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『サティシュ先生の 夢みる大学』完成!




このたび、ぼくが環境活動の仲間たちとつくったスローで、スモールで、シンプルな会社、「ゆっくり堂」から、『サティシュ先生の 夢みる大学』を刊行することができた。

 

この本について紹介させていただきたい。

 

本書はシューマッハー・カレッジを目指す人たちのテキストとして、またガイドブックとして活躍した『英国シューマッハー校 サティシュ先生の 最高の人生をつくる授業』(2013年、講談社刊)に加筆修正を加え、元ゼミ生たちから集めた貴重な写真を加え、さらにぼくが昨年サティシュを訪ねて共に過ごした日の記録、書き下ろし「夢みる若者、夢みる老人」を加えた増補リメイク版だ。改めて今、本書が果たすべき大切な役割があるという信念をもって、仲間たちと丁寧につくり直してきた。特に若い世代の読者がそれぞれのこれからの人生を豊かに生きるためにこれを役立ててくれたら、最上の喜びだ。

 

5月31日にはオンラインで、7月10日には対面(青山ウィメンズプラザ)で、出版を記念するイベントを行うので、よかったら参加していただきたい。

 

まずは、以下の、①ぼくが書いた本書のための宣伝文、②本書で、特にぼくが気に入っている部分の抜書きを読んでいただこう。

 

・・・・・・・

 

①   宣伝文

 

タイトルにある「サティシュ先生」とは、現代の代表的な思想家、教育者、 エコロジスト、平和運動家であり、ぼく自身が師と仰いできたサティシュ・クマール。舞台はそのサティシュが設立した、現代エコロジーとホリスティック思想のハブとして名高い英国シューマッハーカレッジ。本書は、大学の教員だったぼくとそのゼミ生たちたちが、そこに集うサティシュをはじめとする賢人たちや学生たちと、学びと喜びに満ちた夢のような一週間を過ごす。本書はそれを丹念に記録したドキュメンタリーだ。

 

海辺を、川辺を、国立公園の森を散策しながら、キッチンで、菜園で、パブで、バーで、食堂で、朝の瞑想やミーティングで、学生たちは何を学び、どんな心の揺らぎを感じたのか。誰にとって驚きと喜びに満ちた経験は、どう若者たちの考えかたに影響し、彼らの生き方はどう変わったのか。

 

豊かな人生とは?地球は生きている?この世界に人間は必要か?森と農業は両立できるか?就職しない生きかたとは?本当の強さとは?最高の贈り物とは?最も偉大な教師は誰?いかに死に向き合うか?この危機の時代に希望はあるか?

 

こうした問いを真ん中に、サティシュが、ホリスティック科学者のステファン・ハーディングが、「フォレスト・ガーデン」の先駆者マーティン・クロフォードが、トランジションタウン運動のリーダーたちが、そして学生たちが、泣き、笑い、悩み、語り、分かり合い、手をとり合う。

 

本書を読んで、ぜひ読者のあなたも、あの一週間に連なり、その学びを追体験していただきたい。遅すぎることはない。サティシュが言うように、「あなたが着いたときが、ちょうどいいとき」なのだから。「誰もが特別なアーティスト」というサティシュの言葉をあなたも受け取って、自信と信頼を取り戻し、自分自身の可能性を引き出していただきたい。また、サティシュの座右の銘であるマハトマ・ガンディーの言葉のように、「Be the change that you wish to see in the world(こうなればいいなとあなたが願うその変化に、あなた自身がなりなさい)。そう、あなたが変われば、世界は変わる!

 

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②    本書よりの抜き書き

 

(「まえがき−−『人生を豊かにする時間』へ、ようこそ」より)

 

 そんな彼の話を聞けば聞くほど生きるのが楽しくなると、多くの人々が感じてきた。彼からの学びが、そのまま栄養となって人生を豊かにしてくれることを実感できる。いや、話を聞かなくたって、とにかく一緒にいるだけでも心が弾む。それがサティシュ・クマールという人なのだ。

 

本書では、この一週間に行われたサティシュと学生たちのセッションを可能な限り再現している。自然との向き合い方、お金の意味、どんな仕事をするべきかといった話題から、幸せ、親子関係、そして死に至るまで、人生の主要なテーマが次々に登場する。目を輝かせながらサティシュの話に聞き入る若者たちの姿が、いまでもつい昨日のことのように、ビビッドに思い出される。

 

