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執筆者の写真辻信一

エリック・ドルフィーと瀬戸内寂聴



三月いっぱいで、30年近く使わせていただいた大学の研究室の片付けを終えた。大量のCD、レコード、カセットテープ、SPなどの整理が大仕事だった。その作業を進めながら、たまたま手に取った音楽を聴いていくのが楽しみだった。その一方で、今年の正月を期して、ジャズをABC順に片っ端から毎日聴いていく、という新しい遊びを始めた。


思ったよりずっと時間がかかる。やっとBが終わって、オーネット・コールマン、コルトレーンに入る頃、チック・コリアの訃報に接して、数日かけてPIANO IMPROVISATIONSやCHILDREN’S SONGSをLPで繰り返し聴いた。後者は、2年前兄が亡くなる直前にCDで愛聴していた。LPだと、プチプチという雑音まで懐かしく愛しいから不思議だ。思えばぼくたちはレコード、カセット、CDの恩恵をほぼ等しく受けた世代だった。


長期にわたったマイルス・デイヴィスに少し飽きてきたところで、BITCHES BREWを久しぶりに聴いて、やっぱり感動した。まだティーンエージャーだったぼくが受けた衝撃が少し蘇った。


そしてエリック・ドルフィーに辿りついた頃には、もう4月になっていた。偶然、どなたかのブログにある「Eric Dolphyと瀬戸内寂聴」という文章を見つけた。

ブログの日付は2014年6月29日とある。寂聴さんとドルフィー。ぼくには想像もできなかった意外な組み合わせに、心を惹かれた。


ブログの筆者は、「寂聴日めくり暦」のこの日のページにこんな一文を見つける。

「ジャズ奏者エリック・ドルフィーの演奏を始めて聞いたとき私は心が震え涙があふれてきました」 この日、6月29日はドルフィーの命日なのである。寂聴とドルフィー、両方のファンなのだろうこのブログの筆者は、「ああこの方もドルフィーのインプロビゼーションを聴いて感動されたのか」と、寂聴さんとの「距離がぐっと近くなった思い」がしたという。


以下、その筆者が先の暦から引用しているらしい寂聴さんの言葉を紹介しよう。 「五官の中で聴覚が一番弱いと自他共に認めて生きてきた。育った環境も音楽に最も縁がなかったせいかもしれない。小学校も女学校も音楽は「甲」がついたが、それは、他の学課があまりよく出来たので、先生が特別でおまけをくれていたのだと思う。コーラスの時は、なるべくヘンな調子っ外れをださない様に口だけパクパクあけていた。東京女子大に入って、寮生の友人がみんな音楽好きで音楽会に誘われたが、何度いってもクラシックの音楽会は眠くてどうしようもなかった。 「これほどさように音楽嫌いと思いこんでいた私に四十歳をいくつか越えたある日、年下の男の友人が一枚のレコードをくれた。私は仕方なく、(その頃その人に気があったので)彼の意を迎えるため、あわててステレオを買った。そしてはじめてかけたのが、『ラスト・レコーディング/エリック・ドルフィー』だった。私は、全身震えを感じ、聴き終ったら涙を流していた。なるほど、音楽とはこういうものかと思った。


「私は深い森の中で無数の小鳥に囲まれているような感じがした。湖が見え、白い霧が林のこずえを流れるのが見え、せせらぎの音が聞え、森の外から角笛が聞えてきた。ちらっと首を出して、すぐ身をかくす子りすの黒い目があった。私は、こもれ陽のちらちらするハンモックの中に目を閉じていた。音楽が終ったあと、やさしい男の声が流れた。音は生れてすぎ去り、永久に捕えることが出来ないといっているようだった。私は自分が才能なく音楽に無縁で、一度印刷されたら、消すことの出来ない小説を書く仕事を選んだことが、不幸のように一瞬思った。そして、音楽と恋は生れてすぐ消え、永久に捕えられなくなる点で似ていると思ったりした。

「その時のステレオは国産の上等だった。それでも何だか不安になり、すぐもっと上等のものに買い直した。機械が変っただけで、レコードの音が全くちがったものになるのに驚嘆し、私はそのレコードがすりきれるほどかけつづけた。 「ジャズならわかる。その時が私の音楽への開眼である。何と遅いめざめだろうか。四十年も私は耳がありながらつんぼでいたのである。不思議なことで、いつのまにかジャズのレコードがたまるにつれ、(当分一月に二十枚くらいずつ買った)クラシックの音楽を聞いても眠くならなくなった。特にバッハなどがとても好きになった。小説を書きながら、その場のバックミュージックにジャズを選んでひとり悦にいる楽しみも覚えた。たいてい真夜中にひとりで聴く。疲れきっている時、ジャズは全身の細胞にしみとおり、涙のようにかわいた躯をうるおしてくれる。

「エリック・ドルフィーでジャズを覚えたせいか、その後の私の好きなジャズ曲も、静かなものが好きなようだ。もちろん、彼の他のレコードも集めはしたが、何か決定的なことを決める時とか、心がめいった時とか、むやみに高揚しすぎる時とかに、私はおまじないのように最もはじめに私にジャズというより「音」を教えてくれた最初の一枚をかけることにしている。


