詩人・谷川俊太郎さんの作品に「クレーの天使」という詩集があります。スイスの画家パウル・クレーの描いた天使の絵とともに詩が掲載された一冊です。久しぶりに読みかえしたらどきりとするような言葉が待っていました。
「まにあうまだまにあう
とおもっているうちに
まにあわなくなった」
(「泣いている天使」)
「してはいけないことをして
しなければいけないことをして
したいこともすこしはした
(だろうか?)」
(「未熟な天使」)
最初に読んでから10年以上経つと、同じ作品でも違った印象を受けたり、重みが変わったり。相変わらず、「しなければいけないこと」に没頭して、「まにあう」と思っていたのについに永遠に間に合わなくなったこともあります。
着実に減っていく人生の残り時間を費やし、嫌々であってもがんばって「しなければいけないこと」をする。「したいこと」は後回し……なんだか満たされない我慢比べの先に、果たして幸せはあるのか。かといって自分の「したいこと」もよくわからない。
「したいこと」が明確ではないだけに、もやもやが募りました。
幸いにも仕事を辞めたばかりで、もやもやして迷う時間はありました(寄り道、回り道にこそ、学びや変化の種は多いもの)。もやもやと向き合うことを「したい」と思い、やってみたというわけです。
人と話す中で、自分の中の「したい」に気づいたら、できる限りやってみるとよさそうだ、ということがわかりました。耳がかゆいといった日常の些細なことから、あの講座を受けてみたいという少し大きなことまで、できることはすぐやってみる。その時すぐにはできなくても、「したい」に近づくために今できることをとりあえずやってみる。それを繰り返すうちに、冷静に考えれば問題ないことでも『今、こんなことやっていていいのか』と自分にストップをかけている場合もあったと気づきました。
「したいこと」をゆっくり育てる中で、上手くいくときもあれば上手くいかないときもあります。上手くいかなくてもそこから学ぶことがあれば、失敗とは思いません。
自分の気持ちを大事にして「したいこと」に向かっていくのは、お金に換算できるわけでも、見た目にもわからないものです。でも、自分の中では変化している実感を得ています。自分で納得する、手ごたえを得る、それも「したいこと」の1つだったのかもしれません。自分で納得できる生き方をしたい、と思います。
出典:「クレーの天使」(講談社刊) 絵=パウル・クレー 文=谷川俊太郎
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