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100歳の誕生日 母とぼくの”あいだ”



今日は愛する母、臣華(みか)が生きていれば100歳の誕生日だ。(いや、死んでいてもそうだよな。)生誕100年、などといえば、母はてれて、でもまんざらでもなさそうに笑うだろう。生前、母が会ったこともあるカナダの日系人科学者デヴィッド・スズキは、移民としてカナダに渡った祖父母のルーツを辿る旅をして、人生は80年や90年ではなく、150年の厚みをもっていることを実感した、とよく言っていた。ぼくも当時のデヴィッドの歳を越えて、その実感をもつようになった。少なくとも100年の人生をぼくは、母を通して、生きてきた。その100年のどこからどこまでが母での人生で、どこから先がぼくの人生なのかは、ぼくが以前思い込んでいたほど、明確なわけではない。年表の上に、母が生まれた日、ぼくが生まれた日、母が死んだ日、というのは確かにある。でも、人生(LIFE)というものは、そんなふうにきっちりと区切られているわけではない。母の生命(LIFE)とぼくの生命とは、間違いなく別々のものでありながら、母の人生とぼくの人生は相互に乗り入れ、混ざり合うかのように、その境界(あいだ)は一本の線であるどころか、広大な領域として広がっているのだ。


いつも母の話ばかりをしているようだが、ここに書いたことは、もちろん父についても言える。父は母と同い年で、彼の生誕100年も間もなくやってくるので、彼についてはその時に考えてみようと思う。そう断った上で、やはり、こう言わねばならない。母と子との「あいだ」と、父と子との「あいだ」との、「あいだ」には深い溝があるとしか考えられない、と。(失礼、最近、「あいだ」という言葉にこだわって、というより、とらわれていて・・・)


6月なかばに出版される予定の、『「あいだ」の思想』の「はじめに」に、ぼくはこう書いた。


思想家で社会活動家の最首悟は、二〇一九年末に上梓した著書に、『こんなときだから  希望は胸に高鳴ってくる −あなたとわたし・わたしとあなたの関係への覚えがき』(くんぷる)という風変わりなタイトルをつけた。著者は、複合重症障害者の娘、星子さんとともに生きてきた四十余年という年月の中で、主体同士を隔てるはずの西洋的個人主義の壁の頼りなさと疑わしさを体験することを通じて、やがて、「あなた」と「私」の「あいだ」に注目し、両者に通底する「二者性」という概念にたどり着いた。

「星子がやってきて、四〇年経ち、二者性ということに思い至るようになった。人間は二者性を刻印されている・・・いのちはそもそも希望をはらんでいるのだということになりそうなのである」


最首によれば、生きる意味とは、囲いの中にある「私」や「あなた」という個人の中にではなく、「あなた」と「私」、「自己」と「他者」へと分離される以前の「あいだ」、自他未分で自他不可分の「いのちという場」にこそある。希望はその「あいだ」から湧きおこるというわけだ。   (『「あいだ」の思想』(高橋源一郎・辻信一、大月書店)

・・・・

そして、これはつけ加えるまでもないことだろうが、最首の二者性の原型は、出産という一つの境界をピークとする母と子の不可分なつながり、という広がりである。そう考えると、子が母の誕生日を祝うというのは、実に、意味深い儀礼だ。


母の100歳の誕生日を記念して、母が遺してくれた絵画の中から、病を得て体力が衰えた晩年に、嬉々として描いた小品をいくつか、見ていただきたい。


臣華:1921年東京生まれ。東京女子師範学校(現お茶の水女子大学)卒。水墨画の山田玉雲氏や抽象画の大成飄吉氏に師事、さまざまな伝統や手法を奔放に組み合わせた独自の画風をあみ出した。晩年は音楽からインスピレーションを得て、即興的な小品を描いた。2008年4月5日永眠。


















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