あなたにも、本書を通して、ぜひサティシュとの時間を共有してほしい。あの一週間が学生たちの人生を変えたように、あなたの人生も、いままでよりも楽しく豊かなものになるだろう。僕はそう信じている。

 

<シューマッハー・カレッジとは>

その名のとおり、E・F・シューマッハーの思想を受け継ぐのはもちろん、シューマッハーもサティシュも、ともに師と仰いできたマハトマ・ガンディーの精神を現代に継承するための学校なのだ。

 

「この文明は文明と呼ぶに値しない」とガンディーが表現した現代文明は、暴走の果てに、人類を崖っ縁まで連れてきてしまった。この認識の上に、シューマッハー・カレッジでは、現代文明に代わる、エコロジカルで持続可能な社会づくりに必要な知恵を持つ人々を招き、世界中から集まる学生たちのための集中講義やセミナーを行っている。

 

授業には、一年間の修士課程と、三週間ほどの短期プログラムがある。修士課程には世界で唯一の「ホリスティック・サイエンス」など、四つのコースがあり、修士論文の審査を経て、修士号を取得することが可能な正規の大学院だ。

 

シューマッハー・カレッジのすべてのプログラムが目指すのは、学生たちが机上で得た知識や理論を超えて、実際の行動や経験から学ぶこと。だから、通常の講義に加えて、フィールドワーク、課外活動、コミュニティ活動などが重要な要素となる。

 

シューマッハー・カレッジは、学生、講師、スタッフからなる、一種のコミュニティだと考えられている。誰もが例外なく、掃除、料理、ガーデニングなど、日常生活の基盤となる活動に参加する。教える、教わるという立場を超えて、すべての人間が共同生活を送りながら、学びを共にするというスタイルだ。ゼミ生たちにとって、1週間という短い時間ではあれ、日本の大学では得られないこうしたスタイルの学びが、きっと貴重な経験になるだろうと、僕は考えた。

 

(「一日目」より)

「では本当の豊かさとは何だろう? それは人々がつくり出すコミュニティであり、友人たちだ。そしてきれいな水であり、美しい森だ。

 

「でも、現代の世界は、それとはまったく逆の方向に向かっている。お金を得るために、川を汚し、森を伐り倒し、海を汚している。ニセモノの豊かさのために本当の豊かさを壊すとは!

 

「コミュニティや家庭さえ、お金のために破壊されてきた。みんなお金を稼ぐのに忙しくて、家族や隣人がお互いを大切にできなくなっている。人生を楽しむ余裕すら残っていないように見える。まるで金の奴隷になってしまったかのようだ」(サティシュ)

 

(「二日目」より)

「私たちは自然界の所有者なんかじゃなく、自然界という大きな家族の一員なんだよ。

 

 現代の世界では、奴隷制は違法になっている。でも自然界に対してはどうだろう。いまだに土地や木や動物を所有しているよね。つまり奴隷制という野蛮な考えかたは、まだ続いているわけだ。

 

 実は、岩も水も光も、この世のすべてのものが『生きている』といってもいいのではないだろうか。そういう万物の権利を考えることなく、人間の権利だけを切り離して考えることはできない、と私は思うんだ」(サティシュ)

 

(「三日目」より)

自然について学ぶのではない。自然から学ぶのであり、自然こそが先生なのだと。

 

「つまり、世界をただ量として考えていたらありえないような疑問が、質について考えることで生まれるのだ。すべてを量で考えるのが西洋科学の思考であり、質で考えるのがアニミズムのような古代からの思考だといっていい。世界に対するこのふたつの態度が、相反するものとして分断されてしまっているのが問題なのだ。

 

このふたつの分野を融合させることこそが、さまざまな問題を解決するために、私たち現代人に負わされた課題ではないだろうか」(ステファン・ハーディング)

 

「すべてのものが生きている。すべてのものが聴き、感じている。・・・空気についていえることは、岩や水についてもいえる。実は生命界は、非生命だと思われていた岩や空気や水に巨大な影響を与えているのだった。もちろん、逆に、非生物も生物に影響を与えている。この考えによって、生物界と非生物界が初めて結合し、融合した。それはいわば生命と非生命の結婚だった。

 

さあ、勇気を出して、ガイアを自分自身のうちに感じ始めようじゃないか。科学と魂の結合が生み出す新しい世界観を抱きしめようじゃないか」(ステファン・ハーディング)

 

(「四日目」より)

