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執筆者の写真信一 辻

ヒューマンカインド 

『Humankind』の和訳がついに出るようだ。ぼくは待ちきれず、去年の秋に英語で読んで、大いなる刺激を受け、著者ブレグマンの出るYoutubeを見まくリ、すっかりファンになった。

この本とその意義については、出たばかりのぼくと高橋源一郎さんの共著、『「あいだ」の思想』(こっちもぜひ読んでね)の「はじめに」で、ぼくはこんなふうに触れておいた。


どうやら我々はいつの間にか、信じたくないことを信じさせられて、しまいには、そう信じることを自分が望んだと信じてしまったようなのだ。今や「知的」であることと、シニカルであることは切っても切れない関係にあるらしい。世界中にさまざまな「陰謀説」がはびこるのも無理はない。環境活動や社会変革運動の中にさえ、性悪説やシニシズムからくる絶望感が広がっている。

こうした自己否定の泥沼こそ、分離{セパレーション}の物語が行き着いた場所だ。「進歩」と「発展」によって、地域、コミュニティ、自然生態系といった制約から一つずつ人間が解き放たれ、“自由”になって飛び立っていくという物語の結末−−言い換えれば、「人間」という言葉の「間」を取り除いていったことの結果だ。その果てに、人類はいよいよ存亡の危機に立たされている。

世界各地でベストセラーとなっている『ヒューマンカインド−―希望の人類史』(ルトガー・ブレグマン、日本未訳)が教える通り、人間存在の本質を「愛」「親切」「友情」「助け合い」「信頼」といった関係性に見出す新しい時代の性善説が、今、生物学や人類学をはじめとしたさまざまな分野で勃興している。「あいだ」という非西洋近代的な概念の井戸から汲み出される思想が、「分離からつながりへ」の転換という人類史的な事業に寄与する可能性をぼくは信じ始めている。




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