「それから、何年かたち、私は全く思いがけないなりゆきで出家した。その時、今東光師からいただいた私の法名は「寂聴」であった。私は電話で今師から、『寂聴はどうだい』と聞いた瞬間、耳にあの『ラスト・レコーディング』が聞えてくる気がした。『いただきます』と、私は弾んだ声で答えていた。今でも、私は尼姿で、嵯峨の寂庵の夜を、ジャズレコードをかけてひとり聞いている。 「天台宗は、仏教音楽『聲明(しょうみょう)』を大切にする。出家して間もなく叡山横川の行院で六十日の行をさせられた時、はじめの一ケ月は、まるで音楽学校にいれられたかと思うように、聲明の稽古と学習で油をしぼられる。もし私がジャズを聴く習慣をもたないまま、あそこへ入っていたら、それはもう地獄であっただろう。天台聲明は静かで美しい。ジャズの源も、宗教音楽にたどりつくのではないかと思いながら、私は淋しい塩梅音(えんばいおん)の練習などをやらされていたものだ。 「音がレコードにとどめられるようになったことは音楽家にとって果して幸福なことか不幸なことか、今でも私はわからない。レコードのこの音は、絶対ナマとはちがうんだ、鏡の中の自分が決して本物の自分ではないように、などと考えながらも、まだ開発されてまもない私の耳では、充分レコードの音にたぶらかされながら、今も彼の出す音や彼の声にうっとりと寂かに聴きいっている」



ここで、寂聴さんからの引用を中断して、ブログの筆者は言葉を挟む。そして、ドルフィーのアルバムのタイトルを、寂聴さんは「ラスト・レコーディング」と記しているが、正しくは「ラスト・デイト」のことではないか、 と指摘する。というのは、寂聴さんが文章の最後に、英語の一文を記して、

「音楽が終ったあと、やさしい男の声が流れた。音は生れてすぎ去り、永久に捕えることが出来ないといっているようだった。」

と言っているからだ、と。


その英文は、これだ。

”When you hear music, after it’s over, it’s gone, in the air, you can never capture it again” ブログの筆者の言うとおり、これはアルバム『ラスト・デイト』の最後の曲、「ミス・アン」の演奏に続いて、流れるドルフィー自身の声なのである。「音楽を聴き終われば、それは霧消して、もう二度とつかまえることはできない」と彼は言っている。悲しげなメッセージのようだが、彼の声は、むしろぼくには清々しく響く。寂聴さんには「やさしい」ものに聞こえたというが、わかる気がする。真面目で、誠実そうな男の声だ。


『ラスト・デイト』というタイトルは、それはドルフィーの最後のライブ・パフォーマンスだったということを意味している。それは1964年6月2日、オランダのアムステルダムで、現地のミュージッシャン三人とのカルテットで演奏されたものだった。ヨーロッパ・ツアー中だったドルフィーは、その後、パリに赴き、6月11日にレコーディングをしている。これが生涯最後の演奏といわれるもので、のちに『ラスト・レコーディングズ』や『NAIMA』などのアルバムとしてリリースされている。


ドルフィーはその後、27日にクラブでの演奏のためベルリンに到着、しかし発病のため演奏できないまま、29日に病院で死去した。36歳の若さだった。糖尿病による発作が原因だったのに、ジャズ・ミュージシャンといえば麻薬中毒者に違いないという医師の偏見に基づく誤診だったいう説もある。ドルフィーは酒類にも麻薬にも一切手を出さない人だったと多くの知人友人が証言している。


ぼくは瀬戸内寂聴については門外漢だが、ブログの筆者同様、彼女のドルフィーについての文章に、そして彼女の鋭い直感力に感銘を受けた。彼女は、ドルフィーでジャズを覚えたせいか、その後も、「静かな」ジャズが好きだと言っているそうだ。ドルフィーの音楽を「静かな」という一言で形容するのを聞くのは初めてで、最初は少し意外だったが、今回、ドルフィーのCDやLPを片っ端から聞いてみると、情熱、激情、歓喜、怒り、悲しみなどの底に、たしかに、通奏低音のように一貫した、祈りにも似た静寂の音が流れているのを感じることができる。そしてそれは、寂聴さんの言うように、宗教音楽の美しい静けさに通じるのだろう。


ドルフィーに傾倒してから半世紀にもなるぼくは、寂聴さんのおかげで大事なものをやっと見つけることができたような気がする。ドルフィーもすごいが、寂聴さんもすごい。 最後に、もう一つ、ドルフィーの遺した言葉を紹介しよう。寂聴さんは知っているかな?

This human thing in my instrumental playing has to do with trying to get as much human warmth and feeling into my work as I can. I want to say more on my horn than I ever could in ordinary speech. --Eric Dolphy

(楽器による私の演奏のうちにある「人間的な何か」というのは、自分の作品の中に、できるだけの人間らしいぬくもりや感情を入れ込もうという努力から来ているのだろう。ありきたりの言葉では到底言いえないようなことまで、私は管楽器で言いたい。

−−エリック・ドルフィー)


以下、YouTubeできけるドルフィーの“静かな”演奏をいくつか挙げておく。

「You don’t know what love is」(『ラスト・デイト』に収録):

「Come Sunday」:

「Ode to Charlie Parker」:


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