「雇用されるとは、才能や創造力といったきみの人間性が、一種の道具として企業のお金儲けに使われてしまうということだ。だから、ご両親にも『私は雇用を求めない。仕事を創る』と伝えてほしい。仕事を創るというのは、自分がやりたい仕事

 

「きみたちはみんな、潜在的なアーティストなんだ。アーティストに雇用は必要ない。企業の奴隷になる必要もない。雇用されて組織の一部になるか、それともかけがえのないひとりの人間として、自分が自分の雇用者になるか。そこに分かれ道がある」(サティシュ)

 

「今は小さなドングリでも、いつか大きな木になる可能性をもっている。ドングリというものが、いつか木という別のものに変化するのではない。ドングリはドングリのままで、すでに大木を孕んでいるんだよ」(サティシュ)

 

(「五日目」より)

「そう、動き続けることの大切さを水は教えてくれる。・・・思考も、やはり水のように動き続けて、いつも新鮮であるべきだ・・・

 

「水は目の前に岩があっても、その岩にぶつかろうとするのではなく、その周りを優しく巡るように流れていくじゃないか。この動きから、私たちは人生の困難に向き合う方法を学ぶことができるんだ・・・

 

 「『水のように生きる』ということは、他のものを育み、養うという役割を担って生きるということ・・・

 

「先生は私ではない、水だ。水こそが、私たちの先生なんだ。水はいつも下に向かって流れる。謙虚だよね。水は絶えず私たちの喉をうるおしながら、威張らない。『私を飲め!』などといわない。感謝を要求しない。見返りを求めない。それこそが本当の先生というものではないだろうか」(サティシュ)

 

「きみができる最高の贈りものはなんだろう。それは、きみが今ここに存在していることだよ・・・

 

「リンゴの木は、ただそこにある。それだけでリンゴの実というギフトを無意識に与えてくれているんだ・・・

 

「きみが微笑むだけで、それがかけがえのないギフトになるんだ」(サティシュ)

 

「その世界最古の農耕の形が、森林農(アグロフォレストリー)、すなわちフォレスト・ガーデンだったんだ。はじめは森の中にある植物の実を収穫し、そこから種を採って森の外側に徐々に植えていく。そうして新たな森をつくり、広げていく。それが最古の農耕だった」(マーティン・クロフォード)

 

森林農で特に重要な三つのポイント

 一番目 第一 土を耕さないということ

 二番目 窒素固定を活かすこと

 三番目 多様性を重視するということ

 

(マーティン・クロフォードは)「多様性と一口にいっても、単に種類が多いというだけではいけない」ともいう。背の高いものも低いものもあり、いろいろな形状のものがあって、相互に補うような関係からなる、一種のコミュニティを形成するのが、本当の多様性ということだ。

 

(「六日目」より)

悲しみを感じるのは、心が生きているからこそ。そして愛する心がある証拠でもある。痛みを感じるのは、からだが生きているからだよね。死んだからだが痛みを感じることはない。・・・きみが悲しみを感じているのは、きみが生きている証だ」(サティシュ)

 

「苗木としての自分を大切にして、そこに水をやり、できることをして育ててもらいたい。自分自身のことを大切にしてほしい。そうすれば必ず、他の人たちにとってもよいことが、自然界全体にとってもよいことができる人間になれるだろう。そして同時に、きみたち自身の人生も満ち足りたものになるにちがいない」(サティシュ)

 

 二一世紀は、石油枯渇の時代だ。化石燃料由来のエネルギーは減っていくし、減らさざるをえない。しかし、これまでの私たちの知性や創造性というものは、エネルギーが増加し続ける状況の中で花開いたもの。それなら、今度はエネルギーが縮小していく状況に合わせて、知性や創造性を花開かせるやりかたを見つけようじゃないか。「それがトランジション・タウン運動の挑戦だ」(トランジション・タウン運動のベン)

 

(「Be the change! −−二〇一三年版へのあとがき」より)

 サティシュは、人々にその勇気を与えることができる。いや、その勇気を外からもたらすのではなく、その人が自らの内に勇気を発見する手助けをするのだ。自分は変わることができないというあきらめや無力感は、自分自身への信頼の欠如から来る。逆に、自分は変わることができるという希望、この世界をよりよい場所に変えることができるという希望は、自分自身への信頼と自信から来る。信頼と勇気とは同じことを意味しているのだ。

 

