『自然農という生き方〜いのちの道を、たんたんと』はじめに

はじめに
辻 信一

 2010年8月末、奈良県桜井市にある纏向{ルビ:まきむく}遺跡の発掘調査現場。ぼくは、この土地の地権者である川口由一さんの横に立っていた。記録的な猛暑はまだ衰える気配を見せず、陽はじりじりと大地を焼いている。その上に這いつくばって、人々は発掘作業を続ける。
その様子を、今、日本中で多くの人々が固唾をのんで見守っているという。2009年に始まった発掘調査によってここで発見された遺構こそ、あの邪馬台国の卑弥呼の宮殿だったという見方が有力になったのだ。邪馬台国の場所をめぐる100年にわたる論争に終止符が打たれることになれば、それは日本の考古学における21世紀最大の発見になるでしょう、と、ぼくたちを案内してくれた現場の調査スタッフが流れる汗をぬぐいつつ言った。
彼は地権者である川口さんを丁重に迎えて、発掘の進捗状況を詳しく説明する。川口さんはそれに対して、言葉少なに相槌をうちながら、じっと発掘現場を見つめている。その心に何が去来していたのだろう。1700年前にここに建っていただろう建物を想像していたのか。あるいは、かつて田んぼだったこの場所で、試行錯誤しながら自然農を確立していった日々の営みを思い出していたのか。
ぼくはといえば、暑さのせいもあっただろう、目も眩む思いだったのだ。自然農発祥の地が、古代日本の発祥の地でもあったとすれば、それはまたなんと不思議な因縁なのだろう。
纏向遺跡の発掘現場を見学したその日を含めて、川口さんの田んぼの稲がまだ小さかった初夏から、脱穀作業の行われた初冬にかけて、ぼくは何度か川口さんのお宅を訪ね、お話をうかがった。その聞き書きをまとめたのが本書である。発掘現場はJR巻向駅に隣接している。その駅から川口家までは歩いて7、8分。さらに5分ほど歩いたところに、現在の川口自然農田がある。田んぼに引かれている水は、国道の向こう側に見えるこんもりとした森(景行天皇陵と言われる古墳)から来ているという。川口さんが生まれ育った故郷は、まさに日本が農耕社会として、階級社会として、そして国家として歩み始めた揺籃の地だったのだ。
秋も発掘調査は続き、日本の歴史を書き換えるほどの貴重な発見が相次いだらしい。一方こちらでは、聞き書きを通して川口さんの世界に深く踏み入るにつれて、自然農というものがもつ日本史的、いや世界史的な意味が明らかになっていくのだった。

世界中の農業は近代化の果てに、今やいのちの世界から遠く隔たった場所に行きついてしまっている。農と食という、つまり人類の生存の基盤そのものが、市場競争の中にまき込まれ、さらにグローバルな自由貿易の渦中に放り込まれてしまったのだ。生産性向上と効率化の名の下に、多くの農家はより大規模な農場に吸収されて、自給的な農の営みは解体され、農民とその子弟の多くが都会へ流出することを余儀なくされた。農村は換金作物の大規模な単一栽培を行う工場と化し、そこに辛うじて居残った者の多くも、機械や化学肥料や農薬をはじめとする工業資材を消費する側となり、多くの負債を抱えながら、巨大な社会システムへの依存度を増すばかりだ。
こうした急激な変化を可能にしたのが、化石燃料だった。安価な石油を湯水のごとく投入することによって、「十のエネルギーを投入して一を得る」という不条理が正当化されるに至った。逆にかつての「一のエネルギーを投入して十のエネルギーを得る」ような本来の農法は、過去の遺物として忘れ去られようとしている。そして今では、地球温暖化の原因の40%近くが直接的、あるいは間接的に農業と食産業に関わっているとさえ言われる。いのちを育むはずの営みが、人類の未来にとっての最大の脅威になり下がっているのだ。
そんな時代にあって、自然農とは何を意味するのか? それは、こんがらがった糸をほどくように、農耕という人間の営みの大もとへと辿り直すことにちがいない。それはまるであの発掘現場での作業のように、上に幾重にも積もったものを丁寧に取り除いていく仕事だ。
余計なものをひとつずつ引き算していけば、しまいには、農の原形が浮かび上がるのではないか。人間と大地とのあるべき関係が再び姿を現すのではないか。

