top of page
執筆者の写真ナマケモノ事務局

パチャにとってのエクアドルー故郷<HOME>

ナマケモノ倶楽部が環境=文化NGOとして設立したきっかけは、南米のエクアドルとの出会いからでした。中村隆市さん、辻信一さんとともにナマケモノ倶楽部をたちあげたのがシンガーソングライターで森林保護キャンペーナーのアンニャ・ライト。


そのアンニャが2001年春に自宅出産して生まれたのが、パチャ・ルーケ=ライト。現在20歳の彼女が生まれ故郷であるエクアドルを再訪し、豊かな森と海、地球をまもる仲間や家族と出会う旅が、サーフブランドBillabong社の「HOME」プロジェクトにて6分の映像になりました。Billabong社の許可のもと、日本語字幕を添えてお届けします。

 


「ここがホーム(故郷)!

少なくても、ホームのひとつね」


私は、パチャ。キチュア語の「パチャママ:母なる地球」という言葉からきた名前です。

キチュアの文化では自然を聖なるものと崇めています。すべての生命に敬意を持ち、祝福し、守ります。私はコタカチで生まれました。エクアドルの北部にある小さな町です

「これが、私の生まれた家!」


私は自然に夢中です。自分の価値観も、信じるものも、何を大事と感じるかも全部ここから来ています。


昔の冒険をよく思い出します。深い雲霧林の中にある、あの土地を訪れたこと。ぎゅうぎゅう詰めのバスで2時間かかるんです。曲がりくねった道を行く道中、森はどんどん変化します。ラ・フロリダにつくまでずっと、標高の変化に合わせて。


雲霧林(うんむりん)は、エコツーリズムとオーガニックコーヒー農園に支えられています。ここがラ・フロリダです!カルロスの家を訪ねてみましょう。


「久しぶりだねえ」

「本当に!」


私たちはこの土地をエル・ミラグロと名付けました。奇跡、という意味です。私たちの最初の家は、木と土でできていました。サトウキビの葉を屋根にして窓も電気もない、シンプルな家。小さいときの大事な記憶です。

「これが、エル・ミラグロに続く道よ」


森を流れる川に沿ってずっと歩くと流れはいつか海につながります。エクアドルの太平洋側の海岸に出るのです。


ここは、エコシティであるバイーア・デ・カラケスの町。ここが母が父に出会った場所です

父の名はマルセロ・ルーケ。マングローブの森を保護し、再生するのが仕事です。父は、森を守り地域を作る活動家として「セロ・セコ」のマネージャーをしています。町の外れにある、乾燥熱帯林の自然保護区です。


言葉はありませんでした。家族に抱きとめられたときの気持ちは、表現できません。

おばさん、おじさん、いとこ、甥っ子、姪っ子…、なにがどうであれ受け入れてくれる無条件の愛がある場所です。


父は、祖母のゾエラに寄り添っています。祖母は、他の家族みんなを愛し支えています。彼女が焼くパンとビーチェは、町でいちばんです。


私の名付け親、ニコラ・ミアーズは人生を地球を癒すことに捧げました。夫のダリオと一緒に、リオ・ムチャーチョをはじめてパーマカルチャーと持続可能な暮らしを教えています。


これはタグアです。植物性の象牙と言えるかな。自生するヤシの種で削ったり彫ったりできるからジュエリー、ボタン、タグ、なんでも作れます。タグアは、このコミュニティが持続するのを支えています。森林伐採をすることなくね。


太平洋の沿岸にいるということは波があるということ。たくさん、たくさんの波。多くのポイントは町から離れていてラインアップにはほとんど誰もいない。ペリカン以外にはね。


ここのサーフィン文化は勢いよく育っています。そんな地域のうねりに参加できるのが嬉しかった。とくに、バイーアで、共に海を守る次世代として現地の人とつながることができて、光栄でした。もちろん、女の子たちに会えたのも最高!市長からのサポートがあったのも素晴らしいことでした。


7歳まで、ここでの経験があったこと、母に心から感謝しています。

人として生きるとはどういうことなのか、これ以上ない素晴らしい入り口を見せてくれました。


私にとって ホーム(故郷)とは、ただ家があるということじゃない。

思い出であり、人であり家族の団らん、そして、すべてを包む愛。

私たちの地球と、大切な自然を包む愛。



出演

パチャ・ルーケ=ライト(サーファー、モデル、ナマケモノ倶楽部会員)

カルロス・ソリージャ(環境運動家、DECOIN創設者)

マルセロ・ルーケ(セロ・セコ保護区マネージャー)

ニコラ・ミアーズ&ダリオ(リオ・ムチャーチョ環境学校)


字幕翻訳:小野寺 愛

閲覧数:81回

Commenti


bottom of page