、その踊りに加わることです。」
この一文を読んで、一日の自分の思考を振り返ってみると、
約9割が二元論だったことに気が付いた。
そう、思考のほとんどが二元論にとらわれていたんだ。
例えば、「ワクチンを接種していません」と言うことで、
周囲の人を大切にしていない=悪いヤツと思われるのではないか。
ワクチンをうっている人が善い人で、
うっていない人は悪いヤツと判断される(のではないか?と思う)ことで、
居心地が悪くなっていた。
もし、「対立していたはずの二項が一緒に踊る」ことで、
この居心地の悪さと二元論から解放されるのなら、すぐに試してみたい。
けど、一緒に踊るってどういうことだろう?
善と悪が一緒に踊る…。
一緒に踊るということは、
同じステージで、
同じ音楽で、
同じリズム感で踊る。
心を解き放って、音楽に身を任せたら
心地よく踊れそうだ。
あ~そうか、
感覚や感情が解き放たれていると
心地よいのか。
ワクチンをうつ人もうたない人も、感情の根底に“不安”があるのだとしたら、
互いの感情を解き放つステージが必要だ。
なのに、互いの“不安”を共有する場面をつくっていなかった。
“不安”を解消するための手段にばかりフォーカスして、手段の違いばかりを気にしていた。
選択肢が違っただけなのに。
シンプルに感覚や感情にフォーカスすると、お互いが大切にしている根底につながれる。
手段は違っても、共感し合える気がする。
そして、共感し続ければ、手段も変わるかもしれない。
「一緒に踊る」とは、感覚や感情を共感し合うこと。
それならフツーの私にもできそうだ。
Коментарі