 ぼくが川口さんに初めてお会いしたのは18年前のこと。14年に及ぶ海外生活から戻ってまだ2年、ぼくなりの"日本再発見"の旅の途中だった。バブル崩壊後も、その悪夢からいまだ覚めやらぬこの国のあちこちを訪ねては、長年の経済成長や近代化なるものが、地域の川や海や山に、そして人々の心に及ぼした痛々しい影響を目の当たりにした。しかし、それは同時に、同じ場所に芽生えつつあった、新しい生き方のビジョンに希望を見出す旅ともなった。
中でも、川口さんとの出会いはぼくに強い衝撃を与えた。以後今日にいたるまで、彼の存在と教えは、ぼくを様々な形で支え続けてくれた。海外からの客も含めて少なからぬ人々を川口さんのもとへと案内した。何度かにわたる取材にも、彼はいつも快く応じてくださった。ありがたいことだ。
2001年9月に出版した『スロー・イズ・ビューティフル』(平凡社)の第一章にも、川口さんに登場していただいている。その部分を振り返ってみよう。

 去年の夏、オーストラリアから来ている環境団体の代表ふたりを連れて、奈良県の川口由一を訪ねた。海外にも徐々に知られ始めている川口の「自然農」による田畑をこの目で見てみたいというたっての願いだった。川口は例によって田畑のひとつひとつを丁寧に案内してくれた。無農薬、無肥料、そして不耕。水田というにはほとんど水の見えない、「森」のように雑然とした畑に育つ稲は、これが稲かと見まがうほどに太く逞しい。
見学が終わると、これも例によって、離れの客間でおいしい夕食となる。機械に頼らない人間の手作業に助けられてゆっくりと"自分らしく"育った穀物と野菜たちが、やがて収穫され、火にかけられ、漬け込まれ、調味されて食卓に並ぶ。ファースト・フードの対極、スロー・フードとはまさにこのことだ。
その食卓で、遠来の環境活動家たちを前に、川口は「答えを生きる」ことについて語ってくれた。
「本来私たち人間はみな答えを生きるものだと思います。しかしそれがいつの間にか、問いをたてて、答えを生きるかわりに、その問いを生きるようになっていないでしょうか」
例えば、環境運動。在来種の種子を絶滅から守ること。絶滅危惧種の生息する生態系を守ること、二酸化炭素の排出を規制する法律をつくること。代替エネルギーを促進すること。原生林を破壊から守ること。それらひとつひとつはどれをとっても深刻な問題であり、重要な課題だ。またどれもがなくてはならない対策であり、立派な運動であるといえる。しかし、と川口は問う。それらの問題をたててその解決に取り組むことが、いつの間にか、「生きる」ということの代わりをするようになってはいないか。問題を追いかけることに忙しく、肝心の「生きる」ことがおろそかになってはいないか。
「現代の農民というのもそうですわねえ。かつては農民の生き方そのものであった農が、いつの間にか、解決すべき問題としての農業になってしまった。目指す収量、年収という目標に向けて、様々な手段を講じる。設計図にとらわれているんです。だから、今の農業では、種まきや田植えの時には不安がいっぱいですわねえ。果たして計画通りに芽が出るか、虫が発生しやしないか。未来についての不安が渦巻くんです。しかし本来農民が畑に種を蒔く時には何ら不安はないのです。大安心があるから、楽しいんです。未来にとらわれていない。今を生きている。今の中には過去も未来も切り離されずに入っている。答えを生きるとは、そういうことだと思います」

 右肩上がりの拡大志向と足し算の発想の先には不安が渦巻く。逆に、耕さない、農薬も使わない、動力機械も使わない、田畑に何ももち込まない、田畑から何ももち出さない、虫や草や鳥を敵としない・・・といった「しないことづくめ」の引き算こそが、大安心をもたらしてくれる。だが、現実はどうだろう。あれから10年、人々の不安と焦燥は募り、世界の危機は刻々深まっていくように見える。とはいえ、その一方で、川口さんの教えは日本中の何千、何万という人々へと伝えられて、あの時の芽生えが、今や自然農の稲のようにしっかりと根を張り、太く逞しくで育ってきているのも、まちがいのない事実なのだ。

 世界はいよいよ曲がり角だ。今こそ改めて、自然農とは何か、と問い直してみよう。そして、川口さんの生き方に注目し、その言葉に耳を傾けよう。そこには、大転換期を生きるための智恵が詰まっているはずだ。
本を読んで動く。動きながら本を読む。それが、ゆっくりノートブックだ。第8巻に、ついに川口さんに登場していただくことができた。実り多い読書となりますように。