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執筆者の写真辻信一

愛の人、サティシュ・クマールの『ラディカル・ラブ』




サティシュは次の訪問先インドへ向かって、元気に、満ち足りた笑みを浮かべながら、日本を発った。『ラディカル・ラブ』ツアーは終わった。この旅にずっと同行し、講演、その他の通訳を務めさせていただいた。ぼくは今、ふとサティシュがもう近くにいないことに呆然としたりする一方で、心地よい疲労感と深い満足感に浸されている。この経験から生まれた新たな学びについては、これからゆっくり、自分の中で整理し、また折りを見て書いていきたい。


もう、読まれた方もいると思うが、まだの方はぜひ『ラディカル・ラブ』を読んでいただきたい。「愛」というだけで気が引ける人も少なくないだろう。しかし、勇気をもって一歩踏み出してほしい。世界を覆う危機への答えは、サティシュが言うように、ただひとつ、「愛」なのだと、ぼくも信じられるようになった。


「答えは愛です。ところであなたの問いは何でしたっけ?」 サティシュ・クマール


 

『ラディカル・ラブ』に寄せた、「訳者によるあとがき」を、発行者=編集者の上野宗則さんのご了解の下、掲載させていただく。

 



『ラディカル・ラブ』

訳者によるあとがき 愛の人、サティシュ・クマール

辻 信一

 

 サティシュが“愛の人”だということは、彼の姿を一目見ただけでわかる。鈍感なぼくでさえ、二十五年前、彼との初対面でその笑顔の中の二つの大きな目の輝きに出会ったとき、自分のうちの何かが動くのを感じたものだ。

 以来、それまでぼくの語彙の中になかった愛という言葉は次第にぼくのうちに着地し、根を張るようになった。

 ぼくが初めてサティシュに会った同じ日、サティシュは若者たちを前に質問に答えていた。最前列にいた大学生風の若い女性二人がこう聞いた。

「あなたが若いときにやったように、私たちも平和のメッセージをもってお金をもたずに世界を歩きたい。でもあなたと違って女性である私たちに、それはできるでしょうか」

サティシュはしばし沈黙した。会場は静まりかえっていた。やがてサティシュは(たぶん、いつものように小さな咳払いをしてから)、やさしい声で、しかしキッパリと言った。

「できるとも。君たちにはきっとできる」

二人の若者たちはうれしさのあまり、弾けるように笑ってから決然と言った。

「私たちは行きます。ありがとう、サティシュ」

 それだけだった。三人のあいだにあっという間に成立した深い信頼の絆を目の当たりにして、ぼくは(そして、たぶんその場の多くの人も)唖然としていた。

 あれから二十五年、サティシュは、その全身からほとばしるような愛の“哲学”によって、ぼくを魅了し、心地よく揺さぶり続けてきた。人生に刻まれたその軌跡を辿るようにして、ぼくは本書を訳してきた。

 

 ちょうど一年前、ぼくはイギリス西部の小さな村に住むサティシュと、その伴侶ジューンを訪ねていた。膝の大手術を経て、また歩き始めばかりのサティシュはもう、料理や食器洗いを以前と同様にこなしていた。主にジューンが手がけている菜園には野菜が溢れ、十五本のリンゴの木はたわわに実っていた。この場所にいれば、「ジューンに出会って以来、私は毎日恋に落ちている」というサティシュの言葉に何の誇張もないことがわかる。そこでは、恋も愛も、単に二人の個人の関係性を指す言葉ではない。

「恋に落ちるのは一日だけの特別な出来事ではありません。恋は日常の出来事です。時々愛するのではない。いつも愛しているのです。休みなく、ずっと。目覚めた瞬間、私たちはお互い同士を、そして人生そのものを、愛の中に見出します」(1章1節、37頁)

 父の死をきっかけに、死からの自由を求めてジャイナ教の修行僧となったサティシュは、十八歳のとき、僧団から逃げ出して還俗する。葛藤の中で死を望むようにさえなっていた彼は、ある夜、夢に現れたマハトマ・ガンディーがこう言うのを聞く。

「解脱を見出すために、世界を見捨てる必要はないんだよ」

 翌朝、困惑した心を鎮めようと歩き回ったサティシュは、やがて自分の内奥から湧き起こる声を聞く。


「世界を受けいれたい、そして世界を愛したい。植物を植え、花を咲かせたい。人がつくった食べものを乞うかわりに、自分で育て、料理したい。この腕で美しい女性を抱きしめ、その唇にこの唇で触れたい……」(『エレガント・シンプリシティ』第1章)


その瞬間、彼は生そのものに恋してしまったのだ。生を、そして世界を愛することが彼の人生の使命となる。それ以後の彼の七〇年は愛の軌跡だ。新しい師、ビノーバ・バーベのもとで「土地寄進(ランド・ギフト)」運動に取り組んだのも、平和巡礼で二年半世界を歩いたのも、E.F.シューマッハーの求めに応じて『リサージェンス』誌の編集を引き受けたのも、イギリスに定住を決意しジューンと家庭を築いたのも、村の子どもたちのための中学校「スモール・スクール」をつくったのも、ホリスティック科学による科学と愛の融合を目指す大学院大学「シューマッハー・カレッジ」を創設したのも……。

