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アンニャとプナン民族、そして「森になった男」ブルーノとの出会いー『しんしんとディープ・エコロジー』から(その1)



12月9日(水)に、アジア太平洋資料センターが翻訳したDVD「ボルネオ事件ー熱帯林を破壊するダークマネー」のオンライン上映と、アンニャ・ライトのミニトークが開催されます。進行は自身も2013年はじめにサラワクを訪れたナマケモノ教授こと辻信一さん

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アンニャはナマケモノ倶楽部設立時より、代表世話人として多くのキャンペーンを共にしてきた仲間です。エクアドルで先住民の知事をはじめて輩出したコタカチ郡に名誉市民として暮らし、森林破壊や鉱山開発をとめるためのフェアトレードやお金をかけずにエコロジカルな暮らしをするアイデアを自らの暮らしを通して発信してきました。その根底には、彼女が10代のころであった国際的な森林保護運動、そして21歳で訪れたマレーシアサラワク州でのプナンの民やブルーのとの出会いがあります。


2010年5月に大月書店から刊行された『しんしんとディープ・エコロジー アンニャと森の物語』を引用しながら、今回のオンライン上映やトークのテーマである、失われゆく森林と私たちの「豊かさ」について、想いをめぐらし、私たち自身のなかに森とのつながりをよみがえらせるような時間になればと思います。


写真左:1990年はじめ:ブルーノとアンニャ・ライト(右)


 

1986年、マレーシアのペナン(Penang)島で「地球の友」という国際NGOが主催する会議が開かれることを知りました。熱帯雨林とその森林資源をめぐる危機がテーマでした。当時ペナン島は外国人の入国規制が厳しく、会議もメンバーが限定されていたんだけど、教えてくれた人に「私も行きたい」と頼みこんで、その人の妻を名乗って入ることになったのです。


4、5日間の会議に、ジョナサン・ポリット(*)、チャールズ・シークレット(*)、ジョン・シード(*)、マーティン・コア(*)など、平和運動家、環境活動家の大御所みたいな人々が集まっていた。その人たちが、世界の行方を左右するような大問題を熱心に議論する場に私は身を置くことができたわけ。そこで学んだことは、幼い頃から私が恐れていた核戦争が引き起こすだろう悲劇と、進行中の環境破壊が引き起こす未来は同じものだということでした。(略)


なかでも同じオーストラリアから来ていたジョン・シードとの出会いは決定的だった。彼がディープ・エコロジーについて話をし、歌を歌うのを聞いたのは、私にとっては「覚醒」ともいうべき体験でした。それまで学んできたことの全てがつながりあい、腑に落ちた。さっそく、彼が率いる熱帯林情報センター(RIC)(*)に参加することにしました。


もうひとつ、あのマレーシアでの国際会議で、私にとって重要なこと、それは、そこに出席していたペナン族やイバン族などマレーシア各地の先住民族との出会いで強烈な印象を受けたことです。(略)やがて、1989年、私が21歳のとき、RICの仕事でサラワクに行くことになったんです。森で1年間ほど消息を断っていたブルーノを捜しだすことが、私たちの使命でした。


ブルーノの友人で、サラワクの先住民ケラビットのアンディ・ムータン・ウルド(*)の案内で、2、3日森の中を歩いた後にやっと、静けさの中から子どもたちの笑い声が聞こえてきた。ペナンの人たちの一グループのキャンプでした。彼らを通じて、ブルーノにコンタクトを取ることができたんです。ペナンの人びとに守られて隠れるように暮らしていた。


辻:オーストラリアを発ってから、ブルーノを見つけ出すのにどのくらいかかった?


アンニャ:1週間。そして、また彼と別れて来た道を戻るのにまた1週間。


辻:この本の読者には、かつて国際的に広くその名を知られたブルーノ・マンサーのことを聞いたこともない、という人が多いと思うんです。彼がどういう人か少し説明してください。そして、実際に会ったときにアンニャがどう感じたか、を。


アンニャ:ブルーノはスイス出身の環境運動家です。私より10歳ほど年上でした。社会になかなかなじめず、学校を途中でやめ、隠棲するように、山でチーズなどをつくって暮らしていたのだけど、あるとき、本でペナン民族のことを知った。なんとかして、その人たちに会いたいと思いつづけているうちに、英国の探検隊が洞窟に棲むコウモリを調査するためにサラワクに行くというのをきいて、志願してそのメンバーとして現地入りしたんです。そして、探検隊の仕事が終わるとそのまま残って、ペナンの住む森へ入ってしまった。


