シリーズ3となる本記事では、ナマケモノ倶楽部の会員でつくっているメーリングリストで、ニコラたちのこれまでのエクアドルでの取り組みにコメントが続々と届いています。その中からいくつか紹介します。
その1「エクアドル・バイーア・デ・カラケス市とリオ・ムチャーチョ農園」はこちら。
その2「エコシティ住民のための実践ガイド」はこちら。
辻信一より:
ナマクラにとって、最良の友であり、常にインスピレーションの源だったニコラとダリオ、そしてリオ・ムチャーチョ・エコ・コミュニティ。ぼくの大学のゼミ生たちや、ナマクラツアーで行った人たちにとっても、あそこを訪ね、彼らと出会ったことは、きっと、人生の宝物になったことと思う。
幾度も大災害に会いながら、いつもそこから立ち上がり、プロジェクトを進化させていった彼ら。エコロジーを単なる技術としてではなく、思想、ライフスタイル、スピリチュアリティとして、ホリスティックに融合させてきた彼ら。
しかもそれは、”北”の裕福な国の、資金力豊富な人々の話ではない。エクアドルという国の、一地域で、国からの援助もなく、エコビレッジを実践し、見事に形にして、世界中から注目された彼らの仕事には、世界史的な意味があるとぼくは思っている。
彼らが去った後も、エコ・コミュニティのプロジェクトが仲間たちによって引き継がれるというのは本当にうれしいし、ニコラにとっては二十年来の夢だった里帰りがついに叶えられることには、心からおめでとうと言いたい。そしてニュージーランドでのこれからの彼らの活動に注目したい。引き続き、ナマケモノ倶楽部がそこにしっかりつながっていけるといい。
ぼくにとって、ニコラは憧れの人、本当に素敵な女性だった。ああいう「ECOLOGYのミューズ」みたいな人に会えたからこそ、ぼくは環境運動に絶望しないで済んだんだと思う、ほんと。過去形でごめんね。今もきっと素敵だろうな、ニコラ!
上は、ちょうど20年前の今月に、ニコラをリオ・ムチャーチョに訪ねたの写真。彼女が着ているTシャツは、近隣の町バイーア・デ・カラケスをエコ・シウダ(エコシティ)にする運動のために、ニコラたちが作ったもの。ぼくも長く着ていたっけ。
下は、やはり20年前、ニコラとダリオが中心に作ったエコ学校(小学校として自治体からも認可を受けていた)の生徒たちと校外実習で訪ねていたぼくのゼミの集合写真。
中村隆市より:
エクアドルで出会ったこと、福岡の赤村スローカフェ・クリキンディに2人で遊びに来てくれたことも思い出しました。とても誠実で、素晴しい人たちでした。彼らがエクアドルを去るのは寂しいですね。
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