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執筆者の写真信一 辻

「希望のキャラバン」、みなさん、ありがとう



これは、昨日、「希望のキャラバン」をともに実現してくれた各地の友人たち、仲間たちに送ったお礼状だ。 



ダムに抵抗する村人たちの拠点、石木川ミュージアム(長崎県川棚町)

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辻信一です。


皆さん、この度は、「希望のキャラバン」にさまざまな形でご参画、ご協力くださり、ありがとうございました。5月21日に来日したアンニャ、パチャ、ヤニのライト一家三人は、千葉県の御宿やいすみから、本州、四国、九州各地を巡り、無事に関東に帰還しました。ぼくは三人が辿った行程の約半分ほどを同行させてもらいました。6月28日の新横浜スペース・オルタでのライブ・イベントをもって、キャラバンは盛況のうちに幕を閉じましたが、三人は現在、キャラバンの番外編とでもいうべき北海道での出会いと学びの旅を愉しんでいます。

 

改めて、われわれ一行を、そして同行のタネ(シェア・シード)の箱をあたたかく迎えてくださった各地の皆さんに感謝いたします。スペース・オルタの舞台で、アンニャは言いました。「皆さんがここにこうして集っていることこそが希望なのです」と。そして、「希望とは選びとるもの」だ、と。アンニャ同様、ぼくも行く先々で、皆さんが胸を張って希望を選びとっている様子に心を打たれたのです。また、パチャとヤニは各地のイベントの度にこう言っていました。「大学に行ったことのない私たちだけど、この数週間は、大学に行くほどの、いやきっと、大学よりもずっと深い学びとなった」と。


学び多い旅というのは、ぼくにとっても言えるのです。歳のせいもあるんでしょうけど、ガンディーの言葉、「明日死ぬかのように生き、永遠に生きるかのように学ぶ」がだんだんわかるようになってきた気がするのです。学び続け、よりよく知り、理解し、世界をよりよい場所にしていくように努める。それが終わりのないプロセスであるということを、今回、実感させていただきました。

 

ローカルとリジェネラティブという二つのキーワードを携えてキャラバンは進みました。ぼくたちが訪ねた小さなコミュニティや村や町の一つひとつにそのローカルとリジェネラティブが詰まっているのでした。

 

土がほとんど見えなければ、水や食べものや着るものが、どこからどのようにここにやってきたのかもわからない大都会では、「自(おのず)から再生する(リジェネラティブ」という「自然」本来の意味を実感することは容易ではありません。土や水やタネという生存の基盤である“コモン”を、そして衣食住という生活の基本を、現代版の“囲い込み(エンクロージャー)”によって、グローバル大企業の手に集め、そこに世界中の人々を依存させようというグローバル・システムの本性を見抜くことも、ますます難しくなってきているようです。だからこそ、そのグローバルな囲い込みの柵をくぐり抜けて、その外側のローカルへと出ていくことが、そしてそこにまだ息づいているリジェネラティブな自然と文化を再発見することがぼくたち一人ひとりにとってますます大切になってきているのでしょう。

 

伝統野菜の種採り農家、その農家からローカル経済と平和について学ぶ学校の先生たちと子どもたち、誕生と死を医療システムから取り戻すべく自然出産や自宅出産に取り組む母親たちや助産師たち、アースバッグやストローベイルなど地域の自然素材を軸に、もう一度「住まう」ことを身近なものにしようとする若者たち、竹炭づくりによって大地に炭素を戻そうとする人々、オーガニック給食と生物多様性の回復を同時に実現しつつある町、伝統的な染織を再生して新しい「着る」文化をつくり出そうとするアーティストたち、廃棄物の再利用をローカル経済の環のなかに取り入れたコミュニティ、一部の業者の利益のためだけに、平和で自然豊かな故郷を破壊する無意味なダムに抵抗し続ける村人たち・・・。こうして挙げていけばきりがありません。

 

皆さん一人ひとりの「希望のキャラバン」はもう始まっているのです。ぼくたちが西日本を巡った今回の「希望のキャラバン」は、そのほんの一部でも可視化し、日本に、そして海外に発信してゆくための一歩だったと思っていただけたら幸いです。

 

これからも、アンニャ一家と共に、皆さんの活動に注目し、連帯していくつもりです。これからも、どうぞよろしくお願いします。

 

2024年7月1日 辻信一







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