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執筆者の写真ナマケモノ事務局

アンニャとプナン民族、「森になった男」ブルーノとの出会いー『しんしんとディープ・エコロジー』から(その2)

前回の続き。12月9日に開催されるDVD「ボルネオ事件ー熱帯林を破壊するダークマー」オンライン上映+アンニャ・ライトwith辻信一ミニトーク」の参考資料として、ナマケモノ倶楽部がこれまでアンニャを通じて、「自分ごと」としてきた熱帯林と私たちの暮らしについての対話を『しんしんとディープ・エコロジー アンニャと森の物語』(大月書店)より紹介します。

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ペナンの男たちとブルーノ(中央)。シャイかつチャーミングな一面があった(写真提供:アンニャ・ライト)。
 

アンニャ:ペナンの人びとは、これまで何百、何千年と、戦いを避けて、森に隠れ、潜むことで生き延びてきた人たち。その彼らが初めて森から出て、太陽の下で人びとの前に立ちはだかる経験をすることになったわけです。


辻:想像を絶する大きな決断だったろうね。


アンニャ:ブルーノの存在が知られるようになると、マレーシア政府は彼に逮捕状を出して、その首に賞金をかけた。以後、何度も彼は危ない目に遭っている。あるときは、待ち伏せされて銃撃され、辛くも水路に飛びこんで逃げた。でもそのときに、彼がずっとつけていた日記の第一冊目を失くしてしまいます。

彼はそのことをとても残念に思っていて、私と会った時も「もしあれがマレーシア政府の手に渡っているのなら、手紙を書いてでもなんとか取り戻したいんだが」と言っていた。


辻:うん、本当にその一冊目が残っていれば人類の財産になっていたかも。

彼の『熱帯雨林からの声』には、彼の絵もたくさん載っている。どれも心のこもったすてきな絵です。彼の人柄や、彼が森の中で過ごしていたゆったりした時間が感じられような・・・。


アンニャ:ブルーノは絵もうまかったし、なんでも手でつくってしまう器用な人だった。もともとスイスにいた頃から笛を吹いていたらしいけど、私があったときには、鼻で吹くペナンの鼻笛もとても上手になっていました。(略)


辻:サラワクの熱帯材の輸出先はなんといっても日本。その日本にやって来たときのブルーノはどうでしたか?


アンニャ:1990年に発足したサラワクキャンペーン委員会(SCC)(*)の招きで、1年に数回来日していました。当時、渋谷にあったSCCオフィスで私たちと昼食を食べていたとき、彼は、電話や電気製品のコードを抜きはじめた。都会の中にいるだけで苦痛を感じる人でしたね。


辻:痛々しいね。でも気持ちはわかる気がするなあ。


アンニャ:一方、ブルーノは死に近いところで、より活き活きする人でした。ペナンの人たちに会うために、何度か生命の危険を冒してマレーシアに密入国したし、1999年にはサラワク州主席大臣の自宅近くの空き地に、パラシュートで降りるというパフォーマンスを行いました。彼は子羊のぬいぐるみを持ち、「大臣と直接対話するためにはこれしか手段がなかった」と、純真さと無邪気さをアピールした。そのときの様子は「タイム」誌でも大きく取り上げられています。


辻:それで彼は逮捕された?


アンニャ:もちろん。その場で逮捕され、国外追放となった。そしてますます彼の絶望は深まっていきました。ブルーノが最後に目撃されたのは2000年5月のことです。またサラワクに密入国していた彼を、バトゥ・ラウイ山のふもとまで案内したという証言があります。ペナン人も含めたいくつもの調査隊が彼を捜しに出かけたけれど、結局誰も見つけることができなかった。


辻:彼はなぜその山を目指したのだろう。


アンニャ:その岸壁は悪霊が徘徊する山だとペナンの人たちから怖れられていました。かつてブルーノも登ろうとして失敗しています。彼は「やってできないことはない」ということを証明したかったのかもしれない。


辻:以前ぼくはブルーノ・マンサーの死を殉教のようなものと想像していたんだけど、アンニャの話を聞いていると、彼はいわゆる殉教者とはイメージが違うような気がする。彼はただ文明社会の中に居場所がなくて、ペナンの人のように森でひっそり暮らしたいと思い、それを実行した。生命の源に近いところで平和に生きていたかっただけなのに、世界の暴力的な力が彼を引きずりだし、究極的なところまで追いつめてしまった。



アンニャ:私がエクアドルに住んで現地の鉱山開発による森林伐採問題に取り組んでいたとき、彼に手紙を書いてくれるように依頼したことがあるの。世界銀行総裁宛に、エクアドルの鉱山開発について再考を促す手紙を。ブルーノは気持ちよく引き受けてくれ、そのほうが「ハート」が伝わるからと、手書きで手紙を書いてくれた。


辻:頭じゃなくて、ハート(気持ち)なんだ。それも運動家っぽくなくて、興味深い話だね。


アンニャ:彼は、会話の中でもよく「ハート」という言葉を使っていた。「私はこういうことをするハートがある」とか、「あの人と話してもなかなかハートが感じられない」とか。公式な文書でもタイプライターを使わずに手書きで書いた。相手に心を伝えたいといつも願っていたんだと思います。彼がサラワク州主席大臣の裏庭にパラシュートで降りた時も、あの子羊のぬいぐるみで自分の真心を伝えようとしていたんだと思う。そしてペナンの人々が暴力的な存在ではなく、社会の脅威でもない、ということを。

ブルーノはとても謙虚な人でした。彼の友人であったことは、私にとってこの上ない光栄です。


辻:彼が健在だったら、今どこでどう生きていただろう。


アンニャ:そのことを私もよく考えます。彼はこの30年間、世界中で森が破壊され、人々の暮らしや文化が蹂躙されてきたのを、いわばその真中で見続けてきた証人ですから。


 

*注釈一覧


熱帯雨林行動ネットワーク(RAN):世界中の熱帯雨林とそこに生息する動植物の保護を目的にアメリカで1985年に設立。


アンディ・ムタン:サラワクの先住民ケラビット人。マレーシアの熱帯林保護世界ツアーを実施。現在カナダ在住。


非暴力直接行動:インドの独立運動の指導者、マハトマ・ガンジーが提唱した平和運動の手法。相手に暴力をふるわずに、直接的な行動を取る運動スタイル。


サラワクキャンペーン委員会(SCC): 1990年 8月設立。マレーシア、サラワク州の森林破壊と先住民族の人権侵害に対する日本の責任を問い、熱帯林とそこに住む先住民族の人権を守ることを目的に、持続可能な森林経営の確立、開発プロジェクトにおける住民参加の確立を掲げて活動している。

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