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真珠湾、中国、沖縄、ウクライナ、パレスチナ




昨日は日本が真珠湾攻撃によって米英との戦争に突入してから82年目、そしてジョン・レノンが殺されてから43年目の日。


朝日新聞の天声人語は開戦の日の思い出を語った作家、吉村昭の言葉があった。


1941年12月8日、中学2年生だった作家の吉村昭は学校に行く途中、軍艦マーチの猛々しい音とともに、大本営発表を伝えるラジオのニュースを耳にした。「町全体が沸き立っているような感じであった」という。

吉村にとっては、それは悲しみにつながる記憶でもあった。中国で戦死していた兄の遺骨が、開戦の2日後、送られてきたからだ。ハワイでの戦果に「狂喜」する近所の目を気にして、家族は雨戸を閉めた。母親は発狂せんばかりに激しく泣いたそうだ。(『白い道』)


米英との開戦に踏み切ったとき、日本はすでに中国大陸での侵略戦争の泥沼の中にいた。記事はこう続く。


きょうで、真珠湾攻撃から82年。私たちはいまだに、誰もが納得できるような名前で、あの戦争を呼ぶことができずにいる。大東亜戦争か。アジア太平洋戦争か。あるいは8月15日に歴代首相が使ってきた「先の大戦」か。


今進行中のウクライナでの戦争は、そしてパレスチナでの戦争は、将来の歴史書に、どういう名前で呼ばれることになるのか。ロシアの、イスラエルの、アメリカの日本の教科書では・・・?


そして記事はこんな言葉で終わる。


そもそも、あの戦争とは何だったのだろう。あいまいな呼び名、あいまいな歴史認識に佇む、この国のいまを思う。


さて、ぼくは過去3ヶ月のうち4分の3を旅先で過ごした。ヨーロッパや日本のあちこちを訪ね歩いた。世界のあちこちで悲惨なことが起こり続けていても、やっぱり、日々ぼくの目の前に現れる世界は美しく、人々の心はやさしく愛おしい。


10月の下旬、ぼくは久しぶりに沖縄にいた。2、30年前にはよく通ったものだ。でも今回は見るもの、聞くことが、全て新鮮で、楽しいことも悲しいこともキラキラと輝いているようだった。








丸木俊・位里夫妻による沖縄戦の図を所蔵展示している佐喜真美術館を訪れる。地図を見て驚いた。宜野湾市街と普天間基地を隔てるフェンスを、そこだけぬじ曲げたように、美術館は基地の中へと突き出しているのだ。そこに、あの沖縄戦の巨大な地獄図が置かれている。基地を一望にできる屋上に登ると、そこは同時に、一種の祭壇であり、祈りと瞑想の場なのだった。僕たちはそこで、過去とそして現在進行形の悲惨な戦場と繋がるのだ。


美術館の売店にあった琉球・沖縄史の小さな本には、沖縄戦のことがこんなふうに書かれていた。(住みません、3ページだけ紹介させてください)










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