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アンニャとプナン民族、「森になった男」ブルーノとの出会いー『しんしんとディープ・エコロジー』から(その3)

12月9日(水)夜にオンラインで企画する「森の民プナンと森になった男ブルーノ・マンサー」(映画「ボルネオ事件」オンライン上映会+ミニトーク)

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その1その2に続き、今日は『しんしんとディープ・エコロジー』の中から、アンニャがプナン(本書ではペナン)の人々と出会い、その森で感じたときのエピソードを紹介したいと思います。2012年にサラワクの森をアンニャ家族と一緒に訪れた辻さんからの写真とともに、ご一読ください。


僕らが訪ねたのは2012秋。すでに定住したグループの村を訪ねた。定住はしたが、男たちは今も、長期、狩猟を行い、伐採にも抵抗を続けている。ジャングルの中の仮小屋のようなものがあるのは、ああいう形で一時的に過ごし、また移動していく。辻信一

2012年秋。撮影:辻信一

 

辻:ペナンの人々との出会いは、あなたにとってどういう意味をもっていたのだろう。


アンニャ:ああいう人びとがまだこの世界に実際に生きていて、森の奥深くでシンプルで持続可能な暮らしを営んでいる。彼らの存在は、私たちの誰もがこんなふうに生きることが可能なのだという希望を示してくれているのではないかしら。

彼らはいつだって、よそ者である私たちを分けへだてなく迎え入れ、彼らのもっているもの全てを惜しげなくさし出してくれました。


辻:意思疎通はうまくできたんですか。


アンニャ:初めてペナンの人びとに会ったとき、彼らの森を守る闘いが世界にどう伝わっているかを通訳を介して説明したけれど、彼らはただ静かに聞いているだけでした。

それが、私がマレーシアの森を守ることをテーマにした歌を歌い出したとたん、表情が一変して明るくなり、愉しそうになった。それこそ、ハートが伝わったと思いました。あの経験以来、音楽でコミュニケーションしていきたい、と思うようになったの。


海も高い山も見たことがない彼らにとっては、森が世界の全て。その森についてはとても詳しい知識を持っていて、そこで取れるものを薬に使ったり、暮らしに活かしたりする術を知りつくしている。でも、彼らの世界観と私たちのそれとはあまりにもかけ離れている。仮に同じ言語を話したとしても、その大きな溝を埋めることはできないと思う。それをつないだものが音楽だった。


辻:音楽で心がつながって、魂が共鳴したんだね。その経験がアンニャを深いところで支えてきたんだと思う。(略)


もう一度、アンニャがその森で出会ったのがどんな人びとだったのか、それはどんな森だったのか、話してもらいたい。熱帯林に対して人びとは往々にして暗くて恐ろしいジャングルのイメージを抱くよね。危険なものがうようよしていて、何が起こるかわからない場所だ、と。


アンニャ:(略)ペナンの森はやっぱり特別だった。それは私の想像を超えて、温かく私を迎えてくれた。時間がワープして、私は何千年も昔の森に包みこまれている、と感じました。


ペナンの人びとはその森に完全に融合していて、外の人間から見たらどこに彼らがいるのかわからないほどです。もちろんそれは彼らが身を隠して、非暴力的な生き方をしていくために身に付けたテクニックでもあった。でも、それだけでは説明できない森との深い一体性があるような気がしたんです。


最初に会うとき、ペナンの人びとは相手の目を直接見ない。非常にシャイなんです。握手をするときもぎゅっと握らない。すごく柔らかく手を合わせてくる。そして手を組んだまま、ラタンでつくられたブレスレットを自分の腕から相手の腕へと移す。


辻:すてきな作法だね。(略)


アンニャ:ペナンは伝統的な狩猟方法として吹き矢とナイフを使ってきました。しかし、私が訪れたとき、その集団には、すでに1丁の旧式のおんぼろ銃があったんです。

あるとき、突然ものすごい銃声とともに、ペナンの男がテラオと呼ばれる鹿を仕留めた。私は大きな衝撃を受けました。こんなに平和で穏やかに暮らしている人たちと、その銃声があまりにも不釣り合いだと感じたんです。


まるで自分が撃たれたような感覚になって、思わず倒れている鹿に駆け寄り、泣きました。もう、これまでにこんなに泣いたことがないというくらい。そして、まだ温かい鹿の身体に手を置いたとき、鹿の魂が身体から離れていくのを感じたんです。その鹿の魂を私は手の中に受け止め、それを抱え込むようにして、それからの12時間を、誰ともしゃべらず、鹿の死体の傍らで過ごしました。やがて一人で森の奥へと入っていって、鹿の魂を放ち、見送りました。


辻:そのとき、周りにいた人たちはどんな反応を示した?


アンニャ:同行していたRIC(熱帯林情報センター)のメンバーが、私のそばに来て、いかにも弱い女の子を慰めるたくましい男という感じで「大丈夫だよ、よし、よし」みたいな優しい声をかけてくれる。それが私にはつらかった。「ああ、この人には全くわかっていない。お願いだからひとりにして」と心の中で叫んでいた。


こんなふうに、西洋社会なら、あのときの私を「いかにも女らしい」とか、「繊細だ」とか「弱虫だ」とかと、憐れむような視線で見たはずです。でもペナンの人びとは全くちがった。彼らには何が起こっているか、よくわかっていたんです。だから私の行動を重く受け止めた。そして敬意をこめて優雅に私を扱ってくれた。そして、誰からともなくペナン語で私のことを「ブンガン・テラオ」と呼ぶようになりました。


その数日後、私は驚くべきことを知った。あの事件はペナンの世界観の中でも異常なことだったんです。第一にペナンの人びとは、あのテラオという鹿を、人間の霊魂をもうひとつの世に運ぶ役割をする重要な動物だと考えているということ。


そして、そんな霊的な存在であるテラオの命をとることができるのは、本来、女の人だけだということ。「ブンガン・テラオ(テラオのために泣く娘)」というお話が実際にあるんだとペナンの人に聞かされて、またびっくり。こういう運命的な出会いが、私の一生を導いてくれていると信じています。


1994年、ブリスベーンで熱帯林伐採を訴えるアンニャ

辻:なるほど。ペナンの人々のおかげでアンニャは救われたのかもしれない。


アンニャ:ええ、その通りなんです。逆にペナンの人びとを自分たちが救うんだという考え方をする傾向が私たちの中にはある。でもこれはとても高慢。彼らは森を、自分たちが生きていくために何とか守りたいと願っている。その思いに対して、できるならば私たちもその願いが叶うようにお手伝いをしたい。しかし、まちがってはいけない。本当に救われるべきは誰なのか。それは私たちの方なのではないか・・・


辻:つまり、ペナンの人たちが何千年と維持してきた、森との、そして他の生きものたちとの魂のつながりを失ってしまったのは、我々のほうだということ。行き場を失って迷っているのは、実はぼくたちのほうなんだろうね。


アンニャ:私は若いときに旅に出てアジアやロシアやヨーロッパを訪ね、さまざまな知識を得たり、いろんな思想を学んだ。けれどもペナンの森にいたら、それらすべては何の意味もないように思えた。ペナンの人びとは自足して、安らかに、誰に迷惑をかけることもなく、森と一体となって生きている。


ジョン・レノンの「イマジン」にもあるでしょ。「Imagine there is no possession!(所有なんていうものがない世界を想像してみようよ)」。その世界はちゃんと地上にあるんです。それがまさにペナンの人びとの世界なんです。


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