 ある時、シューマッハー・カレッジのあるダーティントンの広大な庭を案内してくれていたサティシュが、一本の巨木の下に連れていってくれた。その広い幹に手を広げ、体を預けてから、ぼくの方に向き直った彼は、自分の恋人を紹介するかのように、ちょっと照れて、でも誇らしそうに、言った。「これは二千歳のイチイの木、私のキリストだよ」と。ある時、シューマッハー・カレッジのあるダーティントンの広大な庭を案内してくれていたサティシュが、一本の巨木の下に連れていってくれた。その広い幹に手を広げ、体を預けてから、ぼくの方に向き直った彼は、自分の恋人を紹介するかのように、ちょっと照れて、でも誇らしそうに、言った。「これは二千歳のイチイの木、私のキリストだよ」と。

 

 さて、愛という言葉で、あなたは何をイメージし、どんなことを連想するだろう。それがどんなものであれ、本書は、おそらく、そのイメージを、連想を、揺さぶるだろう。あなたがその揺さぶりにたじろぐことなく、むしろ心地よさを覚えてくれたらうれしいのだが。

 たしかに、愛は愛でも、サティシュのいう愛は決して、イージーで、生やさしく、甘ったるいものではない。「愛のモンスーン」という彼の表現にあるように、それは時に強烈で、激しい。そう、表題になっている「ラディカル」とはそういうことなのだ。

 思えば、「ラディカル」というのは不遇な言葉だ。政治の世界で「ラディカル」といえば過激、急進的などを意味することが多い。日本語で「ラジカル」というときも、かつては極左の学生運動や暴力的な方法による革命運動を指す形容詞として使われたし、今でも、極端で、性急で、激しくて、普通の人にはついていけない、というイメージが強いだろう。

 だが、もともと「ラディカル」の「ラディ」は、「ラディッシュ」の「ラディ」と同様、「根っこ」を意味するラテン語に由来する。だから、「ラディカル」は、物事をその源に立ちかえって考えてみる、という態度を表し、それは日本語で「根源的」や「根本的」という言葉にあたる。これらの言葉が「根」という言葉を含んでいるのは偶然ではない。例えば、どういう政治がいいのか、どういう経済がいいのか、これからの社会はどうあるべきかなどと考えるときに、表面的な観察や手直しにとどまらず、一度、社会が成り立っている基盤へと降り立って、いわば、その根っこから見直すという「ラディカル」な態度が必要になるときがあるはずだ。

 では、なぜサティシュは、愛は愛でも、「ラディカルな愛」と言わなければならなかったのだろう。それは、本来の意味での愛が、現代世界に生きるますます多くの人々にとって困難になってきているからではないだろうか。では、愛が困難になるとは、どんな状況なのだろう。いくつか挙げてみよう。

 愛が周囲から切り離されて、ますます個人的なものになり、その小さな私的世界の外に生起する社会的な事柄や、自然界のありようから切り離され、孤立する状況。

 愛と、人々にとってかけがえのない他の価値−−民主主義、自由、公正など−−とが、別のこととして、異なる次元でしか語れない状況。

 経済的な価値が日常生活へと浸透することによって、お金からは自由だったはずの愛の聖域が蝕まれ、どんどん市場へと引き出されている状況。

 ハートマークがS N Sやポップ・ソングから溢れ出て、社会にLOVEの洪水を引き起こしている一方で、ますます多くの人々が、自分とは無縁のものとして愛を諦め、孤独感と孤立感に苦しんでいる状況。

 故郷であるはずの自然と地域から人間が切り離され、自然は単なる資源となり、地域は都市のための資源供給地へと落ちぶれてしまった状況。

 そうした愛をめぐる危機の意味を根本的に理解しようとすれば、ぼくたちはそれが気候変動、生物多様性の喪失、経済格差の拡大、民主主義の劣化といった一連の危機と根っこのところでつながっていることに気づかずにはいられない。

 

 サティシュの愛は限りなくやさしい。しかし、それは同時に激しくラディカルだ。愛とは見て見ぬふりをすることではない。対立を恐れて曖昧にことをおさめようとすることではない。ロマンチックな恋愛や性愛について楽しげに語るサティシュは、その一方で、戦争にN O、環境破壊にN O、原発にN O、と、キッパリと言い続けてきた。時には検挙されることをも厭わず行動する。そしてそれこそが愛だ、と彼は信じている。

 人間をこよなく愛するサティシュの愛は、同時に、人間中心の偏狭な世界を超越している。人権にとどまらず、動植物の権利も、川や森や海など、自然の権利も侵害されてはならない、と彼は主張する。