辻:ペナンの人びとにすぐに受け入れられたのだろうか。


アンニャ:ペナンの人びとは相手を信用するまでは姿を現さない。会えるまでに何週間もかかったそうです。近代化された世界にあって、今なお、生命の源としっかりつながって生きている人びととともに暮らすことが彼の強い願いでした。


辻:その彼の真心がやがて通じわけだね。


アンニャ:ええ。そして結局、彼はそこで6年間暮らしました。


辻 環境運動家と言ったけど、彼は別に運動家として森に入ったわけではないですね。彼が後にヨーロッパへ戻って出版した『熱帯雨林からの声――森に生きる民族の証言』(1997、野草社、橋本雅子訳)というすばらしい本がありますが、その冒頭で、彼はこんな言い方をしている。


「人類の失われたルーツを探し求めていた私は、いまも根源的な暮らしをしている民族から直にその営みを学んでみたい、という思いをしだいに強くしていった」



アンニャ:ええ、彼はペナンの人たちとただ平和に暮らすことを願っていただけで、闘うために森に入ったわけではなかった。でも、愛するペナンの生活の森が、どんどん破壊され、ついに「自分たちの暮らしを守るために力を貸してほしい」とペナンの人々に助けを求められ、苦渋の選択をしたんです。ペナンの人びとは非常に平和的な人々で闘うということを知らない。どうしたら森を守れるのかわからない。困り果ててついに外の世界から来たブルーノに頼んだのだと思う。彼はそれに対して、インドの指導者ガンジーの非暴力抵抗という理念を紹介したそうです。それが世界に知られるようになったあの道路封鎖へとつながっていくんです。


辻:そうか、ガンジーの非暴力直接行動だったんですね。(つづく)


アンニャとプナン民族の子ども(1991年)
 

*注一覧


ジョナサン・ポリット:1950年、イギリス生まれ。環境活動家。作家。1979年より「緑の党」草創期に貢献。1984年から6年間、環境NGO「地球の友」会長。英国持続可能開発委員会委員長。Forum for the future共同創設者。メディアや国際会議での発言など世界中で活躍。『地球を救え』(岩波書店)など著書多数。


チャールズ・シークレット:イギリス生まれ。環境活動家。国の持続可能な開発委員会メンバーを務めるほか、数々のNGOやメディアに携わる。1999年英国オブザーバー紙調査で最も影響力のある人物36位にランクインした。


ジョン・シード:環境活動家。ディープエコロジスト。熱帯林情報センター(RIC)代表。パートナーのルスとともにオーストラリア、エクアドルをはじめ世界の熱帯林を守る活動に精力的に取り組む。各地を旅しながら映像とトークで問題を分かりやすく一般市民に伝える「ロードショー」という手法を日本に持ち込んだ。


マーティン・コー:エコノミスト、ジャーナリスト。マレーシア・ペナン州に本部を置くNGO「第三世界ネットワーク」(Third World Network)事務局長。また様々な国連機関の顧問をつとめ、世界貿易機構(WTO)の改革や、国際貿易や世界経済システムについて多数の著作がある


熱帯林情報センター(RIC):1979年オーストラリアで設立された環境保全NGO。地球上の熱帯林を守るための様々なプロジェクトを展開。ガンジーの非暴力直接行動、そしてディープ・エコロジー思想を取り入れたワークショップやアクションをアンニャも理事として関わっている。


地球の友(Friends of the Earth):地球規模での環境問題に取り組む国際環境NGO。世界77ヵ国に200万人のサポーターを有する。日本では1980年から活動を開始。


ぺナン族:ボルネオ島(インドネシア、マレーシア、ブルネイ領)の熱帯林を生活圏として暮らす狩猟採集民族。近年の開発と森林伐採により伝統的な生活を保持することが難しくなり、マレーシア、インドネシア政府と衝突を繰り返している。


ブルーノ・マンサー:スイス人。環境運動家。1984年から1990年にかけてマレーシア、ペナン族と共に暮らす。その後、スイスに戻りブルーノ・マンサー基金を設立。熱帯材伐採に関してペナンの視点にたった支援活動を続ける。2000年、行方不明に。


ディープ・エコロジー:1972年、ノルウェー人アルネ・ネスによって提唱された環境哲学。人間は地球の一部であり、すべての生命(いのち)は網の目のように連なっているという考え。

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