 サティシュは、「変化」という言葉の意味を説明するのに、よく「Be the change」という表現を使う。インド独立の父マハトマ・ガンディーの言葉だ。文字通り訳せば、「変化になれ」。・・・この短い表現はもともと、もう少し長い一文の一部だった。その文とは、“Be the change that you wish to see in the world.” つまり、「この世界がこう変わったらいいな、と思うその変化にあなた自身がなりなさい」と

 

(「夢みる若者、夢みる老人−−新版へのあとがき」より)

 

さて、本書に描かれた一四年前の一週間をともに過ごしたあの若者たちは、その後、どんな人生を生きてきたのだろうか。あの実習は、彼らにとってどんな意味をもっていたのだろう・・・

 

今年に入ってから・・・あの実習に参加した元ゼミ生たちのオンライン同窓会が二度にわたって開かれることになった。そこでいい足りなかったことを書いて、メールで送ってくれる人たちもいた。

 

田舎で育児をしながら、畑プラスエシカル商品のオンライン・ショップという半農半Xの暮らしをする者。革職人となった二人の男性のひとりは、免許をとって狩猟もはじめ、ひとりは幼い子どもたちの育児に励む。ピースボートに乗った後、高校の英語教師となった者。オーガニックや自然食品の業界で働く者が数人。田舎へ引っ越して、家を改修しながら暮らす者。クラフト・ビール業界を経て八重山諸島の島に引越した者。モンテッソーリ教育の教員になった者。自然食品会社で働いた後、アメリカに渡った者。生協で働く者。輸入食品会社の管理職。銀行勤めしながら育児に励む者、山小屋で働き、今はパートナーとヒマラヤを旅する者・・・。

 

彼らの言葉は、あの時も今も、夢にあふれている。もちろん、あちこちにあの一週間の思い出が散りばめられ、輝いていた。少しだけ、抜粋させてもらおう。

 

シューマッハー・カレッジでの学びの日々には本当にワクワク。そのワクワクが、その後の人生で、私の背中を押してくれました」


あそこで出会った人々の教えを、素直に受け入れないようにしていた自分がいた。自分の中にある定まらない考え方と、拒絶しようとしても入ってくるすばらしい考え方や言葉たちを、結びつけて形にしようと必死にもがいていたんだと思います。でも、あれ以来、食文化への関心はぼくの人生にとって不可欠なものとなりました。多角的な視点から見る、日々学び続ける、といった(サティシュの教え)が今の生き方に自然なこととなり、仕事にも繋がっています」

 

カレッジのベジタリアンの食事で、たった一週間なのに、体の調子がまったく違うことに驚いて、食の大切さを文字通り体感し、卒業後はオーガニック食品を取り扱う会社への就職を決めるに至りました」

 

「いいことも、悪いこともありますが、人生は予想し得ない面白さで進んでいます。ガンディーの言葉、『明日死ぬかのように生き、永遠に生きるかのように学ぶ』を肝に銘じて、これからも毎日楽しく生きていこうと思います」


「誰もがみんな特別なアーティストというサティシュの言葉が心に残っています。単に歌や絵のことではなく、「生活の中で丁寧に何かをする」ことがアートなんだ、と。母親になってそのことがよくわかるし、主婦であることにも誇りをもてます」

 

「手の大切さを強調し、それは携帯をいじるためだけにあるんじゃないよ、といっていたサティシュ。今の子どもたちにそれをなんとか伝えないと」

 

『世界の問題を解決するには、まず今日の食卓から』というサティシュの言葉にインスパイアされてきました。就職活動中から、オーガニック・スーパーの会社でずっと働いて今日に至るまで」

 

「『外に雇用を求めるな』というサティシュの言葉を自分の中に引きずって、悩んだこともある。でも職種にこだわって就職し、この仕事をやり続けてきて今は、ああ、サティシュのいいたかったのはこれか、と思えるようになった」


「サティシュは、人は愛するために、祝福するために生きているといっていましたね。愛するとは幸せなことですね。愛すると祝福したくなります。家族をもった今、シューマッハー・カレッジでの教えをリアルに感じ直しています。こうやって一生かけて味わっていくような学びだったんですね」

 

彼らが、あの時も今も、夢みる人々であることがわかる。いつまでも夢なんか、見てるんじゃない、と社会は彼らにいうかもしれない。でも、ぼくにはサティシュのこんな声が聞こえてくるのだ。「大丈夫、なんの心配もいらない」

 

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