「人間も自然です。空を飛ぶ鳥と同じように、私たちの誰もが自然なのです。私たちはみな、土、空気、火、水でできている。だから、自然を愛するとは、生きものばかりではなく、万物を愛することなのです」(日本語版への序章、18頁)


引力と愛とは、同じ現実の二つの側面だと、サティシュは言い切る。


「引力は物の世界を支え、愛は物の世界に意味を与える。結局のところ、愛なしには、何もありえないのです」(はじめに、10頁)


去年の秋、ぼくがサティシュとジューンの家に滞在していたとき、一冊の本が書斎のソファの横にずっと置かれていた。まるで、手にとって開くよう、誘いかけているかのように。『スウィートグラスを編む 先住民の智恵・科学的知識・植物の教え』(日本語版『植物と叡智の守り人』)。会話の中で度々その本に触れるところを見ても、今の二人にとってこれが大切な本であることは明らかだった。著者はアメリカ先住民の女性植物学者ロビン・ウォール・キマラー。「世界への愛の賛美歌」。それは表紙に載っている、ある推薦者による絶賛の言葉だ。

 この本にインスピレーションを受けた人々による新しいムーブメントが世界各地で始まっている。キーワードは「キン・セントリック」。ある本に寄せた序文の中で、キマラーは、いのちを与えてくれる地球が苦しんでいることに人々がなぜこうも無関心でいられるのか、という問いをたてて、その根本的な理由として人間中心(アントロポ・セントリック)の世界観だと答える。そして今、それに代わるものとして「求められているのは、つながり中心(キン・セントリック)の世界観への転換だ、と。

 キマラーの美しい文章が伝えてくれるのは、個の壁を超え、人間という壁をさえ超えるつながりから世界を捉える新しい物語(科学的世界観)と、古い物語(生きとし生けるものを親族=キンとして捉える先住民の古代的世界観)との融合だ。そしてその言葉はサティシュが「リサージェンス」誌やシューマッハー・カレッジを通じて発信し続けてきたホリスティック科学の思想と共鳴している。そこでは、神聖さと科学が、スピリチュアリティと科学が、愛と科学が、見事に調和する。サティシュは言う。


「私たちにとって、革命とは愛の革命です。愛は論理的、でも同時に魔術的。愛を体現する地球は私たちの先生です。その先生から私たちは愛のアートを学びます。私たちへの地球の愛は完璧。だから、私たちもそれに応えて、もっと地球を愛せるようになりましょう」(3章21節、185頁)

 

 本書を訳し終わった今、ぼくは、今までに経験したことのない、一種不思議な爽快感に浸っている。愛について論じるこの本を訳すことに当初感じた戸惑いのようなものはとうに吹き飛んでいる。気候危機が人類の未来を危うくしているこの時代に、民主主義が崩れ落ちる予感に満ちたこの時代に、ウクライナで、パレスチナで憎しみが沸騰している今、「愛」とはまたあまりにも楽観的な“答え”なのではないか……、といった疑いもすっかり晴れた。そもそも明治以降に訳語として日本語に移入され、日常語としていまだに馴染んでいない「愛」という言葉に、日本人読者は本書の最後まで、辛抱強く付き合ってくれるのだろうか、という不安も今はもう解消した。半世紀も前とはいえ、暴力的な反戦活動家という過去をもつぼくに、「愛と非暴力と非戦とは同義だ」というサティシュのメッセージを、あのシンプルで明るい声の響きとともに伝えることができるだろうかという心配もいつの間にか消えている。

 それもそのはず。ぼくには、「できるとも。君にはきっとできる」というあのサティシュの魔法のような声と微笑みがついている。サティシュを非現実的な理想主義者と批判する人もいるだろう。サティシュはそれにほがらかに応える。理想主義者と呼ばれてもかまわない、と。そしてこう続ける。


「現実主義者はあまりにも長い間、世界を支配し、混乱させてきました。今こそ、私たち理想主義者にチャンスを与えるべきです」(3章21節、189頁)


すべてのよき思考、言葉、行動には愛の糸が貫いている」という、サティシュの師、ビノーバ・バーべの言葉(4頁)を、そして「地球のために、そこに住む人々のために私たちがすることは、みな愛の行為なのです」((3章21節、189頁)というサティシュの言葉を、今のぼくは信じることができる。

 この世界に悲しみは尽きない。世の中は絶望へとぼくたちを誘う出来事に満ちている。問いは限りなく湧き起こる。しかし、だ。サティシュが言うように、問いが何であるかに関わりなく、答えは「愛」なのだ。

 モンスーンの雨のように降り注ぐサティシュの愛の言葉を浴びるのを楽しんでいただきたい。そうすればきっと、再び、あなたの内なる愛と世界の愛が共鳴し始め、そこにこれまで知らなかったラディカルな自分が立ち現れるだろう。そのために、本書がお役に立てるのならこんなにうれしいことはない。

 

二〇二四年秋 下関、ゆっくり小学校農場にて    辻 信一

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