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『自然農という生きかた』まもなく刊行

川口由一さんが亡くなって2ヶ月余、この数年絶版になっていた『自然農という生き方』(2011年大月書店刊行) の改訂増補版『自然農という生きかた』(ゆっくり堂)を来月11日に刊行すべく、その最終原稿を数日前に、無事入稿した。


そこに「あとがき」として載るはずの拙稿の一部を、来るべき本の予告編として読んでいただこう。




 

あとがき


本書は、二〇一一年に出版された『自然農という生き方 いのちの道をたんたんと』(大月書店)の再刊である。それは、二〇〇八年に始まった「ゆっくりノートブック」という全八冊からなる叢書の第八冊目、締めくくりとなる一冊だった。この叢書では、毎回、新しい時代の扉を開く鍵となると思われる人物からじっくりと話をうかがった。その最終巻に川口さんに登場していただけたのは、改めて、幸いなことだったと思う。


それから十年あまりの月日が経ち、何度かの増刷を重ねた末に、経営上の判断から出版社が増刷を断念していた『自然農という生き方』を、ぼくはぜひ再刊して、もう一度世に送り出したいと思った。それはまず、人類の生存自体を脅かす気候危機が深まり、その主要な原因の一つである農業と、それを取り巻く食のグローバルシステムのあり方にしっかりと目を向け直すことが問われている今こそ、もう一度、川口さんの視点から農という営みそのものを見つめることが大切だ、と考えたからだ。


また、世界各地で近年、農業を抜本的に見直す機運は急速に高まっているなかで、川口自然農との出会いを必要とする新しい読者にこの本を届けたいと思った。特に、気候問題への対策としても世界中で注目されてきた、リジェネラティブ(大地再生)農業の潮流を日本に紹介する活動に参加しているぼくは、この流れのなかで川口さんの言葉が新しい光を放つことを期待したのだ。


ここで少し説明が必要だろう。リジェネラティブ農業と言えば、不耕起やカバークロップをはじめとする一連のテクニックからなる新手の農法だと思う人が多い。しかし、「リジェネラティブ(大地再生)」とは、農業のやり方の変更にとどまらない、世界観や生き方そのものの根本的な転換を促す言葉なのだ。


「再び」を意味する「リ」と、「生む」を意味する「ジェネ」からなるリジェネラティブという言葉は、「おのずから再生する」自然界の営みを表現している。それは、「おのずから然しからしむる大地の営みに寄り添う自然農」という川口さんの言葉と共鳴する。


何億年という時間をかけて生物は、岩石や大気や水との関わりのなかから土壌をつくりあげてきた。その結果、一握りの健康な土のなかに地球上で最も豊かで複雑な生態系があるというまでになった。多くの神話が教えてくれるように、土こそが生命を生み出す母なのだ。ところが人間にとっても何より神聖であるはずの大地を急速に破壊し、衰弱させてきたのが、この百年そこそこの農業の近代化であり、「緑の革命」に代表される工業的で、化学的な農業、そしてそれを背後から支える食のグローバル・システムの普及だった。土壌の劣化は生産者や消費者に多くの苦難を強い、土壌風化、土砂崩れ、洪水、病虫害の発生などの災害を引き起こしてきたが、そればかりではなかった。今では、農地から大気へと放出された二酸化炭素などの温室効果ガスが、気候変動の主要な原因の一つであったと考えられている。


世界中でいま、土壌の健全性の低下を逆転させ、土地を回復させ、大気中の炭素を土中へと引き戻すことで、農業経営を安定させ、より健全な食料を生産できるような農業を採用する農家や牧場が急激に増えている。その合言葉になっているのがリジェラティブ(大地再生)なのである。そこには、深い気づきが感じとれる。生命世界の衰弱が地球温暖化や気候変動の根本原因だとすれば、それを解決するためには、いのちの世界が衰弱から回復し、生き生きと再生する以外にはない、という気づきである。農業に直接携わっているかどうかに関わらず、誰もがすべきこと、そしてできることは、その大地の再生を応援し、祝福することだろう。


昨年(二〇二二年)春、日本における大地再生農業の先駆けであるメノビレッジという北海道の農場の友人たちが、リジェネラティブをめぐる世界の動向を見事にとらえたアメリカのドキュメンタリー映画を見つけて、ぼくに紹介してくれた。結局、ぼくたちはその映画の上映権を取得して、日本語字幕版を制作、『君の根は。 大地再生にかける人びと』と名づけて、昨年一〇月に全国で上映運動を開始した。


ぼくが久しぶりに川口さんを訪ねたのはその翌月だった。快晴の美しい日だった。以前より小さくなっているとはいえ、稲は実りのときを迎え、こがね色に輝いていた。若き川口さんが、放浪の末、夕日に輝く稲穂の波を見て、「ここで生きていこう」と決意したという回想のなかの一場面を思い出した。

川口さんはその日の天気のように晴れやかだった。穏やかな口調のままで発せられる現代世界への批判の厳しさは健在だったが、ぼくの目の前にいる川口さんには、後悔、未練、不安などが微塵も感じられなかった。自由で、明るく、闊達な老人を目の前にして、ぼくはしあわせな気分だった。


そこには、「自然に従い、土に従い、作物に従い、人に従い、謙虚に、誠実に・・・」と祈るように繰り返す、リジェネラティブ思想の体現者としての川口さんがいた。誰もがもっている人間としての成長の可能性を信じる性善論者の彼がいた。若い世代への期待に胸を膨らませて、「遅すぎることはない」と断言する楽観論者の彼がいた。


結局、話は四時間に及び、川口さんに別れを告げて外に出る頃には、あたりはもう真っ暗だった。ぼくのうちに「これが最期のお別れになるかもしれない」という気持ちがなかったと言えば嘘になる。川口さんも、同じように感じられていたのかもしれない。


今年(二〇二三年)六月九日、川口さんは旅立たれた。その一報は、川口さんを今からちょうど三十年前にぼくに紹介してくれた堀越由美子さんからもたらされた。そこにもただならぬご縁を感じる。三週間くらい経って、亡くなられる前日まで川口さんが原稿をチェックしていたという遺稿『傷寒論を読む』が、届いた。川口さん自身からの挨拶文が添えられていて、そこから彼の声が聞こえるようで不思議な気分だった。


こうしてそのときのインタビューの抜粋を本書に載せることができたわけだが、その原稿を川口さんに見ていただくことも、今こうして、できあがった本を手にとっていただくこともできなかった。間違いがあるかもしれないが、あの川口さんなら許してくださるにちがいない。




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